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2004年12月に作成された記事

2004.12.29

関西にもゲタ電があった頃(2)

阪和線と前後して、東海道山陽緩行線や片町線も訪れています。


2004122901 7連で快走する、72・73系チョコ電、京阪神間名物の張りだし式の信号塔が写っています。この日はダイヤが乱れていたのか、この直後に上り「さくら号」も写しています。
西宮-芦屋、夙川鉄橋にて 昭和49年5月5日


2004122908


2004122902終着駅に到着したクモハ31002 昭和49年3月10日四條畷駅にて(以下同じ)
もと2扉車クロスシートのモハ43を戦時中4扉に改造した車両。小窓や正面の貫通扉、立派なパンタグラフに面影が残っています。


2004122905
同車車内 スタンションポールが印象的です。最近の車両には見かけませんが有ったほうが便利な場合もあるのでは?


200412290405クハ79049とクハ79?
もとクハ58を4扉化した車両、72・73系に編入されています。阪和線とはちがうデザインのサボ(ちょっと近鉄タイプ?)をぶら下げています。


2004122906クモハ73189

食パン電車のなれの果て!!もうすこし別な手の加え方はなかったのでしょうか?バックにオート三輪が写っています。これも貴重ですね(^^)




2004122907クハ79920番台全金属車 雰囲気は101系と変わりませんでした。


2004.12.26

関西にもゲタ電があった頃(1)

写真を撮り始めた頃は、旧型国電もたくさん走っていました。まだ、東海道山陽緩行線にも72・73系のブドウ色の電車が走り片町線や阪和線へ行くと朱色スカ色の旧国の方が多い位でした。
その中から何枚かUPして見ます。

 撮影メモを見ると、このときは鳳駅西口を出て(なぜか改札口が無人だったので、京阪との連絡乗車券はそのまま記念に残っています。)羽衣支線に沿って東羽衣まで歩き、東羽衣から鳳まで支線を乗りつぶしし、そのあと鳳駅構内で撮影しています。

2004122601←クモハ60-157
ウィンドシル・ウィンドヘッダーがきれいに残っています。


 
2004122602                        クモハ76-338→

         全金属車、なぜか湘南タイプの先頭車は写していません。残念。


2004122603←クハ55-336
ノーシル・ノーヘッダー車です。


2004122604                       クモハ60-121→

                        東羽衣支線運用車です。


2004122605←クハ55 区間快速和歌山行き

サボのデザインがシャレています。






↓クモハ60(東岸和田行き) ↓クモハ60(和泉府中発天王寺行き) 撮影日=昭和49年3月17日
   2004122606      2004122607

2004.12.23

田村・米原・彦根

はじめて近郊の撮影地へ鉄道写真を撮りに出かけたのは、米原・彦根方面です。

2004122308  最初に向かったのは、北陸線の田村駅です。今は北陸線の直流区間は長浜まで伸び、敦賀までの延長工事中ですが、当時は、この駅の米原よりにデットセクションがありました。着いてみると田んぼの真中の駅で、ホームも駅舎も狭く無人駅のような雰囲気でした。まだ、湖西線の開業前で、機関車牽引列車はすべてこの駅に一旦停車して、機関車の付け替えをおこなっていました。当然、交直切替の施設は大きく、敦賀寄りにディーゼル機関車の留置線、米原側に交流機関車の留置線がありました。乗務員や入替担当者の詰め所もありたくさんの人が出入りして活気付いてました。ここでは、主に交流機関車の入替作業を撮影しています。EF70型が主力ですが、ED70も一両見られました。(写真は「長浜鉄道スクエアに保存中のED70-1」) 2004122307

次に訪れたのは、米原機関区です。移動は国道のバスを使いました。今ではバスの本数もかなり減ってますが、当時は1時間に1・2本は走ってました。(写真は「長浜線のバスではなく、彦根の観光ボンネットバスです(^^)」)山際を走る国道から下に下りて機関庫の構内へ入っていきました。来意を告げると「邪魔にならないように駐車場からなら撮影OK」とのことで職員駐車場へ向かいました。EL・DLがたくさん休んでいます。EF58、60、65、EH10などがいました。片隅に、DD50留置してありました。すでに米原-田村の交直切替の任も解かれ、休車状態でしたが、手元の写真をみると状態はそんなに悪くなかったようです。

2004122301駅まで歩き、今度は近江鉄道を見物することにします。彦根までの国鉄の切符を買って入場しましたが、近江鉄道との連絡改札は無かったらしくて、そのまま近江鉄道のホームへ行きました。(写真は「モユニ10号郵便荷物車」と「モハ3号」米原駅にて、昭和49年4月29日)

2004122302ここには郵便荷物車を連結した列車が止まっていて、「私鉄にも荷物専用電車があるのか!!」と驚きました。そのまま佐和山トンネルを抜けて近江線で彦根に向かい改札を出ようとすると、「近江線で来たなら差額運賃を払いなさい。」と呼び止められてしまいました(^^;

駅の東側は当時も今も「鉄」のメッカで雑多(失礼)な車両が留置してありました。車庫に沿う道路には柵もなく、撮影には好都合でした。ED14やED31、ロコ1101などすでに40-50年の車齢を重ねた電気機関車が貨車を引いて出入りしていました。貨物列車の本数はかなり多かったようで、特にダイヤを知らなくても数をこなせました。住友セメントの専用線へ貨車を押し上げる古典ロコを見て、「近くにもこんな知らない世界があるのか?」とまたまた感動してしまいました。(写真は左から「ED14-4」「ED14-2」「ED4001」「ED31-2」彦根駅構内及びセメント専用線、昭和49年4月29日)

2004122306200412230520041223042004122303

2004.12.18

ひと昔前の叡電

私の鉄道趣味の原点は、家の前を走る叡電です。
写真を撮り始めた頃の叡電のラインナップを紹介します。


2004121807


デナ21型24号 


めずらしい試運転列車の写真です。宝ヶ池陸橋より写しました。
昭和49年3月9日



2004121801


デオ200型204号 


鞍馬行。宝ヶ池駅にて写しました。
昭和49年3月9日










2004121803


デオ300型302号 


岩倉行。宝ヶ池駅にて。


当時の叡電のクィーン、仲間内では「新車」と呼ばれていました。カルダンモーターの静かな走りと、全金属製の車体が、すてきでした。写真ではポールの先端が写ってなくて残念(^^)
昭和49年3月9日

2004121804デナ500型503+504号


出町柳行。八瀬遊園-三宅八幡間にて。


叡電で最多勢力10両を誇った電車。ブレーキの関係で鞍馬線は二軒茶屋までしか入線できなかったため、主に叡山線で使われました。夏休みのプール輸送のため2連で運転中。
昭和49年7月20日

2004121802


デワ100型101号


宝ヶ池駅構内にて。


有蓋電動貨車のデワ101号、仲間内では「荷物電車」と呼んでました。叡電には貨車は似つかわしくなかったのでしょうか?宝ヶ池の構内は、いまもほとんど変わっていません。無人化されたのと、構内踏切に遮断機が付いたのと、側線の配線が変わったのと、場内信号の位置が動いたのと、案内版が新しくなったのと、保線事務所が移転して、跡地がマンションになったのと・・・・、アレ結構変わってるのかな?
昭和49年3月9日

2004.12.15

電車の音のきおく

「HPを作ってやろう」なとど大それたことを考えたばっかりに古い写真を整理するはめになりました。
実家へ戻って、アルバムとネガシートを取り出して眺めてみます。
あたりまえのことですが、人物は若く、背景は古いです(^^:

2004121501今昔が知りたくて、町を走ってみました。
一面田んぼの中を走るポール電車も、今は、線路が複線化され、周りは家だらけ、おまけに線路際はフェンスで囲われ、写真撮影もままなりません。

都心のちんちん電車は、とっくの昔に廃止され、今とおってもここに電車が走っていたとは信じられません。架線柱を転用した電柱が、わずかに電車の遺構として残っているだけです。

でも、電車の『姿』はなくなっても、『音』が記憶となって耳の奥に残っています。
ポール電車がポイントを渡る時、ポールが架線を乗り越す「ゴトン」という音、続いて車掌さんが鳴らす「チリン」という電鈴の音、ノッチが「カチッ」と入って、釣り掛けモーターが唸る「ゴォー」という音、「お待たせしましたこの電車は・・・・・・」

2004121502ギィー」と市電の止まる音、「チャリン」と硬貨を運賃箱に入れる音、「♪りんごの花ほころび、川面にかすみたち・・・」と「カチューシャ」のメロディーで始まる車内放送、「ピンポンパン、毎度ご乗車ありがとうございます。この電車は高野から東山通り・・・・・・次は植物園前・・・・」

過ぎし日よもう一度

写真上 京福電車鞍馬線 八幡前-宝ヶ池間 昭和49年3月17日 デオ302号 出町柳行き
今は、この写真をとった場所は、線路際まで民家が迫り、比叡山を望むこともままなりません。

写真右 阪神電車北大阪線 中津電停 昭和49年5月5日 33号 野田行き
今は、この線路敷き自体が道路に飲み込まれ、代替の阪神バスが往事を偲ばせるのみです。

2004.12.12

最近の叡電の話題から

 古い写真のスキャンが仕上がってくる間のつなぎに、
最近の叡山電車の話題から拾って見ます。

☆     ☆

2004103101

写真1:ひさびさに走ったデオ600 2004/10/31 修学院駅

このところ火祭りの臨時列車以外出番のないデオ600ですが、「鉄道模型in鞍馬」のイベント列車として親子づれや鉄道ファンを乗せて出町柳-八瀬比叡山口間を走りました。

2004103102

写真2:イベント列車のヘッドマーク 2004/10/31 修学院車庫構内

2004110301

写真3:デオ700の2連 2004/11/06 修学院駅
紅葉シーズンの増発時にデオ800型2連車が検査で走れないため、デオ700の2連車の代走が見られました。沿線にはうわさを聞きつけたファンが集まりました。

ご挨拶

鉄道趣味を始めて、はや30年近く、取りためたピンぼけ写真も枚数だけは、増えるばかり。「簡単にホームページが作れる」というプログの宣伝文句に引かれて、公開←後悔(^^; してみることにします。

古いだけが取り柄の写真集になりそうですし、スキャンニングの都合で更新頻度が長くなりそうですが、ご照覧下さいませ。
2004
写真説明 :

今から二十数年前の初夏の鞍馬山を下る京福電鉄(現叡山電鉄)の回送電車です。当時の鞍馬線は、30分間隔の運転で、合間に臨時列車が運転されていました。
この日は小学校の遠足列車が走り、帰りに回送で戻るのを撮影しました。
画像が粗いので見にくいですが、行き先表示は四角に「回送」と書かれています。

昭和52年5月20日:AM 京福電鉄鞍馬線 貴船口-二ノ瀬間

 
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