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2004.12.23

田村・米原・彦根

はじめて近郊の撮影地へ鉄道写真を撮りに出かけたのは、米原・彦根方面です。

2004122308  最初に向かったのは、北陸線の田村駅です。今は北陸線の直流区間は長浜まで伸び、敦賀までの延長工事中ですが、当時は、この駅の米原よりにデットセクションがありました。着いてみると田んぼの真中の駅で、ホームも駅舎も狭く無人駅のような雰囲気でした。まだ、湖西線の開業前で、機関車牽引列車はすべてこの駅に一旦停車して、機関車の付け替えをおこなっていました。当然、交直切替の施設は大きく、敦賀寄りにディーゼル機関車の留置線、米原側に交流機関車の留置線がありました。乗務員や入替担当者の詰め所もありたくさんの人が出入りして活気付いてました。ここでは、主に交流機関車の入替作業を撮影しています。EF70型が主力ですが、ED70も一両見られました。(写真は「長浜鉄道スクエアに保存中のED70-1」) 2004122307

次に訪れたのは、米原機関区です。移動は国道のバスを使いました。今ではバスの本数もかなり減ってますが、当時は1時間に1・2本は走ってました。(写真は「長浜線のバスではなく、彦根の観光ボンネットバスです(^^)」)山際を走る国道から下に下りて機関庫の構内へ入っていきました。来意を告げると「邪魔にならないように駐車場からなら撮影OK」とのことで職員駐車場へ向かいました。EL・DLがたくさん休んでいます。EF58、60、65、EH10などがいました。片隅に、DD50留置してありました。すでに米原-田村の交直切替の任も解かれ、休車状態でしたが、手元の写真をみると状態はそんなに悪くなかったようです。

2004122301駅まで歩き、今度は近江鉄道を見物することにします。彦根までの国鉄の切符を買って入場しましたが、近江鉄道との連絡改札は無かったらしくて、そのまま近江鉄道のホームへ行きました。(写真は「モユニ10号郵便荷物車」と「モハ3号」米原駅にて、昭和49年4月29日)

2004122302ここには郵便荷物車を連結した列車が止まっていて、「私鉄にも荷物専用電車があるのか!!」と驚きました。そのまま佐和山トンネルを抜けて近江線で彦根に向かい改札を出ようとすると、「近江線で来たなら差額運賃を払いなさい。」と呼び止められてしまいました(^^;

駅の東側は当時も今も「鉄」のメッカで雑多(失礼)な車両が留置してありました。車庫に沿う道路には柵もなく、撮影には好都合でした。ED14やED31、ロコ1101などすでに40-50年の車齢を重ねた電気機関車が貨車を引いて出入りしていました。貨物列車の本数はかなり多かったようで、特にダイヤを知らなくても数をこなせました。住友セメントの専用線へ貨車を押し上げる古典ロコを見て、「近くにもこんな知らない世界があるのか?」とまたまた感動してしまいました。(写真は左から「ED14-4」「ED14-2」「ED4001」「ED31-2」彦根駅構内及びセメント専用線、昭和49年4月29日)

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