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2005年1月に作成された記事

2005.01.30

「義経」ブームを先取りした切符

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大河ドラマ「義経」のブームを先取りしたような切符があったので、スキャンしてみました。「デナ21形展示記念乗車券」です。


切符の説明文によると平成6年秋に廃車されたデナ21の運転台部分は、ファンの要望により翌年夏に鞍馬駅構内に展示されました。

いまでも、デナ21は鞍馬山を訪れる列車と乗客の安全を見守っています。

この続きは、HP版「線路際のピンぼけ写真館」 の「切符館」の「叡山電車」のページで......

2005.01.23

阪神国道に電車があった頃

hankoku01

大阪と神戸をむすぶ大動脈、国道2号線、かつてはここにも路面電車の姿がありました。阪神国道線、北大阪線、甲子園線です。


はじめて訪れたのは、昭和49年のGWです。西宮の夙川鉄橋で東海道線を撮影したあと、回ってみました。野田駅で国道線の電車と対面しました。うわさには聞いていましたが、「金魚鉢」電車は半流線型で窓が大きくスマートで、車内には洒落たすずらん灯が輝いていて、いっぺんに好きになりました。

中津まで来ると「金魚鉢」と対極をなすような無骨(失礼)な電車も大活躍していました。このころは嵐電のモボ101型や阪堺電車のモ205型、叡電のデナ21型など戦前製の電車もいくらでも見られた良き時代です。後ろを振り返ると阪急神戸線でも720系が駆け抜けていきますし、先の大阪駅にはゲタ電72・73系が止まっていました。

初めて訪問してから、わずか1年で、このちんちん電車ともお別れする日が来てしまいました。 さよなら電車は満員の乗客を乗せて走っていきました。このあと、京都市電、嵐電のポールカー、南海平野線、京阪京津線と同じ光景がつづきます。

この続きは、HP版「線路際のピンぼけ写真館」 の「私鉄写真館」の「阪神国道線」のページで......

2005.01.15

HP版「ピンぼけ写真館」を始めました

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ココログを始めて、1ヶ月がたちますが、やっとHPとは、いかなる仕組みかがわかってきました。
そこで、いままで作ったコンテンツに新しいものも加え、HP版「線路際のピンぼけ写真館」を暫定公開しました。
・関西地区の旧型国電
・京都市電
・叡山電車
・近江鉄道
等を紹介しております。

もし、よろしければ、下記のアドレスよりお立ちより下さい。
みなさまの、ご意見・ご希望及び誤字・脱字・リンク切れのご指摘(笑)をお待ちしています。

top_title_mini
http://nakkacho.fc2web.com/

2005.01.08

京都市電の思い出(2)

京都市電が廃止されて早いものでもう四半世紀の時が経ちました。思い出すままに、市電のことをもうすこし書いてみます。

20050103052番と錦林車庫
末尾2は錦林車庫の所属でした。加茂大橋の電停で待っていると1番はなかなか来ないのに2番は何台もやって来ました。この電車の走る河原町線の今出川-丸太町間は軌道の状態が良くなかったのかよく揺れました。いちばん後ろにのって運転台を見ていると運転手さんはさながら急流下りの船を操るように運転していました(^^) 錦林車庫は白川通に沿って長く伸びていたので、留置されている電車がよく見物できました。市電廃止後はバスの車庫に転用されましたが、今では敷地の半分が高齢者向けの施設になっています。市電の系統番号番は営業所毎に色分けされていましたが、この車庫は白地に黒と水色字に白の2種類がありました。同じ系統が交差したり、重複して走る区間があったりしたため、色分けで区別したのでしょう。写真、2系統(1833,1828)、12系(1649)ともに錦林車庫前にて、22系統加茂大橋にて、バックの銀行も金融再編で消え去ったが、左端の架線柱はまだ残って市電の遺構となっている。(S51.3.31)
2005010306 2005010308 20050103376番と烏丸車庫
末尾3,4,5,6を抱えるのが烏丸車庫でした。ここの系統番はです。なかでも6番は自宅から一番近いところを走る市電で高校・大学時代は通学にも利用しました。最後まで残った系統番号でもあります。やっとカメラを持つようになって廃止までの3年程の間に何枚か写真を写しています。車庫前とその前後の停留所には「操車表示機?」が設置してありました。車庫へ戻ってくる電車に次の行程や入庫の指示をするもので、系統番号や行き先が並んだ表示板が点灯します。臨時系統で変わった表示が出るとなぜかうれしかったです(^^) 写真、4系統(2003)七条壬生川の国鉄ガードにてバックは高架工事中の山陰線(昭和52年7月3日撮影)、5系統(1842)北大路橋にて加茂川を渡る(S52.7.3)、6系統(1839)ポール電車との顔合わせも明日まで、ポール電車(デナ508)もこの半月後にはパンタ化されともに消え去った・・・・・(S53.9.29)、13系統(2618)下鴨神社前の高級住宅地を静かに走る(S52.7.3)、臨時百万遍行き(1803)ほかに高野、熊野神社前、千本北大路、西大路四条行きなどの臨時系統があった。(S53.9.29) 2005010312 2005010324 2005010313 2005010326

2005010329急行運転

朝のラッシュ時は急行運転がありました。全便・全系統で実施され停留所をひとつかふたつ分通過運転、いわば停留所の間引きです。これは速くて便利でしたが、止まらない停留所の近くに住む人間には(-_-メ)・・・・・
写真、22系統(1931)洛北高校前、通学で3年間お世話になった母校前を走るのも今日が最後。(S53.9.30)
20050103178番と九条車庫

九条車庫は末尾7,8,9を受け持っていました。系統番は紺色です。路線の廃止が進むと16系統や22系統を受け持った時期もあります。自宅から遠いところを走る系統のためふだんはあまりなじみがありませんでしたが、廃止直前はよく通いました(^^)
 写真、8系統(1809)博物館三十三間堂前を走る七条線さよなら電車(S52.9.30)16系統(1849)8系統(1809)ほか、九条車庫前にて(S52.9.30)
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2005010334さ よ な ら
←京都駅前に進入する最終日の6系統廃止まであと数時間(S53.9.30)
烏丸車庫前を発車する終電車。運転手さんが帽子を取って乗客に挨拶したのが忘れられない・・・・・このあと日付が変わってからも数台の回送車が九条車庫に向かって走っていった。午前2時過ぎ架線の電源が切られ市電は83年の歴史を終えた。(S53.9.30)↓
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2005.01.03

京都市電の思い出(1)

京都市電が廃止されて早いものでもう四半世紀の時が経ちました。思い出すままに、市電のことを書いてみます。

2005010338北野線
北野線は母の実家が西陣にあったため幼児ながら目にする機会があったようで記憶の中にオープンデッキから乗りこむとき、前照灯か何かの出っ張りがあったことを思い出します。廃線後も長く北野車庫前にN27号車が保存されているのを見ているだけにこれと混同しているかもしれませんが。写真、復元され動態保存中のN27号(梅小路公園)
2005010301伏見・稲荷線
日本最初の電車という輝かしい歴史を持つ伏見線も、市電広軌線の中では一番最初(昭和45年3月)に廃止されました。この年は大阪で万博のあった年で私は小学6年でした。伏見線がなくなるのを知った親に連れられて、京都駅から中書島まで乗ったのが伏見線の最初で最後の体験です。稲荷支線の方は、正月の伏見稲荷への初詣で何度か乗っています。稲荷電停の混雑と、京阪の平面交差の向こうに信号待ちする電車が並んでいるのをうっすらと覚えています。写真、堀川鉄橋の遺構
2005010302トロリーバス
梅津線(四条大宮-松尾橋)のトロリーバスも一度しか乗った記憶がありません。嵐山方面へハイキングに行った折に乗ったのですが、この車内かその前に乗った四条大宮行きの京都バスに水筒を忘れて親に叱られたので覚えているのでしょう(^^; 梅津段町や松尾橋には折り返し用のスペースがあって、松尾橋はいまも市バスが転回場として使っています。写真、北野線代替の50系統バス
20050103031番と壬生車庫
市電の系統番号は車庫毎に決まっていて、壬生車庫は末尾0と1でした。中でも 1系統は壬生車庫を基点に四条・東山・今出川・千本線と市内中心部を循環する市電の顔でした。母の実家へ遊びに行き、そこから繁華街へ出向くときによく利用しました。小学校の頃、社会見学で壬生車庫を見学する機会がありました。中はかなり広くトラバーサーやトロバスの整備場を兼ねるため、ダブル架線が四条大宮から構内へ引かれていたのを覚えています。整備士さんに集電装置をさして「ポールを直している。」と言って「これはピューゲルというのだ。」と教えてもらった記憶があります。四条・千本・大宮線の廃止時(昭和47年1月)に他の壬生車庫所属系統と運命をともにしましたが、当時は市電の廃止より代替バスに興味があったようで、代替バスの運行図を切り抜いて、烏丸車庫から九条車庫まで乗り歩いています。まだカメラも持ってなくて写真も残っていません(,,) 写真、北野神社前の記念碑
500型と700型
500型は大正時代から昭和初期に製造された大型3扉車です。私が乗った頃はすでに2扉者化されてましたが、中央扉を閉鎖したしたあとはそのまま残っていました。丸いずんぐりしたスタイルは子供こごろにも古臭く見えました。多分1番で乗ったのでしょう、千本今出川の交差点を回っていくところを記憶しています。
700型は昭和33年からの製造で私と同世代です(^^) 電車は出来てすぐ働き出すとしても一番年長車でも20年も経たずに廃車されたのは惜しまれます。烏丸線を上る電車に乗った記憶がありますが、スマートな車体と4枚折戸のドアがかっこよかったです。数年前まで、近くの公園に一両保存展示されてましたが、老朽化で解体されたのは惜しまれます。
ほかに乗れた形式に1000型があるはずですけど、こちらは記憶にも残っていません。たぶん他の形式と似ているので気が付かなかったのでしょう(^^)
信号塔と進路表示機と電車信号
 信号塔は操作員がやってきた電車の行き先を確認してポイントを切り替えるための場所で、交差点の角に建っていました。私が見た頃は自動切換えになってすでに空室のようでしたが。進路指示機は丸い信号番に直進、右折、左折をしめす灯列が並び一定間隔毎に切り替わって、その指示のときに電車が乗り入れると電気信号でポイントを切替えるものです。河原町今出川や千本今出川、七条烏丸の北行は3進路ともあって、進路が「直列」「左斜」「右斜」の7灯、信号も「」「」「」「」「」「」「×」の7灯もついてカッコ良かったです。
ツーマン復活
 烏丸線が廃止された頃からこの河原町・七条線が廃止された頃までの間、マンマン化された車両を再びツーマンに戻して走らせていました。1600型(錦林)、2000・2600型(烏丸)が黄色のやや細い帯を巻いてマンマン表示も外していたように記憶します。「路線の縮小で出た余剰人員対策だ。」などと言ってましたが、写真が手元に無いのでよく分りません。どなたかよくご存知方がおられましたらコメントお待ちしています。

 

2005.01.01

謹賀新年

みなさま、明けましておめでとうございます。
本年も「線路際のピンぼけ写真館」をよろしくお願いします。

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