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2006年4月に作成された記事

2006.04.29

祝竣工!!

とうとう、竣工、引渡しの日を迎えました。

Syunko デザオ建設のみなさんと家族で、ごく内輪に、竣工式らしきものを執り行いました。
と、云いましても、引渡しの書類にサインし、鍵を受け取り、記念品を頂き、現場主任さんと営業課長さんにご挨拶をいただき、施主側からお礼を述べて終わりです。

地鎮祭や棟上式に比べれば拍子抜けするようなあっけなさです(笑)
まあ、個人住宅ですし、挨拶にあるように、「これが終わりではなく、これから長いお付き合いの始まり。」
ですから、簡単にすんで大助かりです(^_^;)

セレモニーのあと、各種設備の使い方を教えてもらい一段落です。工事関係者の方を見送ってから、椅子も机も、コップひとつもないので(笑)、缶コーヒーを飲み、部屋に車座になって、引越の段取りを打ち合わせました。

まだ、すこし追加工事が残っていますが、これで「家を建てる」シリーズはお開きにしたいと思います。
落ち着いたら、新居の住み心地をレポートしていきますので、引き続きご愛読ください。
そして、今後、新築・改築をお考えの方にすこしでも参考になれば、望外のよろこびです。

(追記)
Kitanoorganic 我が家の竣工と同じ今日、デザオ建設さまの北野展示場に、あの「帝国ホテル旧舘」「淀川製鋼迎賓館」で有名な、「フランク・ロイド・ライト」氏の設計思想を引き継ぐ「オーガニックハウス」展示棟がオープンしました。
わたしも、竣工の半月ほど前に、工事現場を実見する機会がありましたが、建築に興味のある方には一見の価値があると思います。天神様の縁日の帰りに立ち寄って見られてはいかがでしょうか。

(追記の追記) オーガニックハウスの施工は、我が家とおなじM現場主任さまです。このような会社の顔になる建物とおなじ監督さんに拙宅の現場管理をしていただいたことを、重ねて感謝します。

2006.04.28

【叡山】GWの休日特別ダイヤ

叡山電車は、GW期間中「休日特別ダイヤ」で運行します。

駅の掲示やHPリニューアルされています。) によれば、

叡山本線
◆ 出町柳発 八瀬比叡山口ゆき…9:28~17:04の間、12分間隔で運転
◆ 八瀬比叡山口発 出町柳ゆき…9:33~17:21の間、12分間隔で運転
鞍馬線
◆ 出町柳発 鞍馬ゆき…9:00~17:00の間、12分間隔で運転
◆ 鞍馬発 出町柳ゆき…9:21~17:21の間、12分間隔で運転
(ただし、11:57発はなし、この空き時間を利用して、鞍馬発の列車を直ぐの折り返しから、一本落しでの運転へ切り替えます。)

上記以外の時間帯は、おおむね休日ダイヤに準じて運転と、なっています。

20060428071258_1 従来の休日特別ダイヤは、叡山線が6~12分間隔の、8本/時のことが多かったのですが、
今回は、両線とも12分間隔のきれいなパターンダイヤになっています。

2006.04.27

竣工検査

 旧居の取り壊しから4ヶ月半がすぎ、いよいよ竣工検査にまで漕ぎ着けました。午前中は、銀行へ出向いて住宅ローンと登記の手続き、その間に、工務店さんの品質調査部門の竣工検査がありました。報告では、少々のダメがあるものの、おおむね良好との判定です。

Kensa01 午後からは、施主立会いでの検査に入ります。まだ、カーテン屋さんや電気屋さんが最後の仕上げに入っていますが、外構・内装とも申し分の無い仕上がりです。特に外装は、施工時のテカリ感が落ち着いて、回りの雰囲気にマッチした、シックで、なおかつモダンな仕上がりになり満足しています。通りすがりの近所の方も、引越し前に見せて欲しいと2,3人お見えになりました。

内装も、工事中の散らかりが掃除され、家具も入っていないのでより広くみえます。もう一度メジャーを当てて、寸法を確認しました。

最後に、表札とポストの位置を指定して、今日の検査はおわりです。いよいよあさってが、引渡しになります。天候不順な中、工事していただい監督さん、職人さん、そして営業さん、設計士さんありがとうございました。

いままで、あえて施工会社の名を伏せてきましたが、ここで感謝の意を込めて公表させて頂きます。

施工は株式会社デザオ建設様です。
京都近辺で、住宅の建設をお考えならば、一度ご相談されることをお勧めします。

奈良線の思い出

最近、リンクをお願いした、懐古趣味さまの「懐古趣味の鉄道写真帳」で’70年代の奈良線の写真をたくさん見せていただきました。思い出すままに、ひと昔前の奈良線のことを書いてみます。

「京都駅の奈良線ホーム」のこと

20060317200549 京都駅の8番ホーム(現10番線)は奈良線専用のホームでした。ホームの外れに運転室があって、ここに助役さんが待機して、通票閉塞器を操作していました。

今は、8、9番線になっている付近は、奈良線の貨物待避線があって、DE10に牽かれた荷物列車や貨物列車が発着していました。1番線に着いた、EF58牽引の荷物列車のうち、数両を切り離して入替が始まります。
まず、東の鴨川鉄橋のあたりまで前進して、ここから戻って、1番線東端の荷物ホームに一両、7番線西端の荷物ホームに一両と置いて、最後に、奈良線の待避線に二・三両置きます。入れ替わりに、荷物を積み終わった車両を引き取って、それを東京側に繋いで、入替え完了。30,40分ほど掛かったでしょうか。

ゴハチが米原へ向けて発車する頃、高倉陸橋下の待機線にいたDE10が奈良線荷物列車の先頭につきます。助役さんが通票を渡して、発車です。新幹線とタブレットの受け渡しが当時に見られるのは、なにかアンバランスな感じでした。

「東福寺駅」のこと

Toufukuji 京都へ帰って、わざわざ東福寺へ回り、そこから三条へでて、回数券か定期で下車して、国鉄の長距離切符を集めました。奈良向きの先頭車は、キハ10系のことが多く、一駅だけですが、よく乗りました。スリムな車体と、低い背摺の座席が印象に残っています。奈良まで乗りとおすときは、もちろん、キハ45系や58系の乗り心地の良い車を選びましたが(笑)。ばい煙でくすんだホームと、京阪の助役さんが国鉄の運転係も兼ねて、列車を見送る姿がいまもまぶたに残っています。
駅南端の奈良線の乗り越しを越えて、ホームを通過していく京阪特急の最後尾で、車掌さんが挙手の礼をして、助役さんが答礼で見送るのも、いかにも鉄道員らしくて、カッコ良かったです。

「稲荷駅」のこと

稲荷駅といえば、ランプ小屋や市電稲荷支線が鉄道好きの間では有名ですが、私は、駅の北側にあった貨物ホーム跡?付近に興味がありました。疎水のそばを走る気動車を一度カメラに収めようと思っているうちに、複線化でイメージが大きく変わってしまいました。

「桃山-六地蔵間」

桃山駅の北側には貨物駅があり、お酒を運ぶタンク貨車が出入りしていました。いかにも酒の町伏見の玄関らしい風景でした。いまはタンクローリーで全国へ出荷しているのでしょう。
桃山から奈良へ向う線路は桃山丘陵のふちを走り、並行して走る近鉄や京阪と数百メートルしか離れていないのに、急に山間部に入り込んだような感じになります。ここを走るといかにも汽車に乗って旅している気分にさせてくれます。六地蔵駅は1992年の開業ですから、非電化当時は、桃山の次は木幡になります。

「宇治駅」のこと
奈良線近代化工事で、この駅のイメージも大きく変わり、ある意味で平凡な駅になりましたが、昔は、東洋レーヨンの工場や自衛隊の基地へ向う貨車の入替があり、広い構内を車両が行きかっていました。宇治橋たもとの踏切から見ると、腕木信号機が何本も立ち、助役さんが自転車に乗って、タブレットを機関車から機関車へ運んでいるのが見えました。それほど構内は広く、貨物列車も長かったわけです。

このさき、新田、木津、奈良と走っていくわけですが、記憶に残っているのはこのあたりまでなので、この辺で下車したいと思います。

2006.04.23

夙川鉄橋の思い出

某掲示板で、西宮の夙川鉄橋の画像をみつけました。

夙川鉄橋は、タイガースの応援歌でも有名な六甲山から大阪湾へ注ぐ清流にかかる鉄橋で、北から阪急・JR・阪神の順に鉄橋が架かっています。場所は、西宮市ですが、一般には芦屋の奥様・お嬢様(笑)で有名な、高級住宅地の一部とみなされています。

付近には、芦屋川、武庫川、住吉川などの大小の河川があり、散歩するひと、釣りするひと、甲子園球場に向かう人、もちろん電車を写す人でもにぎわっています。私も、この付近で何枚か電車の写真を写していますし、虎のメガホンを持って町をうろついた楽しい思い出もいっぱい持っています(^^♪

もちろん、いまわしい記憶もあります。10年前の冬、この付近は未曾有の天災に見舞われ、この川原も瓦礫で一杯になり、線路も飴のように曲がりました。その不通になった線路や大渋滞の国道を歩いて、大阪から神戸まで物資を届けたことがあります。
尼崎の事故の記憶もあって、今でも最近のJR神戸線の写真は写す気がしないのです。

Jr_kitakinki この河川公園は葉桜から新緑の時期となり散歩に一番好都合な時分になっています。甲子園浜では、潮干狩りのシーズンに入ります。阪急と阪神の大合併が新聞を騒がす今、また阪神間の名撮影地を訪ねてみましょうか。

【叡山】宝ヶ池鉄橋の今昔

京福叡山線、宝ヶ池-八幡前間の今昔です。この企画は、鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を楽しんでもらおうと、はじめました。
いつもお世話になっています、やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板とのコラボレーションでお届けします。画像管理者の方の許可が得られましたので、改めて新旧並列のUpdate版を掲載しています。

Takaragaike_old
宝ヶ池-八幡前間の宝ヶ池鉄橋に差しかかる、デナ21の出町柳行きです。前回紹介した、宝ヶ池-三宅八幡間と旧の大原街道(現R357号線)をはさんだ反対の場所で、同じ時に撮影されています。一面の草原の築堤をポールを上げて走って行きます。

(C)奥野利夫/画像管理者の掲載許可済/無断転載を禁ず。
Takaragaike_new01

同じ場所の40数年後の姿です。一面の田んぼと草原だった築堤も、びっしりと家が立ち並び、新しい道路もでき、古い写真と同じアングルで写すと、電車の後ろ半分が民家に隠れてしまうので、すこし左へ寄せたアングルで写しています。

Takaragaike_new02_1 下を走る道路も改修され、最新型の行き先表示器がデジタル表示になったバスが大原へ向かっていきます。

個人的な感想では、この場所は反対側の花園橋の上から写すほうが、比叡山がバックにかぶって好きです。叡電のポスターや記念切符の図柄にも採用される、名撮影地のひとつでもあります。
(反対側の作例は、下のバナーの「私鉄館」・「切符館」より「叡山電鉄」のページへ進んでご覧ください。) 2006年4月23日撮影

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2006.04.22

引越し大作戦はじまる

 工務店の営業さんから電話がかかって来て、竣工引渡しは、
4月29日大安吉日の午後からに決まりました。

Img_1925 マンションでは引越し大作戦が開始されました。部屋はダンボールに占領され、パソコンも部屋の隅に追いやられています。

2006.04.16

引越しの段取り

いよいよ、引渡しまで2週間となり、引越しの段取りを決めることになりました。

Img_1846 最初は、仮住まいへ移ったときにお願いした運送屋さんにまた頼むつもりだったのですが、電話すると「4月の引越しシーズンでトラックが出払っているので。」と、あっさり断られてしまいました。それで、パンダマークの引越屋さんにお願いすることにして、現地を見てもらって、見積もってもらいました。やはり2世帯住宅への引越ということもあり、2日間に渡る作業となるため、予算オーバーぎみです(~_~)

電話の移転もNTTに電話すると、おなじ理由で引越当日の作業は無理で、数日後の開通となりました。ひっこし直後は、インターネットもすこし休止ですね。ブログの更新くらいは、ケータイでもできそうですが。

打ち合わせを終わってから、家具の配置を決めるため、再度、現場へ足を運びます。メジャーを当てて、細かく採寸していきます。さすがにプロの仕事だけあって、狭いところも、きっちり収めてあります。

このさき、しばらく休日をつぶして箱詰め作業となります。狭いマンションが、段ポールで占領されてますます狭くなります(笑)

2006.04.14

【叡山】えいでんだより「創刊号」

叡山電鉄の広報紙「えいでんだより」が創刊されました。

Eiden_dayori01_1 体裁は、A4版のパンフレットです。
内容は、発行の挨拶、16日からのダイヤ改正、定期券の発行時間変更と続きます。

ダイヤ改正は、京阪のダイヤ改正に合わせた、接続改善がメインですが、時間帯によっては、ダイヤパターンが大幅に変更になっています。従来は、京阪との接続がタイトな列車が多くて、乗換に駆け足になる場合が多かったのですが、便利になりそうです。

細かいところでは、修学院車庫を出庫して、一乗寺から営業開始する列車が朝にありましたが、それがなくなっています。おなじく朝に、900系きららが八瀬比叡山口に乗入れる運用も無くなるようです。
Eiden_dayori01_2

裏面には、叡電20年の歩みといった記事も載っています。ポールが廃止され、京福から分離したのは数年前のような気もしますが、もうふた昔前になるのですね。

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2006.04.09

内外装の決定

4月に入っても、天候不順な日が続き、外構まわりの職人さんは難儀しておられますが、内装工事は、内天井も張られ、だいぶん部屋らしくなってきました。

01_2 昨日、今日と、内外装の別途工事分の打ち合わせに行って来ました。外構では、隣家との境界の塀の仕様決めがメインです。今建っている塀もだいぶ古くなってきたので、この際取り壊して、すべて新調することにしました。下にブロックを敷き、その上に目隠しを兼ねて、フェンスを立てる予定です。2階、3階の吹き抜けにも、目隠しのためフェンスを立てることにしました。


04_1玄関回りは、表札とポスト、玄関灯のデザイン決定が主なところです。家の顔になる表札は、桜御影石という大理石調のピンクがかった石に彫りこんでもらうことにしました。いまはコンピュータ彫刻で、かなり変わったデザインでも彫りだせるそうです。

02_1 カーテンも、クロスやフローリングの色目に合わせて選んでもらいました。リビングダイニングと和室はやはり明るめの色調で、客間は重厚な布地を選び、外窓は一般的な両開きですが、内窓は、スライド式にしてアクセントにしました。寝室は当然、遮光性と静寂を重視しています。
(写真はカタログの切り貼りですので、こんな立派な部屋にはなりませんのでお間違えなく(笑)

最後に、住宅ローンの申し込み書を渡して、工務店さんの事務所での今日の打ち合わせは終わりましたが、家に帰って工事現場をみてイメージの調整と電気工事屋さんの打ち合わせ、明日は登記の件で司法書士さんとの打ち合わせ、今週末までに、登記のため、区役所と法務局へ、ローンのため銀行に出向くと、予定がいっぱいです。

鴨川さくらまつり

4月に入っても天候不順で、さくらの開花が遅れていましたが、京都でもこの土日に満開になりました。
春風に誘われて、鴨川に花見に行ってきました。

01 会場の植物園に近づくと、人も車も多くなり、駐車場は30分街の盛況です。
ここの土手は「紅しだれ桜」の並木が名物で、写真のように、ピンクの花が川風に揺れています。

屋台もならび、お菓子や食べ物や京都土産も売っています。主催が「鴨川を美しくする会」のため、環境美化を訴える展示も目立ちます。

もちろん、雅なイベントもあります。桜の下での野点のお手前は、まさに絵に描いたような風景です。
ほかに、雅楽や日本舞踊の発表会もありました。

03
02 この散歩道は「半木の道」と呼ばれるのですが、この読み方はなんでしょう?難読地名ですよ。 btn415b

2006.04.04

【叡山】三宅八幡付近の今昔

京福叡山線、宝ヶ池-三宅八幡間の今昔です。この企画は、鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を楽しんでもらおうと、はじめました。
いつもお世話になっています、やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板とのコラボレーションでお届けします。画像管理者の方の許可が得られましたので、改めて新旧並列のUpdate版を掲載しています。

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宝ヶ池-三宅八幡間を八瀬(現八瀬比叡山口)駅に向う、デナ24の単行です。左手の道は、旧の大原街道(現R357号線)です。撮影メモによれば、天皇誕生日の祝日で、国旗を掲げる家も見られます。当時は、ボンネットバスの京都バスが、まだ未舗装の旧街道を、砂埃をあげてを大原へ通っていました。
昭和34年4月29日撮影。
(C)奥野利夫/画像管理者の掲載許可済/無断転載を禁ず。
Miyake_new01
同じ場所の40数年後の姿です。現地へ行って驚いたのは、背景の北山の山並みは別としても、小さな踏切、信号、そして国旗を掲げた家は建て替えてましたが、その隣の茅葺トタン張りの家が、21世紀の今も、まだ残っていたことです。この道は、昭和40年代に新道が出来て、バス路線もそちらに移り、いまだに旧街道の面影をよくとどめています。
2006年3月19日、墓参の帰り道に写す。

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2006.04.03

【叡山】修学院車庫の今昔

京福叡山線の今昔の第三弾は、修学院車庫です。この企画は、鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を楽しんでもらおうと、はじめました。
いつもお世話になっています、やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板とのコラボレーションでお届けします。画像管理者の方の許可が得られましたので、改めて新旧並列のUpdate版を掲載します。

Syusyako_old01_1

修学院車庫の昔です。私の子供の頃、見慣れた懐かしい風景です。この写真には写っていませんが、車庫の右手の柵沿いには桜並木があって、春は線路がピンクに染まりました。ちょうど電車に奥にある保線小屋の左手の柵ぞいには、イチジクの木が植えてありました。夏になると熟した実を失敬して、まわりの田んぼに隠れて食べたものです。
車庫に入って電車の周りで遊んでも、ぜんぜん怒られませんでした。古き良き時代です。
(C)奥野利夫/画像管理者の掲載許可済/無断転載を禁ず。

Syusyako_new01
今の写真を見て分かるように、線路配置はほとんど変わっていません。変わったのは、線路際に家がいっぱい建ったこと。背景の山並みをほとんど隠しています。車庫内の空き地も、職員駐車場になり、塀も高くなって、電車の形式写真も撮りづらくなりました。今は、撮影許可を求めても、許可にならない日もあると聞きます。

2006年1月22日撮影
次は、宝ヶ池-三宅八幡間の今昔です。

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2006.04.02

カードコレクション(3月分)

最新収集した、カード・チケット類の中からいくつか紹介していきます。ある程度まとまったら、HPの「切符館」で分類→公開する予定ですが、いつになることやら(^^ゞ

2006年3月の収集品

図柄  名称、発行日
発行箇所、金額
060302 スルッとKANSAI
レインボーカード
ゆめはんな
2006/03/01
新金岡駅
2000円
060313 スルッとKANSAI
Kカード
桜(加茂川堤)
2006/03/13
樟葉駅
1000円
060330 スルッとKANSAI
ラガールカード
神戸(甲陽)線
普通6000系
2006/03/30
門戸厄神駅
1000円
060328 スルッとKANSAI
コンパスカード
高野山 大門
2006/03/28
貝塚駅
1000円 
Izumo_1  オレンジカード
ありがとう出雲
2006/03/17
米子駅
1000円
(通信販売で購入)
Izumo01_1 Izumo02_1   ありがとう出雲
のカード台紙
(クリックで拡大) 
060325_2_1
060325_1_1
嵐電一日フリーきっぷ
(クリックで拡大) 
2006/03/25
北野白梅町駅
500円

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【叡山】元田中付近の今昔

このコーナーは、鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を楽しんでもらおうという企画です。
いつもお世話になっています、やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板とのコラボレーションでお届けします。画像管理者の方の許可が得られましたので、改めて新旧並列のUpdate版を掲載します。
まずは、地元「京福電鉄(叡山電車)」の今昔から・・・・・

Mototanaka01

この写真は、奥野氏の写真の中でも珍品の部類に入るであろう電動貨車のデワ101の走行写真です。
私は、この貨車が走っているのは記憶にありません。いつみても車庫の隅っこか、砂利置き場の側線で日向ぼっこしていました。おそらくは終電後に工事列車として走っていたのでしょう。

撮影場所は、元田中-茶山間です。電車進行方向すぐ先が元田中駅で、有名な京都市電との平面交差がありました。奥野氏の撮影当時は、市電-叡電の連絡線もあって、市電の1000型が市内線から叡電宝ヶ池まで直通運転していました。
私はこの平面交差で市電の「さよなら電車」と叡電のポールカーの「お別れ電車」を見送りました。
(C)奥野利夫/画像管理者の掲載許可済/無断転載を禁ず。

Mototanaka_new01
この画像は、やはりHPの「我楽多館」の「叡電写真散歩」で公開中の
偶然同じ場所で写した写真です。線路が急カーブしていて写し易い
場所です。今も昔も、絵になる場所は、カメラマンを引き付けるのですね。
2006年1月22日撮影
次は、修学院車庫の今昔です。

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【叡山】出町柳駅の今昔

このコーナーは、鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を楽しんでもらおうという企画です。
いつもお世話になっています、やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板とのコラボレーションでお届けします。画像管理者の方の許可が得られましたので、改めて新旧並列のUpdate版を掲載します。
まずは、地元「京福電鉄(叡山電車)」の今昔から・・・・・

Demachi01

出町柳駅に進入する、デナ1型2連。昭和39年撮影

昭和39年の撮影になっていますが、まさにこの年の秋に、この電車はデナ500型と置き換えに廃車になりました。最晩年の貴重な写真です。奥野氏も無くなるのを意識されて写されたかもしれません。
私は当時、幼稚園の大きい組で、宝ヶ池公園に行った帰りに乗った電車が、この1型だったようなかすかな記憶があります。 

「昔」の写真を見て思うのは、駅の立て看板の多さです。当時はいまほどマスコミも発達しておらず、多くの人が行き交う駅の交通広告は格好の宣伝媒体だったのでしょう。「雄琴温泉」や「皆生温泉」の旅館の看板まで見えます。

(C)奥野利夫/画像管理者の掲載許可済/無断転載を禁ず。

Demachi02
出町柳駅の「今」です。線路配置などはほとんど変わっていないようにみえます。写真には写っていませんが、一番線(左の線路)は、京阪鴨東線が地下鉄で乗り入れてきたときに、すこし後退させられ、有効長が1両のみの短いホームに切り詰められています。
2006年3月25日撮影
次は、元田中-茶山の画像です。

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2006.04.01

ネット生活13年目に入りました

早いもので、この4月でニフティに入会して、丸12年になりました。その前に、草の根ネットで一年たらずアクセスしていた期間を含むと、ネット生活は13年になります。

Niftyserve_2   はじめて、コンピュータと電話線を繋いで通信するのを見たのは、某コンピュータメーカーのユーザー会でした。その会社は外資系で、いわば富士通のライバルになるのですが、なぜか、ニフティサーブのコーナーがありまして、弁当箱のようなモデムをやはりおおきな図体をしたパソコンにつなぎ、それで会場のホテルと東京のセンターをつないで、チャットの実演をやっておりました。

そのときくれたパンフレットには、電子メール・フォーラム・その他各種情報がお手軽に取り込めます、日本国内はおろか、世界中と交信できます。と、宣伝してました。

そのあと、会社のIDで、業務上の交信をするようになり、すぐに自分のIDもとりました。やがてプロバイダをニフティに切替、鉄道フォーラムや観光フォーラムを中心に、朝から晩までパソコン通信の時期もありました。
折りしも、阪神大震災が起こり、ネットの有用性が認識され、インターネットそしてブロードバンド通信時代と発展していきます。

コンピュータ室勤務の仕事のため、一般の人よりは少し速くコンピュータ通信に触れる機会があったとはいえ、いわいる「ネチケット」を身に着けることが出来たのも、「メル友」がたくさん出来たのも、ニフティのフォーラムのおかげでした。そのパソコン通信もとうとう3月末で完全に廃止されました。マニュアルを片手に、一行一行コマンドを打ち込んで、通信した頃がなつかしいです。
12年間お世話になりました。

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