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2006.07.22

【京阪】中書島駅の今昔(1)

京都の鉄道今昔、今週は京阪中書島駅の今昔を2回連続でお届けします。鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を対比しています。
やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板との共同企画になっていまして、掲示版の約一ヶ月後に私のブログで、Update版をお届けしています。
12_chusyojima_old01 画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫.
もと投稿には、管理人さんの
駅構内には,架線がいっぱい張りめぐらされ,ホームも三面見えて大きなジャンクションの駅のようです。ホームの照明はまだ白熱灯のようです。
電車は先週,懐古趣味さまから教えられた奈良電乗り入れの車両のようで,224とあります。二重屋根の好ましいスタイルの小型車ですね。
やはり,「宇治」行きのサボをつけています。」

という、コメントが入っています。やはり200系電車のその後(この話題は来週の東山三条の今昔へ続きます。)をはじめ京阪の今昔の話題で盛り上がりました。
12_chusyojima_new01
今の写真は夜の中書島駅ですが、配線やホームの構造は当時とほとんど変わっていません。電車や線路の説明は、掲示板を見ていただくとして、駅名の由来を書いておきます。

以下の文章は、10年も前にその頃入会していたニフティの観光フォーラムへ投稿し、さらに私のHPへ転載したものの抜粋です。

『月桂冠のブランドで有名な大倉酒造の「大倉記念館」が宇治川派流に黒壁を見せて並んでいるのを見ながら、「長建寺」へ入ります。ここは中書島の弁天さんの名で親しまられています。ここに「中書島」の由来を書いた説明板が立っています。それによれば、ここには昔、脇坂淡路守の屋敷がありました。お殿様が中務卿に任じられたのですが、中務省を中国では中書省と呼び、宇治川が改修されるまでは、この付近は宇治川の中洲で島になっていたので、中書さんの島で「中書島」となったのだそうです。
その、京阪中書島駅前を通って、「伏見港公園」に向かいます。ここはかつての伏見河港のあとで、屋形船や屋形船をかたどったベンチ、時代がかった、水門などがあります。陸上交通が未発達の時代、淀川も三十石船に代表される水運が発達していました。伏見港には大阪方面から物資が運ばれ、京の都へと送られていました。陸上交通の発達とともに水運は衰え、今は観光用の屋形船にのみ、その面影をとどめています。』

添付の地図(下のアドレス)を見ると地形が宇治川とその派流に囲まれた、「島」になっているのが、良くわかりますね。
http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E135.45.52.3N34.55.30.4&ZM=10
12_chusyojima_new02_1
伏見港公園の様子を描いた図柄の京阪のKカードです。
次回は中書島駅の今昔(2)です。
link_01 link_02 link_03 link_04

(追伸)
この文章を書く前に、メールを確認すると、ニフティからフォーラムの廃止のお知らせが、入っていました。フォーラムに入りたくて、パソコンを買い、フォーラムで多くの情報と友人・知人にめぐり合えたことを考えると、時代の流れかもしれませんが残念です。

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