【京阪】東山三条電停の今昔
京都の鉄道今昔、今回は京阪東山三条電停の今昔です。鉄道雑誌の記事などで有名な「奥野利夫」氏が撮影された、昭和20~30年代の京都近辺の鉄道写真と、私の撮影した最近の画像により、京都の鉄道の今昔を対比しています。 やぶおさんのHP「寝台券は売れ切れ満席」の掲示板との共同企画になっていまして、掲示版の約一ヶ月後に私のブログで、Update版をお届けしています。 |
画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫 |
元投稿には、管理人さんの「2両連結の連接車で,前面には急行の表示があります。そして側面には「びわこ」の文字が見えますが文字が右書きですから,戦前製の電車なのかもしれません。ポールを2丁装備し,真ん中にはたたんでいるようですが,パンタも装備しているようです。 車体も大型でなかなか頼もしい路面電車です。お客は満員で立ち客も見えます。真ん中当たりで学生帽をかぶった高校生あたりでしょうか。窓を開けて車窓を楽しんでいます。向かいの安全地帯には,あぐらをかいて反対の電車をまっている子供の姿が・・昭和30年代の少し大きな町ならどこでも見られた光景なのでしょう。」 と言うコメントが入っています。 急行のため停留所を通過中の電車は、有名な連接車「びわこ」号です。元投稿のコメントにもありますように、パンタグラフとポール、高床用と低床用のドアを備え、京阪本線と大津線の直通特急として活躍しました。 昭和31年の撮影当時は、まだ臨時列車としてですが、京阪線と大津線の相互運転に活躍しています。 |
今の写真は、東山三条の停留所があった、古川町商店街前です。京津線の三条-御陵間は、97年の秋に地下鉄東西線と置き換えられて廃線になりました。道路も回りの民家もどんどん変わって、地下鉄の出入り口が唯一、ここに路面電車が走っていた名残をつたえています。 |
「びわこ号」は、昭和45年に廃車になった後も長く錦織車庫で保管されていました。後に、ひらかたパーク、寝屋川車庫と保存場所は変わりましたが、今も京阪の宝として大事にされています。 上の写真は、びわこ号が、ひらかたパークのリニューアルに合わせて、化粧直しされたので、鉄道ファン仲間と見に行ったときのものです。夏休みに、おっさん連中だけで遊園地に入るのは勇気がいりました(笑) 下は、寝屋川車庫で保管中の('05年の鉄道の日のイベント)写真です。子供たちに囲まれて、古い電車もさぞかし喜んでいるでしょう。 イベント以外でも、許可を得ると見学できる場合もあります。 |
次回は「京都市電祗園電停」の今昔です。 |
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