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2006.09.22

【JR西】京都駅西方の今昔(1)

京都駅西方の今昔です。
やぶおさんの掲示版に連載中の京都の鉄道今昔の取材の途中に、ここの昔の写真が張り出されたので、今の状況を見にやってきました。

元発言には、管理人さんの
撮影は京都駅西方と思われますが、いかがでしょうか?
バックにちらっと見える建物は京都中央郵便局だと思うのですが?

昭和39年のEF60はまだ茶色塗装でした。
青色に塗り替え直前の姿でしょうか。
所属札には『吹田』とあるようですが、お詳しい方、解説願います。』

とのコメントが入っています。

02a_takii_old01 画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫
これに対して、『京都駅西方で間違いないです。タキイ種苗の前あたりでしょう。入れ替え中の写真ではないでしょうか?』
『今は、建物がいっぱい建って、この位置からは中央郵便局は見えないです。』
『1965/S40年には、すでにブルーに塗り替えられたEF60を見ています。トップ№のため、塗り替えなかったのでは?』

といった、コメントが寄せられています。
私も、『本線列車とすると、北から3本目の線路を走っているようですが、この頃は、まだ京都-梅小路-向日町間の複々線がいまのように方向別ではなく北側が貨物線、南側が旅客線だったのでしょうか。
京都駅構内で客貨線が平面交差して運転上不便なので、方向別に切り替えて、下り貨物は地下道を潜って、梅小路操車場にはいり、今、はるか号が通る単線の貨物線を通って向日町操車場の手前で、今度は本線をオーバークロスして、下り外側線へもどる線形に切り替えた話を本で読んだことがあるのですが。』

といった、コメントを寄せました。
Kakii_mae04

今、この場所は線路際がフェンスで囲われて、撮影に不向きになっています。線路敷きの壁面に「安全運転」と書いてあるのですが、これは列車じゃなくて、自動車向けの警告でしょうね。

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