【阪急】西京極駅の今昔
「京都の鉄道今昔」秋冬ダイヤ第四便は、阪急「西京極」駅からお伝えします。このシリーズは、やぶおさんのHP「寝台券は売り切れ満席」の掲示板 との共同企画でお送りしております。こちらも合わせてご覧ください。 |
画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫 |
元発言には、管理人さまの まわりは、緑が多く、阪急電車がなければ、どこかのさわやかな高原の駅とも勘違いするぐらいのすばらしい環境です。 ホームの端に、駅名標があり「西京極」?と読めそうです。 |
私からは、上の写真に、 京都で「西京極」といえば、すぐに「運動公園」という答えが返ってきます。野球場、 野球場ではプロ野球の公式試合、陸上競技場では高校駅伝や女子駅伝が開かれ、球技場はJリーグの京都パープルサンガのホームグラウンドになっています。運動公園の利用者向けの臨時改札口も設けられています。最近は、昼間の急行が高槻市 電車の話から外れますが、「西京極」の地名は前回の「河原町駅」の今昔で出てきた「新京極(東京極)」と対になっています。いまから1200年以上前、京の都が開かれたとき、今の千本通り付近を中心として、この付近が都の西の境界線とされました、東の境界は鴨川で今の河原町通り付近となります。しかし都の西側はあまり発展せず、都の中心はだんだん東のほうへ移っていきます。阪急京都線が開通した昭和初期の地図をみても、西院駅から桂方面にかけては、街道沿いをのぞいてほとんど田畑になっています。昭和39年の撮影当時でも、まだ、京都市内とは思えないのどかな雰囲気が残っていたようですね。 今の写真を見ると、ホームが延長され、上屋も新しくなっていますが、おそらく開業当 |
さらに、上の写真に、 阪急京都線は、京阪間を高速電車で結び、ゆくゆくは、名古屋方面へも延長しようとした私鉄新幹線とも言うべき計画に基づいて設計・建設されました。各駅も待避線の用地を余分にとったり極力、カーブや勾配を減らして高速運転できる線形になっています。 特急「つばめ」を追い越す「P-6」の話は、昔の阪急京都線の話をすると必ず語ら 特に歴史をひもといた記述はなんとも言えません。「西京極」の「極」とは南極、北極と同意の意味があるのですね。 それにしても駅はうんと立派になりましたね。阪急の電車ですが、2300系など従来の電車に比べ最新の9300系などやけに、天地方向に高く見えるのですが 阪急の名古屋乗り入れ構想の話広軌の鉄道だけに実現していたら相当高速な特急電車が走っていたでしょうね。夢のある話をありがとうございました。』 |
このあと、奥野氏の写真に写る「2863号車」にまつわるクイズ、阪急京都線のラインナップ(2300系から9300系まで)の写真と記事のコメントがたくさん交わされました。 このあたりのやりとりは、「寝台券は売り切れ満席」の掲示板でお楽しみください。 |
次回は近鉄(奈良電)の今昔です。 |
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