【京都市電】四条烏丸の今昔
| 「京都の鉄道今昔」秋冬ダイヤ第9便は、再び、京都市内へ戻って四条烏丸からお伝えします。このシリーズは、やぶおさんのHP「売り切れ満席」の掲示板 との共同企画でお送りしております。こちらも合わせてご覧ください。 |
画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫 |
この写真には、管理人様のもと投稿 |
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| これに対して、私から 『最初、この写真を見たときは、電車の行き先表示から京都市内中心部の烏丸通?とは推測してみたのですが、正確にどの停留場の近くかが、なかなか判りませんでした。 ランドマークになる建物などがあればすぐに判りますが、この付近は変化が激しく撮影の頃を知らないと、判定がむつかしいです。 まず目を付けたのが、「福徳相互銀行」と「協和銀行」の看板です。どちらも現在はりそな銀行グループに統合されましたが、りそな銀行の京都支店は、今も四条烏丸にあります。次に、写真の奥に小さく写る建物に見覚えがありました。これは現在、新風館とよばれる若者向きのショッピングビルに改装された、旧電電公社の三条電話局です。私事ですが、父親がここに電話技師として勤めていて、何度か迎えに行った覚え があるのです。決め手になったのは、手前の線路の渡り線です。 電話局、銀行、渡り線の3題話で「四条烏丸電停の北詰」と判定しました。 そうすると、電車は南進して京都駅に向っているところなので、影の向きから見て、午後、それも夏の遅い夕暮れ時のようです。背後の山並みは北山になります。 この写真の電車は、まだポールを前後につけて走っています。おなじ時に撮影された他の写真を見ると、すでにピューゲルに変わっているものもあります。ポールとピューゲルの両方載せている欲張った(笑)電車も走っているので、まさに過渡期であったことがわかります。 この市電の集電装置変更は、昭和30年秋の京福叡山線の宝ヶ池乗り入れの中止のきっかけにもなっています。ちなみに乗り入れに使用されたのも、この1000型電車でした。 管理人様も話題にされていますが、道路を横切って貼られているのが、前の京阪・近鉄(奈良電)の相互乗り入れのときにも少し話題になった、「木津川水泳場」の宣伝幕です。新聞社と並んで、「奈良電鉄」の名前も上がっています。なまちゃんさまのお話では、昭和39年に廃止されたそうですが、私も親からよく話は聞きました。 市内の目抜き通りに宣伝幕を出す位ですから、海の遠い京都では、手軽に水に親しめる天然のプールとして親しまれたのでしょう。ここから市電で京都駅へ行き、そこから奈良電に乗り換えて一時間弱程で着きます。臨時駅も開設されてにぎわったそうです。 奥野氏の撮影の頃は、電車ものびのびと走っています。あるいは盆休み中かもしれません。私の知る四条烏丸付近は、京都市内最大のビジネス街のため、電車もバスも道路も混雑していて、いつになったら目的地に着くかイライラしてつり革を引っ張っていたものです(笑) 変わって、今の写真ですが、撮影に行った日はたまたま時代祭りの日に当たり、市内は時ならぬラッシュに見舞われていました。いつまで待っても車の列が途切れずなかなか撮影のタイミングがやってきません。なんの変哲もない渋滞した道路のスナップしか貼れなくて申し訳ありませんm(__)m 』 と、ちょっと長文のコメントを返しました。続いて下の写真を貼り、 |
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| 『奥野氏の撮影位置とは電車をはさんで対角線の位置の烏丸蛸薬師交差点東側から写すと、このような洋館をバックに走る路線バスの写真が撮れます。この建物はもと銀行でしたが、今はギャラリーに改装されています。この付近には明治時代に建てられた洋館や江戸時代から続く京町家がたくさん残っています。』 とのコメントを返しました。 |
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| 町屋の見本として、この典型的なうなぎの寝床のスタイルが見られるお家を貼ったのですが、意外と好評で、今も「やぶおさんの掲示板」で古民家、古建築の話題が続いています。私は模型はまったくやらないので知らなかったのですが、模型の情景造りに、古民家のジオラマが発売されているそうです。 |
| 次回は嵐電蚕の社の今昔です。 |
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