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2006.11.12

【京福】蚕ノ社駅付近の今昔

「京都の鉄道今昔」秋冬ダイヤ第十便は、京福嵐山線蚕の社駅付近からお伝えします。このシリーズは、やぶおさんのHP「売り切れ満席」の掲示板 との共同企画でお送りしております。こちらも合わせてご覧ください。
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画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫
この写真には、管理人様の
『京都の鉄道今昔もはやいもので第十回を迎えました。初めて嵐電を運転いたします。
撮影は盛夏のことと思います。特等席ではランニング姿の小学生二人が前面展望を楽しんでいます。その隣は車掌さんと,運転士さんでしょうか。

前面の窓が開け放たれて,気持ちがよさそうです。冷房車が普及した現在ではもうこんな光景は見られませんが昔はごく普通に見られた風景なのでしょうね。私も一度真似をしてみたいものです。

ところで,嵐電の車体は重心が低くて特徴がありますね。2両つないでいますが,後ろの1両はまた形式が違うようです。駅名標の一部が見えるので嵐電にお詳しい方なら撮影場所の解明の大きなヒントになると思われます。

嵐電や沿線にまつわるお話しを書き込みいただければうれしく思います。』

とのコメントが入っています。
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これに対して、私から上の写真と共に、
『たまたま、写真に駅名標の一部が写りこんでいますのでどこの駅かはすぐにわかりますが、これが無いと、ココドコ?状態かもしれません。今の写真を見ていただくと良くわかりますが、それほどこの付近は変わっています。

草蒸した線路、板敷きでロープで囲っただけのホーム、車体もベコベコで失礼ながらあまり手入れがされているとは言えません。しかしながら、乗客は一杯です。先頭車の窓から顔を出しているやんちゃ坊主ふたりなどは、私の小学生時代のようです。昭和40年代前半当時でも、Tシャツといった気の利いた夏用の子供服も少なかったですから、よくランニングに短パンで遊びまわったものです(笑)

電車は前がモボ122号、後ろが独特のドア配置からク201型とわかります。番号はちょっと読み取れません。モボ121型は昭和11/1936年、ク201型は昭和25/1950年製ですが、結構長生きして、1995年頃まで一部機器を更新しながらもこの原型のままの活躍が見られました。もちろん冷房などありませんから、夏は窓全開でした。街中の路面区間を走る嵐電の夏は暑かったです。たまに冷房車が来るとほっとしたものです(^^ゞ

1980年代後半から順次車体を更新し、ク201型は今の写真のモボ631型に生まれ変わっていきます。

しかし、奥野氏の当時の写真を拝見しているとどの電車も満員の乗客を乗せて走っている姿ばかり目に付きます。まだ、鉄道が陸上交通の王者として君臨していたよく時代のひとコマなのでしょう。』

とのコメントを返しています。
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続けて、上の写真と共に
『昔の写真のモボ121型は、モボ621型になりました。
今の写真は、蚕ノ社駅の上りホームの後ろから写しています。これから電車でおでかけのようです。私もこの写真を写してから飛び乗りましたが車内は、けっこう混雑していました。朝から、阪急→京福と撮り歩いていて、冷房車でありがたかったです(笑)

この写真を編集していて気が付きましたが、この駅の出発信号機は橙・赤現示ですね。もっともこれから路面区間が続き、道路の最高速度は40Km/Hですから問題ないですけどね(笑) (2006.08.05 撮影) 』

と続けています。
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最後に、上の写真を掲げて、駅名の由来を説明しました。

「蚕の社」とはその名の通り、養蚕・織物の神様を奉った養蚕神社からとっています。正式名は「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてらすみたまじんじゃ)と申しまして、蚕ノ社はその境内にあります。「三本鳥居」という、足が三本ある変わった形の鳥居がここの名物です。(ただし池の中にあって通り抜けることは出来ません。)
おそらく正式な神社名が長いので通称名を駅名に採用したのでしょう。
この付近は古代から秦氏の配下にありました。秦氏は大陸からの渡来民族で、当時のハイテクの養蚕・機織や土木技術を使って、京都盆地を切り開きました。いまも映画村で有名な「太秦駅」にその名を残しています。また近くには秦氏の首長の墓といわれる古墳がいくつか残っています。』

しかし、嵐電には、次週紹介する予定の「西院(さい)」をはじめ、「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」「鹿王院(ろくおういん)」「車折(くるまざき)」など難読駅名がならんでいます。それぞれに由来があります。興味のある方は京福電鉄のHPに簡単な紹介があります。参考にしてみてください。

次回は「西院駅付近の今昔」をお送りします。

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コメント

はじめまして。
モボ121型は子供の頃よく乗りました。
運転士側のみに乗務員扉があった関係で、子供は右のいちばん前の特等席まで行く事ができたんですよね。
モボ301や101には両側に乗務員扉があるため客室と運転台が鉄棒で遮断された構造の為、
子供達には不評だったのでしょうか。
私自身、111、121型の特等席付きの方が好きでした。
我が家では、301、101がデビュー当時から501がデビューするまでの間は、
301、101型を新車、111、121型を古(ふる)車と呼んで区別していました。(汗)

マサヤンさん、こんにちは。

嵐電の旧型車は運転台が半分しかなくて、一番前までいかれましたね。
北野線なんかは、単線で、右側しかホームの無い駅もあって、
そのときは、運転手さんが切符をうけとるので、「邪魔だ邪魔だ。」と子供たちを押しのけていました。

モボ301や101になって運転台が全室になりましたが、仕切りも簡易なものなので、いまでも全面展望は抜群です。
冷房化が進んで、窓を開け放って走ることがなくなったのがちょっと残念ですが。

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