« 【叡電】にも女性運転士が登場へ | トップページ | 夏越の祓い(6月30日) »

2007.06.28

京阪五条駅の今昔

お世話になっている、やぶおさんの掲示板で、京阪五条駅とおぼしき駅に1800系の急行が入線する写真が掲示され、クイズココドコ?になっています。
Gojyo01 画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫
決め手は、電車の横に写る駅名標ですが、ネガを拡大せずとも、京都市内に長く住む30代後半以上くらいの方なら、疎水との位置関係や背後の山並みのかたち、線路際の民家などから、五条駅と気づかれると思います。
Gojyo02
早いもので、この駅が、地下に潜って、5月末で20周年を迎えました。記念Kカードの発売が、不手際で延期になりましたが、6月末に一ヶ月遅れで売り出されるようです。
写真は、今日の帰宅時に写した地上時代の五条駅下りホームの場所です。今は、旧線路敷きと疎水を埋め立てた跡を使って、都市計画道路川端通りになっています。車の列が途切れて、水銀灯の立っている付近が、上の写真の電車のいるあたりです。
バックの祇園らしい民家もマンションや戸建住宅になっています。
Gojyo01_1
五条といえば、「京の五條の橋のうえ~♪」の童謡で有名な、牛若丸と弁慶の戦いの場で有名です。橋のたもとには、ふたりの人形も立っています。
ただし、源義経の活躍した平安末期の五條大路は、いまの松原通りにあたります。五條橋も松原橋のところに架かっていました。それが豊臣秀吉の京都改造(御土居と呼ばれる城壁で市街を取り囲んだりしています。)で、方広寺大仏殿に向かう位置に、五條大橋を移したので、そののちいまの五條通りの名が定着したのです。

さらに、決戦の場は鴨川に架かる橋ではなく、市内の西洞院川(ちんちん電車のN電が走っていた通りです。)に架かる五條橋だという説もあるそうです。川は、明治時代に電車を通すため暗渠にしたそうです。
pinboke_entry

« 【叡電】にも女性運転士が登場へ | トップページ | 夏越の祓い(6月30日) »

コメント

地下にモグモグした鉄道って、あっちこっちにあるんですね(^^)
線路跡が道路になったなんて、長野電鉄みたいですね(^^;
五条大橋と言えば、なんと言っても牛若丸ですね。
さすが、現地には彫刻というか何というか…設置してあるんですね(^^;。
それにしても橋の欄干の上で戦うなんて、某雑伎団みたいですね(^^;。

と言うことは三条大橋にも何かあるんでしょうか(^^)

三条大橋には、東海道中膝栗毛の「弥次さん北さん」の像があります。
ほかに、「駅伝競走発祥の地」なんかも立ってますね。
それによると、大正6年に京都三条大橋から東京上野の向けて
3日間に渡って行われたレースが駅伝第一号なんだそうです。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 京阪五条駅の今昔:

« 【叡電】にも女性運転士が登場へ | トップページ | 夏越の祓い(6月30日) »

フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ