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2007.09.12

【未成線】幻の相武電鉄

掲示版などで、お世話になっております、Harimao 様より、相模原の宮ヶ瀬ダム湖のお話をメールで送っていただきました。

そのメールの中に、「この付近には、かつて(鉄道を通す)計画があったらしい。」という意味のことが書かれています。

津久井湖や相模湖は、東京在勤時代にドライブで何度か行ったことがあるのですが、宮ヶ瀬ダムは知らなかったので、地図で調べてみました。

また、「相模原 上溝 廃線」 などのキーワードで検索してみると、かつて、「渋谷~溝の口(南武線)~鶴川(小田急)~淵野辺(横浜線)~上溝(相模線)~田名(相模川右岸)~田代(愛川町)」を結ぶ計画の「相武電鉄」という鉄道会社が存在していたことがわかりました。

実際に、淵野辺駅から田名村久所までの区間が着工され、路盤が完成し、車両も発注さたようですが、結局昭和初期の恐慌の影響で開業にいたらず、マボロシの線路となったそうです。

私は、廃線や未成線にはあまり詳しくないので、この「相武電鉄」のこともまったく知りませんでした。それにしても昭和一桁代に、渋谷から相模川の沿線まで、多摩丘陵を越え、多摩川や相模川を渡り、今の田園都市線や多摩線相模原線の前身のような鉄道が計画されていたとは、すごい話ですね。

当時の東京府西部や神奈川県北部付近は、養蚕地帯で、今とは違った意味で賑わっていたといわれますから、横浜や八王子を経由せずにまっすぐ東京市内へ直通する鉄道の計画もあながち無謀ともいえなかったのでしょうね。
(参考) 「もう1つの上溝駅/幻の相武電鉄」
    http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/kamimizo/kamimizo.htm 
    「相武電鉄浅間森電車区付属資料館」
    http://homepage2.nifty.com/asamamori/index.html
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昭和60年ごろの相模線と国鉄からJRに変わった直後ごろの相模線のキップ。
腕木信号&タブレットにキハ35系の列車、キップも硬券です。いまの完全に通勤線区になった相模線からは想像もつかない20数年前のひとコマです。
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コメント

 日本全国、日の目を見なかった路線、志半ばで終わった路線が山ほどありますよね。特に川を渡る=橋を架けることがネックとなり、完成形にたどり着けなかった路線も多くあったようです。

幻の鉄路、信濃国や上野国にもありますよ~。

碓氷鉄道(株)とか
草津鉄道(株)とか…。
昔は鉄道がイチバンの交通手段でしたからね。

そういえば、弾丸列車も幻のひとつですね。
東山トンネルの話題を思い出しました。

>> りばてぃさまへ

このジャンルを扱うサイトや本を読むと、それこそ日本中に、未成線や廃線が網の目のように張り巡らされてますね。

山がちで河川も急流な国土ゆえに挫折した計画も多いのでしょうが、もし平坦な国だったら、日本中は線路のかたまり(笑)??

>> 隠密さまへ

中には、利権狙いやズサンな計画もあったのでしょうが、ほとんどはまじめに地域の発展を考えて計画されたのでしょう。
弾丸列車ももし太平洋戦争による中断がなければ、昭和20年代には開業したのでしょうか?
歴史にIfは有りえませんが、HC51型蒸機やHEH50型電機が実用化されてたら、いまの新幹線はどのような形態になってたんでしょうね?

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