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2008.10.29

【叡電】デオ600が走り出した頃 鞍馬線 1981.10

叡電のデオ600型の終電車が、いよいよ発車となりました。
これを記念(?)して、ひさしぶりに、デオ600型が走り出した頃、27年前のちょうど今頃のスナップを紹介します。 1981(S56).10.31.
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貴船口駅の名撮影場所をいく、デオ603+604。
とうとうこの場所には、再び登って来ることなく「さよなら」になりました。
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50パーミルの急勾配を駆け下る、デナ122+124。
デオ600の登場で、鞍馬まで登れる電車が増えたとはいえ、まだまだデナ21が幅を利かせていました。
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閑散とした、貴船口の梶取橋付近を走る、デナ21型。
今は、この付近には、バス駐車場と消防署が出来、道路も橋もニ車線に拡幅され、観光客のそぞろ歩く姿が見られます。
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鞍馬駅を発車する直前の、デナ124+122。
よく見ると、ホームには改札口付近にしか屋根が無く、全体的にひなびた印象です。

この頃の叡電は、市電との連絡も無くなり、市内中心部への移動客は並行するバス路線に取られ、また、鞍馬・比叡山方面の観光客も観光バスやマイカーに流れ、まさに危機的状況でした。
実は、管理人自身も通学に不便な叡電を使わず、自転車やバイクで通ってました。電車に乗るのは、雨の日くらい(^^♪

このあと、叡山電鉄の分社化により合理化の徹底で持ちこたえ、そして京阪鴨東線の開業による乗客増、二軒茶屋までの複線化、新車の導入と劇的に良くなっていくのですが、この頃は、地元民から見ても、「もしかしたら、この電車も市電の後を追うかもしれない・・・・・」と、いった感じでした。
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コメント

本当に良く持ちこたえたと思います。趣味的にはこの鄙びた感じがたまらないのですがね^^。

やはり路線網として鉄道同士でつながっていることが重要なんですね。中之島線も西へ伸びてどこかとつながってほしいところです。

この頃は叡電にとってはじっと我慢で耐えて来たと思うと改めて京阪鴨東線開業で大阪とダイレクトに繋がった事は逆転ホームランとなった感じですね。

デオ800が続々と投入され、そしてきららの登場で観光客で賑わっているのを見るとまるで別人の感がします。

まとめレスです。

確かに、ネットワークは大事ですね。京福の業績発表で嵐電が地下鉄の接続で乗客が増えて、増収予想と出てました。最初は、地下鉄に定期客が逸走して、減収の予想もありましたが、良い方に外れて幸いでした(笑)

やはり京福としては、京阪の後ろ盾があるので、(昭和47年に京阪と共同出資で「鴨川電鉄」を設立) 京阪が出町にやって来るまでは持ちこたえられたのでしょうね。

それと、このどん底の時期でも、出町柳~宝ヶ池間で8本/時の運転頻度を確保していたのは、賞賛に値すると思います。やはり交通機関は、ある程度の間隔で来ないと乗り気がしません。

京阪も京津線の赤字解消を考えるなら、編成を短くし、地下鉄乗り入れを止めてでも、頻発運転にしてはどうでしょうかねぇ?

デオ600,いよいよ明後日最終ですね.
涙雨にならない予報で撮影には一安心です.
いまから撮影プランを練っていますが・・・.

叡電って駅で配っている時刻表ありましたっけ?

ギヤジローさんへ

明日は、どこもいっぱいでしょうから、修学院から宝ヶ池付近に絞って写そうと思ってます。

時刻表は、出町柳駅の改札口付近にいっぱい置いてますよ。

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