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2008.12.02

【JR西】さよなら0系

とうとう、0系新幹線も、11月末をもって営業運転から引退しました。0系の場合は何世代にも渡って新製されているので、東海道新幹線の開業時から走り続けたわけではありませんが、初代から数えて44年間活躍したことになります。

個人的には、0系に限らず、新幹線を趣味の対象とはあまり考えていません。むしろ高速バスや航空機と同じで、すばやく移動するために乗っているだけで、例えは悪いですが、エレベーターの箱と大差がありません。

そのため、高い運賃・料金を払うなら、より速く、快適に目的地に運んでくれるほうが有難いです。0系よりN700系のほうが実は乗れてうれしいです。
500系ののぞみ退役→山陽こだま転用も仕方がないと割り切っています。もともと速く走ることが義務付けられたシステムですから、陳腐化すれば、一線を退かなければならないのは仕方ありません。

ともあれ、0系新幹線さん、長い間ご苦労様でした。
*
0kei
相生駅にて、 趣味的な目で写した唯一の0系です(^^ゞ
pinboke_entry

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コメント

 年代的に0系が当たり前の時代が長かっただけに、趣味の対象になり難かったんだと思い返しています。今のように沢山の路線にいろいろな形式が走ると言う状況では無かったですからね。

こんばんは.
新幹線=出張の道具,という感じの方も多いでしょうから「0系よりN700系のほうが実は乗れてうれしいです」というのは納得できます.

ただ「0系が無ければ今の鉄道はない」のもまたおそらく事実でしょう.
新幹線登場前夜,世界の鉄道業界の趨勢は「鉄道は衰退産業である.物流はトラック,旅客は飛行機に流れていく.貨物はともかくも旅客は5%ビジネスでしかない(全売り上げの5%が旅客運賃).ゆえに特に衰退事業だから力は入れない」のが常識だったといいます.
現在,日本・欧州ではコンセプトは違えど500~1,000kmレンジの旅客鉄道が航空機と競争しながらビジネスとして成り立っています.
これは"新幹線0系"の成功が世界を変えたからに違いありません.

趣味としての新幹線は確かにもうひとつ面白くないことは同意しますが,0系は立派に使命を果たして産業遺産としてこの世から去って行ったと思っています.
個人的には,何か先人から物言わぬ重いバトンを受け継いだようで・・・なんとも言えない気分です.

>> りばてぃさんへ

0系も細かく分けると、かなりのバラエティがあるようで、一両づつ写真を撮って
研究されておられるようです。

走行写真も、撮影名所といわれるところへ行けば、在来線に負けないくらいの傑作が
物にできるようですが、なかなかそこまで行く気力がありません(^^ゞ

>> ギヤジローさんへ

「0系」が斜陽産業と言われた鉄道、特に長距離の旅客輸送を成長産業に転換した功績は十分承知しています。
1960年代に、200km/hの高速運転を可能にするハード・ソフトのシステムをほとんど日本の技術だけで作り上げたのはすごいことだと思います。
当時のことを取り上げた本を読むと、予算の確保から始まって、土地の収用、路盤の建設、車両の設計・製造、コムトラックシステムの開発、そして政治折衝と難題をこなしながら、わずか5年で開業に漕ぎ着けた、当時の国鉄技術陣のがんばりは、尋常ではなかったとわかります。

日本には、産業遺産を正当に評価して保存、活用していくシステムが確立していないこともまた、事実です。車両を2・3台静態保存しても意味がないとは言いませんが、システム全体像が理解でき、できればその技術を後の技術者が勉強できるような施設がどこかに作れれば一番良いのですが。

名古屋港に作られるという、JR東海の鉄道博物館の構想に期待したいですね。

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