
関所抜け江戸の女たちの冒険 金森敦子著晶文社刊
新聞の書評で見て、その題名に引かれて読んで見ましたが、面白かったです。
内容は、「江戸末期、羽州本荘の商家の奥様方ふたりが、北陸道を上り、善光寺から京都・金毘羅・高野山・伊勢・江戸・日光と見物して秋田に戻るまでの数ヶ月におよぶ長旅の旅日記。」
この本のもとになった旅人の残した小遣い帖に従って、旅の行程や、旅籠・飯屋・駕籠・乗馬・渡し舟・川越し・みやげ物の代金が細かく書かれ、名所の案内人や宿のチップなど、当時の旅の様子や世相、名所・旧跡の様子という、旅行記&旅行案内という、管理人の大好きテーマを知ることができます。
と、書いてしまうと、「ただの旅行記か。」となりますが、なんと題名にもあるように、通行手形ももたず、いろいろな手段で関所抜けをしながら旅を続けていくのです。はっきり言って、 「江戸時代のおばちゃんらも、よーやるわ(^^ゞ」です。
「地獄の沙汰も金次第」とはいいますが、昔も今も、お金を出すと、公式・非公式(笑)にお関所をはじめ、いろいろな規制をクリアーすることが出来たようです。江戸時代も終わりになると、封建制度も形式に流れ、ご法度も空文化していたとも読めます。
また、男の従者がついたとはいえ、女姓を主人格として、グループ旅行するとは、今の私たちの思う江戸時代の旅行とは実態は、ちょっと趣がちがっていたこともわかります。
江戸時代の風俗に興味のある方、また旅行好きのかたにお勧めします。 |
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とにかく良く移動しますよね。昔の人の健脚振りには驚きます。神仏一体ですが、信仰心が突き動かすものというのは想像を超えるものがあるのでしょうね。
投稿: りばてぃ | 2009.05.31 22:04
昔の人は、一日に十里(約40Km前後)は平気で歩いたといいますね。今頃のように日の長い時期は、もっと活動できたのかもしれません。
読んでて面白かったのは、「名所・旧跡も途中の街道筋と同じくらいの早足で見て回ったらしい。観光の概念が現代と違って、とりあえずそこへ行くことが大切なのらしい。」と書かれているところです。
観光バスの名所早回りコースに乗って、一箇所でも多く見てやろうとする団体さんに、この江戸のDNAが引き継がれてますね(笑)
投稿: なかっちょ | 2009.06.01 19:17