青木栄一先生の、鉄道史の本です。副題に付けられた「汽車の来た町、来なかった町」のほうが、一般には分かりやすいかもしれません。
この本を読んでみたきっかけは、ネット友達の方が、ブログで「JR佐倉駅」の現状を紹介されており、そこへ「京成佐倉駅は、佐倉の市街地の真ん中にあるけど、JRの駅は、隣町といっていいくらい中心地と離れてますね。ここも鉄道忌避伝説が残ってるのでしょうか?」とコメントしたことがはじまります。それで「鉄道忌避 佐倉」でググって見ると、この本がヒットしたのです。
ちまたで云われるところの「昔、鉄道が全国に引かれ始めた頃、おらが町を汽車が通ると、いろいろな理由で、町がさびれるとか風紀が乱れるとかいって、鉄道(駅)を遠ざけた。」という言い伝えが、はたして本当か、仮に間違いだとしても、なぜこのような伝説が生まれてきたのかを、残された文献や現地の様子から検証されています。
すこし鉄道史を勉強したひとには、「鉄道忌避伝説は、やはり作り事に過ぎない。駅と町が離れているのは、ほとんど技術的(当時の技術力では、地形的に線路を通せなかった。)か、経済的(すでに市街化した土地を買収するには金が掛かりすぎる。)な理由によるものがほとんどで、現在の振動・騒音といった問題からの鉄道反対運動は、存在しなかった。」というのは半ば常識になっています。
それでも、都市伝説的な話題は、ひとを引き付けるようで、今でも書物にかかれて偽説は広がりつつあるそうです。いちど間違った認識が広まってしまうと、それを正すのは容易ではないとの見本みたいな話ですね(笑) |
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鉄道忌避の刷り込みが長く続いてきたことへの警鐘ですが、鉄道史を真剣に考察する学者の数がまだ少なく、先の伝説が色濃く残っていることは否めません。地下鉄においても”都市伝説”を振りかざす書物が掃いて捨てるほどあり、一般民衆のゴシップ好きを止める手立てはなかなかないですね。
投稿: りばてぃ | 2010.10.16 20:36
私も、この本を読むまでは、地元の叡山電車の線形が、出町柳を出て、高野川沿いの旧街道(現R367号-京都バス大原線のコース)を直進するコースを取らずに、元田中から茶山に迂回して、やっと修学院付近で旧街道と併走するのが不思議に思ってました。
それで、昭和初期の地形図を見ると、すでに旧街道沿いは市街化され都市計画道路に市電の外周線の計画もあり、用地買収の面で市街地の外辺を大回りするルートを取った事が読み取れました。
もっと古い地図を見ると、国鉄(JR)京都駅の位置からして、明治初期の京都市街地の南端に大回りして作られたこともわかります。
これを、忌避と見るか、現実的と解釈するかは、なかなか一般には難しいところですね(^^)
投稿: なかっちょ | 2010.10.17 11:33