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2011.05.03

【叡電】叡山本線に臨時列車運転(5/3)

今日からまた飛び石ですが、5日間の連休です。
でも京都市内はうす曇りで黄砂も舞って、どんよりとしています。

クリーニング屋さんへ行こうと自転車で家をでると、車庫に「臨時」の標識をだしたデオ724が出庫準備中でした。
*
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もうデジイチを取りに帰っているヒマがなさそうなので、自転車に乗ったまま名残の八重桜とあわせて一枚
*
724_47
線路の反対側に回って待っていると、営業列車として出発したようですが、修学院駅には入らずに、そのまま出町柳へ向かいました。一乗寺駅には止まったのが見えたので、そこからは客扱いしたようです。

バックの北山は黄砂で霞んでいます。
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724_48
戻りをどこで写そうか迷いましたが、茶山駅前のお宅の花水木がきれいに咲いているのが車窓から見えてるのを思い出して、後追い(駅の方向をむくとゴチャゴチャしてるので(^^♪ )で、八瀬行きを撮影。

やはり黄砂で白い花が曇り空に埋まって、あまり良い写真にはなりませんでした。まあ、記録写真ということで(^^ゞ
pinboke_entry
お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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コメント

最後のショット、空の青さがあったら花丸だったんですが残念でしたね^^;)
私の撮影旅行もどうも雲行きが怪しいです(><)。

昨日も、今朝も、まだ黄砂が飛び散って曇ったような朝です。

今日は、修学院地区のお祭りなので、「お御輿と電車」のコラボをキャッチしたいです。

叡電(および嵐電)。
これについて聞きたいのですが、当時は「京福デンテツ」と呼ばれていましたか? 
京都と福井が国道367号線でつながる以前、福井の漁村と大原をつなげようとした電車だ…的なことを、親から聞いたように記憶します。
それがどうして嵐山まで?
教えてください。
あと、島本君は「シマホン」と呼ばれていたのではなかったかな。

講談社の『週刊鉄道の旅』No.19(京福電鉄)とNo.2(叡山電鉄)を持っているのを思い出しました。2003年に読んだものですが…最近、いや、もっと前からですが、すぐ忘れます。
それによると…京福はもともと嵐電なのですね。それが京都電燈(叡電)と合併し、また分かれ…ということなのですね。なるほど。
うちの父親はなぜか、私が子どものころ「叡電」と言わずに「京福」と呼んでいました。それから「これは元々若狭街道を福井までつなげて、若狭湾の魚を運ぶ目的で作ったんや」とも言っていましたが、ウィキぺディアによると、そうではないようですね。いやいや。

笠井一成君へ

たしかに、僕らの子供の頃は、叡電も嵐電も福井の
越前線も、みんな「京福電鉄㈱」の路線でしたね。

普段は、「えいでん」「らんでん」と呼んで、ちょっと
改まった時には、「けいふく」と呼んでたと思います。

「京都と福井を直接に線路で結びつける計画が
あった。」話は、よく言われますが、たんなるウワサ
(最近は「都市伝説」なんてカッコ附けて呼びますね。)
のようです。

島本君は「シマホン」でしたか。今度あったときに
本人に聞いてみます。覚えているかなぁ。

私のニックネームの「なかっちょ」は、誰が言い出し
だったっけなぁ?
もう小学生の頃は、こう呼ばれてたような気がします。
最近は、物忘れが激しくて(^^ゞ

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