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2011.06.08

京都市立修学院小学校(その3) 校舎内のようす

日曜参観日で母校へ行ってきたときの写真の続きです

なお、個人情報の関係で、校内の児童・教職員・保護者は一切アップしませんのでご了解ください。また40年も前の記憶をたよりに書いていきます。まちがってるところもママあると思いますので、ご存知のかたは訂正してくださいね。
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職員室前の様子。
このころはまだ先生は「偉いひと」で、子供たちは尊敬してました。とくに5・6年の担任の上田先生は、よい人でした。いまのわたしのあるのは、先生のおかげだと感謝してます。
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木造の南校舎の2階の一番東側が、5・6年当時の教室でした。3階の廊下から中校舎を見たところです。この校舎が、4年生くらいのときに初めて鉄筋コンクリート造に建替えられました。当時は「新校舎」とか「鉄筋校舎」とか呼んでました。他の校舎が土足なのに、この校舎は上履きを使ってました。やっぱり新しい建物を汚したくなかったんでしょうね。
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北校舎越しに鞍馬山方面を望んだところです。北山が幾重にも重なっています。今はマンションが近景を隠していますが、当時は宝ヶ池駅手前の陸橋が良く見えました。
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東側の窓から比叡山を見たところです。当時の校舎は東側は壁で、比叡山をこの位置から見れなかったように思います。 やはり山裾の集落(修学院離宮があります)の手前まで田畑が広がってました。
左手の竹やぶの向こう側に、新興住宅地ができて、クラスメートも何人か住んでました。
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教室内にあった「日直チェックカード」
当時も、こんなのに〇付けて、先生に報告してましたね。

ここまで写したところで、授業が始まって探検(笑)は、おしまい。
次は、秋の運動会の頃に訪問してみましょう。

昔話にお付き合いくださいまして有難うございました。
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お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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コメント

なかっちょさん
今では、だいぶ変わったでしょが、
まだまだ、自然が残されていますよ。
すぐそばに、お山も見えていいところですね。

職員室前の写真を拝見。
当時の五、六年生の校舎はなんかこう、登録有形文化財的な煉瓦建築の装いを施しつつ、実は木造建築で、廊下にはニスが塗ってあり、転ぶとズボンがニスで汚れ…。
いざ職員室に入る際は、緊張しまくり。そんな時代でしたね。

1968年に竣工した「鉄筋校舎」。
初代「鉄筋校舎」ができる以前は、ここも中庭で花壇があり、蝶々がいっぱい飛んでいましたよ。


窓から「宝が池駅前陸橋」が見えていたとは。いやー、知りませんでした。さすが鉄道ファンですね。

秋の運動会、ぜひまた写真をUPしてくださいね。

ちなみに、「同級生です!」の、「続」「新」「続・新」「第三の」は、映画『悪名』(今東光原作、勝新太郎主演)へのオマージュでした。

鞍馬山、比叡山・・・

何を見ても、どこを歩いても、
歴史上何かゆかりのあるものばかりで
京都ってすごいなあといつも思います^^

>> ナンシーさんへ

まあ、40年も経てば普通の町並みなら変わってしまうのは仕方ないんでしょうね。
我が家も築70年の風雪に耐えてましたが、5年前に建替えました。
近所の御家も、ここ数年でみんな建て替わりました。

東山や北山は見た目はそんなに変わりませんが、ちょっと登って見ると、
松くい虫やナラ枯れにやられて枯れたり弱ったりしている木が目立ちます。
もう「おじいさんは山へ柴刈りに」という時代ではありませんから、里山も
手入れが行き届かなくなってます。

それでも猿も鹿も猪も鶯も不如帰もちゃんといますし、川原にはまもなく蛍が
飛び始めます。

この自然を子供たちの世代に受け継いでいきたいですね。

>> 同級生さんへ

お望みの学校の様子をUpしましたよ。うまい具合に父親参観日があって、ラッキーでした。

その後、北フケから赤山前、離宮前を通って、矢橋君の家の近くまで行きました。
でも家の前までは行きづらくて、鷺ノ森を通って帰ってきました。

もし京都へ帰省されることがあれば、今度こそ一緒にお墓参りに行ってあげましょう。
その後は、ミニクラス会でもやりたいですね。

>> wisteria さんへ

京都に住んでるとあまり気になら内のですが、よその町に行ったり、
京都に来られた人のお話を伺うと、「やっぱり京都ってすごいんだなぁ
って、思います。

「京に居て京を知らず」の無知な私に一度プロのガイドのすごさを教えていただけませんか?

矢橋君のお家は、今までちゃんと存じ上げませんでした。
そうですか。鷺森神社の近くでしたか。
私はてっきり、矢橋君は叡電沿線にお住まいだと思っていました。(おそらく「電車」のイメージが強かったからでしょうね)

私は、2002年を最後に帰省していません。
もう10年にもなりますから、そろそろ一度帰ろうと思っています。
その際は貴君に連絡します。
そして、矢橋君のお墓参りに行きましょう。


北校舎の西の端に資料室があります。
「昔の修学院」と銘打って写真が掲げられていますが、
宝ヶ池跨線橋が写っています。私が中学生になった頃、
国際会議場と同時期に出来ています。

既に昔と言われるようになってしまったか?!

大正はえらい昔のことと思っていましたが、今子供たちが感じる昭和とそれほど変わらない・・と言うことか。

来週は六年に組のクラス会。

>> 香西 朗さんへ

こんにちは。

宝ヶ池陸橋が完成に近づいた頃に、なぜか校外学習かなにかで、この橋の
写生をしに行ったことを覚えてます。

昭和44年の写真をみると、まだ陸橋の下の線路に沿って通る道は
なくて、畑です。記憶に残る写生をした場所も田んぼの畦道でした。

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