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2011.06.15

法然上人二十五霊場巡拝記(その8) 9番当麻寺から10番法然寺へ

法然上人霊場巡拝の続きです。今回は二上山の麓から藤原京跡を巡ります。

当麻寺駅前は、土産物屋が1・2軒あるだけでひっそりしてます。最近は巡礼もほとんどバスか自家用車でよほどの有名寺社の最寄り駅でないと縁日以外はこんなもんなんでしょう。山麓のお寺まで1キロ近く歩きますが、大和の国らしい落ち着いた古民家の続く道なのでゆったりと歩けます。でも道幅が狭くて車が来ると避けるのに閉口します(^^ゞ

半分ほど歩いたところに、相撲の元祖「當麻蹶速(たいまのけはや)」の塚と伝える小祠がありました。「当麻蹴速は野見宿禰と戦って、蹴り殺されて負けたと伝えられてるのに、負けたほうを奉るのも勝負事としてどないかなぁ?」と思ってしまいます。でも近くには「当麻相撲館」という相撲に関する資料館もあって地元では古代の勇士として大切にしているのでしょう。展示は、残念ながら火・水は「ヤ」でした(^_^;)
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国道を渡ってお寺に近づくとまた土産物屋や旅館が続いて門前町らしくなります。一軒のお店には、写真のようなりっばな鏝絵が飾ってあります。写生しているご婦人方も居られました。
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お寺に着くと、山門はまたまた平成の大修理中。最近はあちこちの文化財で修理中が目に付きます。文化財保護の観点からは定期メンテナンスは必要不可欠なんでしょうが、やはり遠くから来て、見れないのは残念ですね。お寺の境内は本坊をはじめいくつかの塔頭寺院から成り立っています。中将姫の蓮糸で一夜にして織り上げたという當麻曼荼羅の伝説が有名ですが、朱印は一番奥の奥院でいただきます。本坊や塔頭毎にお布施がいるようなので(笑)、曼荼羅は前に京博の「法然展」で見たこともありPASSして奥院へ向かいます。

受付で朱印をお願いして、本堂に向かいます。このお寺も花のお寺なのですが、前庭の牡丹は終わっており、ツツジも盛りを終え、アジサイは咲き出しとあまり色物のない時期で、チョット残念でした。それでも裏手の浄土の庭は池の向こうに阿弥陀様が居られ手前から拝むと渡海浄土の雰囲気が味わえます。この巡拝は荷物を減らすためにカメラはコンデジにしてますので、やはり花のアップなどは苦手です。なんとかアジサイと西塔をそれらしく描いてみました。

受付で次の橿原の法然寺の道順を聞いてお寺を出ましたが、この間30分ほどもお参りは私一人、それに対してお寺は住職さんはじめ4~5人が寺務所に詰めて応対してくださいました。恐縮します。
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駅に戻って、ホームからニ上山を撮影します。ここは

「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟背とわが見む」
(万葉集・巻二・大伯皇女)
 
と歌われる、大津皇子の悲話が語り継がれているところですが、今日は時間がないので再訪を期したいところです。尺土・橿原神宮前と2度も乗換えて、畝傍御陵前駅で下車します。ここでお寺に連絡の電話を入れたのですが、なぜか留守電。メッセージを入れて不在でもダメモトと歩き出します。

最初は橿原か八木からバスのつもりでしたが、駅のハイキングガイドによれば、大和三山コースに目指す法然寺が入っており、まずは畝傍山の麓で下りたのです。駅をバックに畝傍山を一枚。畝傍御陵と橿考研は前に行ったことがあるので、またPASSして天の香久山に向けて歩き始めます。ここは1995年に開かれた藤原京ロマントピア'95のとき来て以来です。

しばらく歩いて新興住宅地から古い集落に入ったところに、元薬師寺跡があります。いまは小さなお堂の前庭に巨大な礎石が数個ゴロゴロしているだけです。回りは田んぼばかりですが、夏になると一面にホテイアオイの薄紫の花が咲いて、遠くからもカメラマンが訪れるそうです。門番の白いワンちゃんがけだるそうに昼寝して、訪問者にも「あんただれぇ?」といったような目で見上げておりました。
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さらに歩くと飛鳥川の清流を渡ります。ここは

「世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」
(古今集・雑下・読み人知らず)

と詠われた暴れ川だったようですが、今はゆったりと景色に溶け込んで流れています。余談ですが、この歌を本歌として

「飛鳥川淵にもあらぬ我が宿も  瀬にかわりゆくものにぞありける」
(古今集・雑下・伊勢)

があります。詞書に「家を売りて読める」とあって、「瀬に」に「銭」を掛けてあります。伊勢といえば百人一首にも登場する有名な女流歌人ですが、はじめてこの歌を知った時、「このお局様もお金に困って家を売らはったんかいなぁ。」と、今に通じる解釈で笑ってしまったのを覚えてます。

古今集の編者の一人紀貫之の先祖が氏寺として建立したとされる紀寺跡(今は建物はおろか礎石も見えず一面の草原)を通り、香久山の麓の集落にお寺はありました。駅から寄り道も含めて30分足らずで着きました。近くのテニスコートの休憩所でお弁当を広げてから、お寺に入りました。手洗いの洗面器にカナヘビがいました。水を流すと急な豪雨(笑)に右往左往してました。
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庫裏で案内を請うと、幸いにも住職は戻ってこられたところで、「今、留守電も聞いたところです。行き違いにならなくて良かった。」と本堂に上げていただきました。まずは本尊の阿弥陀様と法然様の像にお念仏を差し上げます。この阿弥陀様は東大寺大仏殿を再建した俊乗房重源上人のお持仏だったのだそうです。

朱印をいただくときに「静かですねぇ。」というと、「飛鳥でも石舞台のあたりは観光客も多いが、大和三山や藤原京まで足を伸ばす人は少ない。特に暑い盛りに歩いて回る人は珍しい。」とのことでした。「気候の良い時期にまたお参りします。」と挨拶してお寺をでるとたまたまカメラ片手に古寺散策をしているひとと入れ違いになりました。実はこの後、藤原京まで、観光客らしきひととは、またひとりも出会わないのですが(笑)
写真は、近景に畝傍山、遠景に葛城山を背負った、法然寺の様子です。

(次は、藤原京跡をめぐって奈良の大仏さんへ向かいます。)

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お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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