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2011.06.07

京都市立修学院小学校(その2) 校庭の様子

日曜参観日で母校へ行ってきたときの写真の続きです。

コメントは、40年も前の記憶をたよりに書いていきます。まちがってるところもママあると思いますので、ご存知のかたは訂正してくださいね。
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今は、正門をはいると体育館の前をとおって、校舎へ向かいますが、当時の正門を入ると、運動場の南端でこんな風景が広がりました。

建て変わっていますが、南校舎と講堂、その奥に比叡山が見下ろしてます。
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京都市立修学院小学校 校歌 
作詞・西山郁子/作曲・西川五郎   大正9年(1920)

1.ほのぼの明くる東のみ空に高き比叡の峯
  いく代かわらぬ玲瓏のあやに尊きたたずまい
  深きしじまに自らふくむ教えを見ずや友

2.夕べさやけき月影に真砂の数もよみぬべし
  水底清き高野川ただひとすじに流れゆく
  いみじき楽の調べこそ道のさとしと聞けや友

3.見渡す限りさみどりのゆたかに広き小野の原
  げにたぐいなき揺藍に生い立つ幸の喜びを
  歌えわが友もろ声に天の八重雲ゆるぐまで
  
            *

格調高い歌詞ですね。小学生にはよく理解できない(笑)ことばばかりでした。
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これが、わたしたち昭和45年度卒業生の6年5組の卒業記念制作のトーテムポールです。40年の風雪に耐えて、いまだに色あせません。
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校庭がかさ上げされて、根元の文字がすこし埋まってます。足で掘り起こしてみました。裏面には懐かしい名前が彫られています。
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運動場の西側にはプールがあります。なぜかカルガモが一羽だけ泳いでました。近くの高野川から飛んできているのでしょうか?
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体育館(当時は講堂と呼んだ)前の築山です。この石垣や木立を使って鬼ごっこを良くやりました。ボール投げや陣取りあそびもやりました。
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この階段を上ったところには日時計がありました。講堂の横手はちいさな広場になってて、そこにイチョウの木がありました。秋になると銀杏をひろって、家で焼いて食べました。銀杏を素手で拾うとてがかぶれたり服にニオイが付いたりしてよく叱られたものです(笑)

ぼちぼち校舎内に入りましょう。
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お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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コメント

トーテムポールは、各組一本ずつでしたっけ?
それとも、五組のみでしたか?
つまり、校庭南側隅に立っているトーテムポールは「五本」? それとも「一本」?

築山は当時のままのようですね。

銀杏の木。クラスのみんなでぎんなん拾いをしましたね。

そういえば、学校敷地の東端に花壇がありましたが、現在でもあるのでしょうか?
花に集まる昆虫(主にコガネムシやハナムグリ)を、よく採集したものです。

裏門(北門)から出ると、田圃が広がっていて、そっちではドジョウやタガメなどを採集しました。
あぜ道を崩してお百姓さんに怒られ、家に帰ると「また服ドロドロにして!」と母に怒られ、翌日は学活で「昨日寄り道してたやろ」と先生に怒られ。
というトホホな小学生時代。あ、これは四年生までです。

なかっちょさんと同クラスになった五、六年生時代の私は、もうちょっとちゃんとしていた…ように思います…が…?

トーテムポールに彫られた字体。
学級文集に印刷されていたのと同じ字体。

まぎれもなく上田重夫先生の字ですね。

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