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2012.05.19

大原女装束時代行列 (後編)

5月12日に行なわれた、大原の里の初夏のイベント、「大原女装束時代行列」を見に行って来ました。
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行列は、寂光院門前の旅館・土産物屋街を進みます。この付近は特に道が狭く、行列、見物人、通行人がひしめき合います。

行列の進行方向右手(写真では向かって左)の清流に落合の滝があります。のぞき込まないとわからないような小さな滝ですが、

建礼門院がこの滝を見て

ころころと 小石流るる谷川の かじかなくなる 落合の滝

と詠まれています。
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行列は、建礼門院のお墓にお参りします。石段を登って礼拝し、また下りてきます。この階段を下るところが見せ場のひとつで、狭い階段の踊り場に大勢のカメラマンや観光客が殺到します。
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行列は、寂光院の境内でご本尊の地蔵菩薩と建礼門院、阿波内侍の像に礼拝して解散になりました。

「来年は、建礼門院がなくなられて(建保元年12月13日(西暦1214年1月25日)800年となるため、大々的に追善供養を催したい。」との、住職様のお話がありました。
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お祭りがお開きになって、地元の方は三々五々と連れ立って、大原女の格好のままお家へ帰られます。

このスナップこそ、子供の頃によくみた洛北の田舎の光景です。昭和30~40年代にタイムスリップしたようです。
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行列が引き上げた後、建礼門院の大原西陵へお参りしました。

平家物語の最終章、灌頂巻-大原御幸の世界です。

平家物語によれば、後白河法皇は、賀茂祭(葵祭り)の済んだ夏の初め、太陽歴ならちょうど5月の半ばすぎの青葉の美しい時期に、大原へ建礼門院を訪ねます。

女院は、法皇に「わたくしは、平清盛の娘に生まれ、高倉天皇のお后となり、安徳天皇を生んで国母となり女性として最高の地位に上りました。しかし平家の都落ちで境遇は一転し、最後はこの世に居ながら天上から人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道をすべて体験いたしました。」
と、語ります。

法皇は、「人間として六道をすべて体験したとは稀なことです。」と涙をながされた。
とされています。

平家物語の対面は、フィクションかもしれませんが、女院のお気持ちは、おそらく真実でありましょう。

「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」 涅槃経より

合掌
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(次回は、5月18日の上御霊神社の御霊祭のようすをお届けします)
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お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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コメント

あ、ここ、行ってない!建礼門院大原西陵 行きたいなぁ!こういうのをみると、 うずうず!
今からでも 走りたくなりまーす!なんでしょうね・・。こういうのが好きな血筋(家系)ですね、うちは、代々。う・・・ん・・。 いいなぁ!お参り行きたいな!

>> まぶちょんさんへ

こんにちは。

へぇ~、まぶちょんさんて、歴女なんですねぇ
ご先祖さまは、加賀か越中の御家来衆の末裔ですか?

大原三千院にいっても、奥にある後鳥羽院と順徳院の大原陵へ
参られる方はすくなく、寂光院へ行っても、隣の建礼門院のお墓に
参られる方もやはり少ないです。

新名神が出来て,京都は近くなりましたよ。
京都東ICから大原まで1時間ちょっとほどです。

帰り道に修学院に寄って、ひと駅だけでも叡電に
乗ってみてくださいね

私のブログは ご飯と探検と遺跡めぐりですね~♪
先日は 和歌山、関ヶ原、など、歴史物を見て歩くのが 好きですよ~♪
日光もアップしてあります。
このあと、6月には 香川をアップ予定。屋島古戦場予定でーす!

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