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2012.06.11

【本】藤原道長の「御堂関白記」(現代語訳)を読む

前に、京都国立博物館で、藤原道長の御堂関白記の自筆原本をみた話を書きましたが、そのときの解説に「現代語訳が出ています。」とあったので、さっさく図書館で借り出してきました。

Mido_kanpaku_ki 訳者の倉本一宏先生は、国際日本文化研究センター教授で、文学博士。日本古代政治史や古記録学が専門の歴史学者です。

最初に「はじめに」として、御堂関白記の簡単な説明があります。そこには倉本先生のユーモア溢れる(と、感じましたが)一節がありますので紹介します。

『一般に、平安貴族は遊びと恋愛に明け暮れて、ぶらぶら過ごしていた、と思われがちですが、これは女流文学の登場実物(光源氏など)の姿を現実と勘違いしたことによる誤解なのです。

仮名文学を書いた女房たちは男社会をあまりしらないし、読者も同性ばかりなので、実社会のことを書いても面白くないので、書かなかったのです。』

と、論じられています。

平安朝の日記文学といえば、紫式部日記、枕草子、和泉式部日記、蜻蛉日記、更級日記などほとんどが女性の手になるものです。

それに比べて、この御堂関白記をはじめとする(男性の)お公家さまの日記は、今で言う業務日報のようなものです。当時の貴族は、いまなら官庁や大企業の幹部職員、役員クラスと考えても差し支え有りませんから、今と同じで前例 (有職故実と呼びます)を大事にしましたから、 いつ、どこで、なにをして、何を考えたかを残しておく必要があったのです。

実際に読んで見ると、こんな感じ。
何月何日(曜日)天候

会社へ出勤して、社長と面談した。
役員会に出席した。
稟議書に決済印を押した。
下請けから贈り物を貰った。
お得意様を接待した。
深夜タクシーで帰宅した。

何月何日(曜日)天候

東京支店へ出張した。
関東地区の工場を視察し、得意先を回った。
帰りは、飛行機で戻った。

たいがいの日は、箇条書きのようですが、たまには詳細を書いたり、面白かったとか、気分が悪かったとか、残念だったとか、こうすればよかったとか、自分の考えを漏らしているところ-今でいう「日記」らしい書き方-も見られます。

なかには、「長保2年(1000年)2月15日に、月食のあるはずだったが雨が降った(ので見られなかった)。」という記事のあるのは、面白いです。当時の暦法でも月食や日食は予報できたんですね。

登場実物は、一条天皇、彰子中宮(紫式部が仕える)、定子皇后(清少納言が仕える)、藤原行成(能書家として知られる)、藤原公任(歌人として有名)、などなど。北の方の源倫子もよく出てきます(奥方を女房と書いてます)。意外と愛妻家だったのかも

同じ日の、おなじ事柄でも、道長の日記と、紫式部日記や枕草子とでは書きぶりの異なっているところもあるそうです。どちらが正しいかというより、やはり男と女、公式と非公式、主催者と参列人(見物人)の受け取り方の違いなんでしょうね。

中断(現在に伝わらない?)を含めて20数年の日記を上中下の文庫本3巻に書き下した日記ですから、すべてを読み通しのは難儀ですけど、拾い読みでも十分面白いです。梅雨時で外出できない折などに、平安貴族の実態(笑)に触れてみませんか?
*
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コメント

こんばんはへぇ~おもしろいですね~
こういうものが、あることも初めて知りました。
国語や古典の授業でも日本史の授業でも、習った記憶がないのは、
私が ちゃんと聞いてなかったのかな・・・
恥ずかしながら、普段、図書館ってめったに行かないのですが、
夏休みあたりに、しょうちゃんと行くと思うので 
その時にでも、探して 読んでみま~す

>> mik さんへ

こんにちは。

学校でも、お姫様の書いた日記は、読んでも面白いから、たまに教科書に
載ってる場合もありますけど、お公家さんのまず習いませんよね。

せいぜい大学の入試対策に丸暗記(笑)するくらいかしら?

読み慣れない人は、現代語訳でも古典はハードルが高いから
たとえば、漫画版源氏物語、「あさきゆめみし」なんかを読んで
平安時代の感覚をつかんでからがいいですよ。

あと、「桃尻語訳 枕草子」も劇画感覚で読める古典のパロディ
初心者には、絶対お勧めね

歴史物に 現代語訳があると助かりますね~♪
私も そういうものがあると、もっと史跡めぐり楽しいだろうなぁ・・・・・

「文語は古い日本語」で「口語は今の日本語」と、誤ったことを話す教員を見かける都度、私は彼らに訂正します。

古い新しいではなく、文語は書き言葉で口語は話し言葉。

なにも昔の人が「文語」で話していたわけではないですよ。
話すときは今も昔も口語。
タイムマシンで当時の日本へ戻っても(鼻濁音や歯並びの問題を措き)、日本語の話し言葉は通じますよ。

しかし、書くときは文語。
例えば「今が別れの時」を「いまこそわかれめ」。
そういうチェンジをしていたんですよ。

寺子屋で「読み書き算盤」を習っても、文語は使いこなせないのが当時の庶民。
識字率は高くても、江戸時代ですら文語は庶民にとって「解読不能」。
これって、平成のわれわれと同じですね。

やはり、古典は現代語訳です!

しかし…。
そういう現代語訳ができる国文学者も、実は「われわれ」より年上。

私は、「われわれ」より年下の研究者たちが育つことを願ってやみません。


>> まぶちょんさんへ

こんにちは。
歴史ものでも、原文は候文が続いて読みにくいですよね。
戦国時代のころの武将たちは、たいがい小説の主人公になってるから
まず、これを読んで当たりをつけてます。

単なるガイドブックより、「ここで誰それが、こんな戦いかたをしたんだ。」と
思えると、より興味がわきますよね。

>> 笠井君へ

こんにちは。
そうだねぇ。昔の資料で今に伝わるのは、文字で書かれたものばかり
だから、どうしても当時の人たちは、普段もこんな言葉づかいをしてた
のかと、錯覚しがちだね。

江戸時代くらいならともかく、平安時代の人たちとも会話できるんだ。
お公卿さんは無理でも、下っ端の役人クラスのひとたちとなら雑談
してみたいね。

やっぱり「給料が安くて生活が大変なんですよ。」なんて愚痴が
出るかな(笑)

訳者の倉本先生は、偶然我々と同年代ですね。
「先輩の業績を受け継いで、一般の人たちにもわかる古典の解説を
するのが、私たちの世代の務め。」と書いてられます。
さらに、次代にこのノウハウを伝えていくのも大切なことだね。

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