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2012年7月に作成された記事

2012.07.30

京都洛北より暑中お見舞い申し上げます

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連日の猛暑が続いておりますが、読者の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

さすがに鞍馬山を吹き渡る風は、市街地より5℃ほどは涼しく感じます。谷水に手を浸すとしびれる位の冷たさです。

ウグイスやホトトギスの声を聞きながら、ぼんやりと田舎電車を眺めいてると、帰るのがイヤになりそうです(^^♪


夏山に 恋しき人や 入りにけむ 声ふりたてて 鳴く郭公
(古今集:夏
 紀秋岑)


時節柄、ご自愛くださいませ。

平成24年 盛夏

線路際のピンぼけ写真館 
管理人 なかっちょ 

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2012.07.29

夜の下鴨神社の御手洗祭(足つけ)に行ってきました

昨日の夜は、下鴨神社の御手洗祭り(足つけ)に行ってきました。毎年は昼間に行ってるのですが、今年は夕方から出かけてみました。
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夜のほうが空いているのかと思いきや、昼間の何倍もの人出でちょっとびっくり。みんな夕涼みを兼ねて来られるんですね。
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まずは、手水舎で手を清めます。このお水がまた冷たくてきもちいい
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提灯の吊るされた神門は、幻想的です。
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神楽殿に御手洗祭(足つけ神事)の由来が書かれています。

土用の丑の日に、この神池に足をつけ、燈明をお供えし、 御神水を頂くと諸病にかからず、延命長寿の霊験あらたか

との事です。
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まずは本殿にお参りし、靴をぬいで素足になり、足元もひざまでまくりあげて、しずじすと、お池に下って行きます。

池の水は湧き水で。メチャ冷たいです。ほんの数十メートル足をひたしながら歩くだけなのですが、足元がジンジンしびれてきます。
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途中で、ロウソクに火を灯します。お灯明の光が水面にゆらゆら光ります。昼間にこれをやってもあまり感動しませんが(笑)、やはり火を使うお祭りは夜に限りますね。

夜のお参りが多いわけがわかりました。
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お灯明を燭台に納めて、水から上がります。

あちこちで、ホッとしたような、名残惜しいようなつぶやきが聞こえてきます。
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南の空には、宵の半月が掛かっていました。(お月様だけ10倍ズームで合成)
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足を拭いてから、ご神水をいただきます。何も入っていないのに、なぜか甘くて美味しく感じます。ペットポトルに詰めてもらって持ち帰る人もいます。
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お土産は、やはり加茂のみたらし団子でしょう。

このお団子は、御手洗池の水泡をあらわしているともいわれ、もともと人形(ひとがた)に穢れを移して水に流していた、禊祓いの神事の名残で、5個の団子のうち、ひとつ目がすこし離して串にさしてあるのは頭を、残りは四肢をあらわしているともいわれます。
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(次は、京都精華大のオープンキャンパスです)
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2012.07.27

山背古道を歩いてきました。(その3)竹取翁博物館を見学

7月15日に、南山城散策シリーズの第3弾で、山背古道・奈良街道・歌姫街道を散策してきました。
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寿宝寺をでて、三山木駅前の竹取翁博物館に入りました。ここは、「竹取物語の舞台は京田辺だった」という説に基づいて、竹取物語をはじめ、京田辺市、さらに全国・世界各地の民族・民芸品などが集められています。

まず入館すると、「どのていど竹取物語のことを知っていますか?」とたずねられました。

わたしは、「粗筋は知っている。その舞台は奈良か京都の乙訓かと思っていた。田辺が舞台とは知らなかった。」と答え、次に「お時間はありますか?」聞かれたので、「ぶらぶら歩いているので予定はない。」と答えました。

そうすると、「一時間程度かかりますが、ここの展示品について、説明させてください。」ということで、館長さんみずからが説明してくださることになりました。

ここからは、なかなか専門的な話や一般に言われる定説を離れた仮説も出てきます。興味のない方は、読み飛ばしてください(^^)
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最初に、竹取物語とはどんな話かとの解説があります。

源氏物語に「日本で最初の物語と紹介されている。」、「原本は伝わらず、成立の時期も、作者も不詳である。写本は古くて室町時代、完全なものだと安土桃山時代のものがある。」、「登場人物の五人の貴公子の名前が壬申の乱に活躍した人物らしき貴族に似ているので、時代背景は奈良時代初期ともいわれる。」

ここまでは、歴史や古典の時間で習って知っておられる方も多いでしょう。

ここから、だんだん専門的になります。

まず主人公のかぐや姫ですが、モデルは、古事記に垂仁天皇の妃としてでてくる迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)ではないかとして、系図が掲げてあります。

姫の父は大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)といって、筒状の木が竹の特性を表し、垂根も竹の根っこの様子に似ています。また筒木がこの付近の地名、綴喜(つづき)にも通じるとされています。

物語も単なるおとぎ話の粋を超えて、
・竹から生まれる異常生誕説話(外国にも竹からうまれる話はあるそうです。)、
・三ヶ月で大人になる急成長説話(これは、竹が竹の子から三月で親竹になるのをイメージしている。)、
・竹取の翁が金持ちになる致富長者説話、
・五人の貴公子に在りそうもない宝物を探しに行かせる求婚難題説話、(このエピソードが物語の見せ場でしょう.)
・天皇からも求婚も断る帝求婚説話、(玉の輿を断るなんてモッタイナイ(^^ゞ
・月の世界へ戻る昇天説話(羽衣伝説)、
・富士山名前の由来を説く地名起源説話

とあらゆる要素が揃っている、創作物語であることが展示品から説かれていきます。

ここまで読んで疲れた方は、遠慮なくエスケープしてくださいね(^^ゞ
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「かぐや姫の舞台が京田辺」というだけでも、かなり驚きますが、次の特設コーナーでは、「その作者はずばり弘法大師空海だ。」
として、空海の生い立ちから遣唐使として足取りなどが展示されています。

ここからは、わたしの個人的な見解ですが、五人の貴公子は天武天皇の朝廷のブレーン、つまり体制側の人間です。それを婚約の品を取りに行かせ、みな失敗して死んだり笑いものにされたりしている、つまり暗喩で体制批判を行っている藤原政権に批判的な人物の筆ではないかと思っています。

空海は、嵯峨天皇のブレーンですし、藤原氏ともそれほど粗略な関係とは思えません。筆のすさびにしろ昔物語を書くような人物には思え無いのですが・・・・・・

その他、いろいろな根拠をあげて竹取物語の舞台は京田辺説を説明していただけました。

もっとすごいのは、「邪馬台国は徳之島(鹿児島県奄美諸島)だ。」というコーナーです。

館長さんの説明では、「魏志倭人伝を読むとこういう結論になる。九州本島やまして畿内などでは決してない。」とのことです。

さらに秦の始皇帝の命令で徐福がやってきた仙人の島も徳之島だということです。

わたしは、邪馬台国については深く調べたことがないのでなんともいえませんが、なかなかユニークな説だと。感想を述べるにとどめておきます。

さらに一休寺や月読神社の大住隼人の舞など、京田辺の文化財をいろいろと説明していただきました。

この間一時間以上、ずっと立ったままの鑑賞です。最後に館長さんをはじめ学芸員さんの研究成果をまとめた本を勧められました。なかなか立派な本ですが、定価がかなり高くて(笑)、遠慮しときました。

わたしは、歴史も国文学も大好きですから、異論はあるにしても楽しく拝聴できましたが、普通の人ではちょっとお勧めしにくいようなディープな個人博物館の探訪記でした。
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帰りに、これから行くと面白い文化財の所在地なども教えていただきましたが、暑いので近鉄興戸駅付近の天井川だけ回りました。ここでは府道八幡木津線(歌姫街道)の前後の天井川を切り下げる工事をしてました。長い年月に高くなった堤防は、まるで小山です。水害防止の観点からは仕方ありませんが、この地方の地形の特色がまたひとつ消えていきます。
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天井川をくぐる電車の写真を数枚撮って、興戸駅から帰途につきました。
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2012.07.25

山背古道を歩いてきました。(その2) 玉川から寿宝寺へ

7月15日に、南山城散策シリーズの第3弾で、山背古道・奈良街道・歌姫街道を散策してきました。
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蟹満寺をでて、さらに古道を北に向かいます。途中の集落にはこんな光景が点在しています。

また天井川をひとつ越えます。ここで道は二手にわかれます。山際を行く山背古道と井出の集落に入っていく奈良街道です。

山際の道も見るものが多いようですが、暑くなって来たので(^^)、町なかへの道を通ります。(この日の京田辺市の最高気温は35℃を超える猛暑日でした)
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奈良線に沿って商店街の続く奈良街道を歩くと、やがて玉川に着きます。川沿いの玉川寺に参ります。

本堂は閉まってましたが、すき間からご本尊様に手を合わせました。
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ここから国道24号線の玉川橋まで川沿いの遊歩道を歩きます。点在する歌碑にも詠まれるように、ヤマブキの里として有名なところです。

春の桜と山吹が咲き乱れるころが一番良いそうです。まだ少しですが山吹は咲き残っていました。
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写真を撮っていると、中学生くらいの男の子が「こんにちは」と挨拶して通り過ぎていきました。部活帰りの息子くらいの年頃です。この付近の学校はなかなか教育が行き届いているようです。感心しました。
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しばらく遊歩道を行くと、木津川堤防上の国道24号線の玉水橋交差点に出ます。ここからは全長500m近くもある長い橋で木津川を渡って京田辺市に入ります。

川沿いにはサイクリングロードが整備されてて、晴天のもと川風に吹かれながら疾走する自転車が何台も通り過ぎて行きます。

通り過ぎると言えば、田んぼの彼方の高架線行く、近鉄やJRの姿も見えます。
しばらく、新興住宅地のようなところを歩くと、ほどなく寿宝寺の山門が見えてきました。
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このお寺には国宝の十一面千手観音様がおられます。案内を請うと、「住職は法事で出かけておりますので、私が案内させていただきます。」と奥様らしき方が収蔵庫に案内していただけました。

観音様は、高さ181cmと等身大です。千手といっても実際に十数本程度しか腕のない観音様も多いそうですが、このお寺の本尊は、本当に左右に500本づつ千本の腕をもたれています。持ち物のない手には、目が印されています。この目で衆生の様子を常に観察されておられるのだそうです。

観音様に対面した時は、収蔵庫の扉が開いて日の光が差し込んでいます。そのためお顔は厳かで睨み付けられているような感じになります。

ところが扉を閉めて部屋が薄暗くなると、お顔は柔和で慈悲に富んだ優しいお顔に変わります。その変化は早変わりのトリックを見てるみたいです。

「昔は、やさしいお姿に接するため、夕方にお参りした。と伝えられます。」とのお寺の方の説明に納得しました。
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収蔵庫をでると、ちょうど住職様も帰ってこられて本堂にもあげていただきました。

バス通りから一歩入った旧道は、奈良街道と歌姫街道をむすぶ旧道です。
このお寺の付近は、古代の山本驛(宿場)の跡とされ、当時の山陽・山陰・東山(東海)・北陸の各街道の奈良の都をでて最初のそして各地への分岐点の宿場として栄えたのだそうです。
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(次回は、竹取物語博物館を見学します)
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2012.07.23

【京阪】旧3000系特急車 最後の夏(その1)

とうとう7月5日付けで、「旧3000系(現8000系8030番台)の平成25年春引退」が正式に発表になり、21日より「さよならHM」の取り付けと記念一日乗車券などのグッズ類の発売がはじまりました。

21日は、仕事ですれ違うだけでしたが、22日に撮影第一弾に行ってきました。
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この40年以上も慣れ親しんだ京阪の顔も旧特急色とともに、あと数ヶ月で見納めです。
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今回のさよなら運行は、毎日の運行予定がHPで公開されています。
まずは、夏祭り(本宮祭)で賑わう伏見稲荷駅(出町柳行き)から撮影開始です。

京阪電車の特設HP
http://www.keihan.co.jp/traffic/railfan/3000/
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続いて、藤森駅(淀屋橋行き)へ移動。
ここでは、電車のバックに見える陸橋から写す予定でしたが、一本前の特急でモロにカブる(笑)おそれが判明したので、素直に駅撮りに。

でも、遅れてたのは一本前の上りだけで結局カブられずに平凡な写真になってしまいました。

また次の機会は陸橋から俯瞰で狙って見ます。
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次の上りは、樟葉~橋本間のS字カーブを淀川堤防上の旧国道から俯瞰ぎみに。

この道路は歩道が無くて三脚を立てる余裕もありません。バスやトラックが通ると風圧ですこし怖いです(^^ゞ
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オーソドックスな走行写真は、だいたい撮れたので、最後はお待ちかねの 「花とおけーはん」で締めくくり。 (橋本~樟葉間下り)
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帰り道は、各停で時間を稼ぎ、伏見稲荷大社の本宮祭にも参拝して、祇園四条で地下駅の到着シーンをゲット。

やはりダイヤがわかっていると計画が立てやすいです。この他の写真は、また編集して、本館の我楽多写真館でUpします。乞うご期待!!
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(次回は、山背古道の続きです)
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2012.07.21

山背古道を歩いてきました。(その1) 蟹満寺へ

7月15日に、南山城散策シリーズの第3弾で、山背古道・奈良街道・歌姫街道を散策してきました。

山背古道(やましろこどう)と奈良街道は、現在の国道24号線に相当する京都と奈良をむすぶ古代の幹線道路です。山背古道のほうがより山際を通っているところが多いです。歌姫街道は、第1回、2回目で紹介したように、八幡から田辺、西木津を通って、歌姫越えで奈良にでます。
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前日の深夜から降り出した雨は、夜中に警報も出る大雨となり、朝から叡電も不通区間が出てしまいました。それでクイズラリーの下見をやめて、また南山城へ出かけることにしました。

家を出るときは、まだ小雨がぱらついたりしてましたが、途中から劇的に天気は回復し、棚倉駅に着いたときは暑いくらいの晴天になりました。

ここからまず蟹満寺に向かいます。駅前の観光地図をみると歩いて20分ほどで着くようです。立て看板の横にはカニのオブジェもありますね
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まずは、駅前の湧出宮にお参りします。今から1200年以上のむかし、伊勢より山城の地に天照大神の御魂であるアメノフキメノミコトと宗像三女神(タギリヒメノミコト・イチキシマヒメノミコト・オキツヒメノミコト)をお迎えして創建されたと伝えられています。

神様をお迎えしたところ、一夜にしてこの地に鎮守の森が湧き出したので、湧出宮と名づけられたのだそうです。

まるで、映画の「となりのトトロ」の森の話みたいですね(笑)
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参道は、梅雨の湿り気を含んだ濃緑がうっそうとして「昼なお暗い」と言う形容詞がピッタリの不気味さです。実際に真昼なのに街灯が点灯してました(笑)

写真は、拝殿から参道を見たところです。管理人に背中側に拝殿と本殿があります。本殿の前には苔が生えたような古い石像の狛犬がこちらを睨んでいました。
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駅前の山背古道を京都方面に歩き始めます。駅前にはタケノコの卸売り市場がありました。日曜で休みなのかひっそりとしています。
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途中は、普通車でも通行困難なような狭いところや南山城名物の天井川の土手を上ったり下りたりします。一年前も、奈良線の撮影にこの付近に来ているのですが、そのときは車で移動したので道が狭いのにおうじょうしました

南山城(旧山城国綴喜郡、相楽郡)は、京都よりは奈良の文化の影響を多く受けており、古民家も大和棟造りとか高塀造りとか呼ばれる様式のお宅が多いです。
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道々、タケノコの里らしいオブジェを見かけました。左は竹をデザインした道標。節に芽が生えているところまでリアルに表現されています。

タケノコの缶詰工場もありましたが、日曜はお休みでした
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昔からの集落と田畑が交互に現れる中を歩いていくと、やがて蟹満寺のお堂が見えてきました。

カニの恩返しで有名なお寺ですが、思ったより(失礼)ちいさなお寺でした。それでも2010年に再建されたばかりの本堂は白木も新しく梅雨晴れに輝いていました。

本堂に入ると、国宝の釈迦如来坐像が鎮座されています。丈六(高さ約240cm、重さ約2.2トン)の大仏です。最近の調査で西暦700年前後の白鳳佛の優品とされています。

写真撮影は禁止ですが、お賽銭をあげるついでに与願印を結ばれている左手に握手させていただきました。冷たいはずの金属がなぜか生暖かく感じて、飛鳥・奈良時代のぬくもりが伝わってきた想いです。

本堂入り口の長押には、「蟹の恩返し」の説話の絵が掲げられています。テープですが、和尚様の肉声で、説話を読みあげていただきました。

詳しくは、蟹満寺縁起のHPを参照。(絵入りで解説されています)
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境内は、カニのモチーフだらけです(笑)。いちばんユニークに感じたのが、庫裏の前に吊るしてあるカニの魚板。叩いて音を出して時間を知らせたりするものですが、魚の形や真四角のものが普通なのに、さすがにカニの寺ですね(^^ゞ
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蟹の供養塔と蟹を助けた娘をお守りされた観音様です。4月18日には、蟹供養放生会といって、カニ料理店の関係者らが集まって、沢蟹を放してカニに感謝するお祭りがあります。
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(次回は玉川から寿宝寺へと歩きます)
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2012.07.19

【JR西・近鉄】奈良線・学研都市線、近鉄京都線でちょい鉄

南山城散策シリーズの第3弾で、木津川市から井出町、京田辺市をまた歩いてきました。

今回も、旧街道や文化財の探索がメインですが、道々通り過ぎる電車を何枚か写してきました。
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東福寺駅に到着する普通奈良行きの221系。これに乗って棚倉駅まで向かいます。

コンデジの撮影なのでわかりにくいですが、一応電車の右上に白いムクゲの花を入れています
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ほぼ一年前にやってきた、棚倉~玉水間の山城古道ぞいのポイントにまた来ました。田舎の風景は、ぜんぜん変わってませんでした。
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お寺めぐりを終わって、最後に学研都市線と近鉄京都線を撮影しました。場所はJRが京田辺~同志社前、近鉄が興戸~三山木間です。

この古い煉瓦のトンネルは、南山城名物の天井川をくぐるものです。明治31年に関西鉄道によって掘られて以来、100年を越える建造物です。長さはわずか電車一両分ほどです。
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反対からみたところ。上の草むらの中に水路が走っています。今は流路が変更されて、空堀状態です。奥のホームは同志社前駅、ホーム一本の棒線駅ですが、ここで折り返す電車もあります。

駅前は、学生街らしくレストランやカフェやワンルームマンションが並んでいます。
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JRと近鉄は数十から2・300メートルの間隔を空けて併走しています。近鉄は後から出来たためか田んぼの中を直線で突き切っています。

白い雲と緑の田んぼのコントラストが鮮やかです。
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空に露出が合うと、電車がアンダーになってしまいます

どちらも適正露出にするのは、難しいですね。
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(次回から山背古道をあるくシリーズをお送りします。)
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2012.07.17

久保修 切り絵の世界展に行ってきました。

京都駅ビルの美術館「えき」KYOTOで7/16まで開催された「久保修 切り絵の世界展」に行ってきました。
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久保 修(くぼ しゅう)さんのことは、この展覧会のポスターを見るまで、全然存じ上げなかったのですが、ポスターをひとめ見て気に入って行ってきました。

会場には、「日本を感じる旅」、「食材を楽しむ」、「京都散策」、「異国の旅」の4つのテーマにわけて150点余りの作品が展示されています。

ひと口に「切り絵」といってもただ紙を切り抜いただけの単純な(失礼)作品ではありません。和紙を染め、ナイフで繊細に切り抜いて仕上げていきます。

和紙だけでなく、洋紙や布・砂・アクリル絵の具・パステルなんかも使って、作品に奥行きと厚みを持たせ、カラフルな色彩を自由に使いこなしています。

まるで油絵のようにすこし離れてみると平板に見えるのに、近寄ってみるとゴツゴツしてたり、浮き上がっていたり、キラめいてたりします。

副題に「紙のジャポニズム」とあるように、「日本を感じる旅」のコーナーには日本のこころの故郷を感じさせる主題がたくさんあります。

「食材を楽しむ」のコーナーでは、ピチピチ跳ねるお魚屋や朝取りの新鮮野菜が並んでいます。お料理も湯気がたってるような質感があります。

「京都散策」では、見慣れた風景も「切り絵で表現するとこうなるのか。」と、うなづくことしきり。
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画集を買ってきて、楽しんでます。

でも、やっぱり写真に撮ると平板になって作品のリアル感がでませんね。小品でもいいから本物を居間に飾ってみたいです。
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2012.07.15

【叡電】「加茂川マコトちゃんを探せ」のクイズラリーはじまる。

昨日から、「えい電でGoGo 加茂川マコトちゃんを探せ」という、叡電を使ったクイズラリーが始まりました。

加茂川マコトちゃん "(C) Kunihiko Ishihara / K P" とは、出町枡形商店街のマスコットキャラクターです。

詳しくは、叡電のHP 
http://eizandensha.co.jp/news/makoto_120618.pdf

または 加茂川マコトちゃんのHP
http://ameblo.jp/kamogawa-makoto/
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専用のHMも用意されて、叡山線系統の列車に取り付けられています。

使用される車両は、主に新緑号の723号と732号、川号(青帯)の724号と731号のアナウンス(叡電のツイッターの情報)がありましたが、初日は川号はお休みで山号(緑帯)で走ってます。 (元田中駅)
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各駅では、さっそく情報を元に謎解きに挑戦されてるかたも見かけました。

私も、まもなく謎解きに出動しますが、紳士協定で、いっさいヒントや答えらしいものはアップしませんので念のため
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楽しいイベントのようですから、みなさんもたくさん参加してあげてくださいね。
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2012.07.14

東高野街道 八幡を歩いてきました。

6月30日に歩いた東高野街道、八幡の街歩きの写真が整理できました。
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京阪八幡市駅を下りると、駅前のロータリーには「竹の里」らしく大きな竹のオブジェが立っています。

空は今にも泣き出しそうな曇り空。でも意外と湿気はすくなくて歩きやすそうです。
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駅前の観光案内所で、目的地の「松花堂庭園・美術館」のパンフレットをもらいます。

「バスで10分ほど、ぶらぶら歩いても30分前後」とのことで、まずは雨の降る前に松花堂を見て、それから街歩きをすることにしました。

松花堂の訪問記はすでにアップしてますので、今回は街歩きの成果を道筋とは関係なく(笑) 再構成してお伝えします。

>>長文なので、圧縮してます。続きはここをクリック。
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ここまで長文を読んでいただきましてありがとうございます。
コメントなどいただけましたら、幸いです。

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(次回は「久保修 切り絵の世界展」)です。
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2012.07.12

【嵐電】記念乗車券「ありがとう302号車」

2012年3月25日に嵐電西院車庫で行われた、第2回らんでんフェスタの会場で発売された記念乗車券です。
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私は、行けなかったのですが、最近ネットオークションで1枚手に入れました。

モボ301型は、1971(昭和46年)に、営業用最後のポール集電の電車として、2両新製されました。そのあと、Zパンタ集電化、冷房化、ワンマン化などの変遷を経て、2007年3月に一旦、休車状態となりました。

しかしながら、301号の方は、地下鉄東西線の太秦天神川乗り入れによる多客対策で、1年後の2008年3月に奇跡の復活を遂げました。

でも、302号はそのまま車庫に留置され続けて、今年の春にとうとう正式に廃車となりました。そのお別れの記念がこの切符なのです。
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すでにブログやHPに載せたものばかりですが、モボ301型の写真をすこし集めてみました。

まだポール集電時代のモボ302号 (山ノ内駅付近) 1974(昭和49)年9月17日撮影
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一旦は休車となる直前のモボ301号。(北野白梅町~等持院間) 2007年3月
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一年後、奇跡の復活を遂げたモボ301号。(帷子ノ辻駅) 2008年3月
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らんでんフェスタに展示されていたモボ302号は、仮台車を履いてました。この写真が撮り納めです。正面から撮っときゃ良かったです。 (西院車庫) 2011年3月
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2012.07.10

落穂拾い 通学臨時列車

最近、バタバタしておりまして、なかなか新作記事の作成もままなりません。

と、云う訳で、この半年ほどの間に撮った写真の中から、気になりながらも、組写真のテーマから外れるなどしてお蔵入りになってた数枚を順次Upしております。

埋め草記事 ですので、無理に などしていただく必要はありません。読み飛ばし 大いに歓迎です その代わり、こちらからもコメントも返さないかもしれませんので、そのつもりで
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新学期を前に叡電出町柳駅で見つけたポスター

結局、実車にはお目にかかれずに運転終了(^^ゞ
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2012.07.08

八幡の松花堂庭園・美術館に行ってきました (その2)

6月30日に、石清水八幡宮で有名な八幡市の松花堂庭園・博物館へ行ってきました。
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庭園を一周して、いよいよ茶室「松花堂」を拝見します。残念ながら松花堂のある一体は、写真撮影禁止なので、松花堂昭乗が石清水八幡の社僧だった頃に住職をしていたお寺の跡と伝える寺の門を載せておきます。
このお寺もたまたま法事で、「一般の参拝はご遠慮願ってます。」と断られてしまいました残念

今に残る茶席「松花堂」は、わずか一丈(約3mちょっと)四方の非常に小さなお堂です。中はわずか二畳の茶室です。仏壇と床の間があり、炉が切られています。天井には、真っ赤な鳳凰が二羽、太陽に周りを飛んでいる質素な建物に似合わないきらびやかな絵が描かれています。

茶室の隣は、書院があります。この建物はもともと石清水八幡の境内にあったものを移築したそうで、桃山時代の建物です。

太閤秀吉の桐の紋の付いた玄関、寛永の三筆が、近衛信伊の「福」、本阿弥光悦の「録」、松花堂昭乗の「寿」の文字を書いたとされる鬼瓦、後陽成天皇や孝明天皇が行幸されたときに玉座として使われた部屋など見るものが揃っています。
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庭園を一巡りして、出口につづく通路にキンギョツバキ(金魚椿)コエビソウがその名のとおりの華麗な花を咲かしてました。

途中は渋くて、最後に明るく送り出すのは、茶道の極意のひとつなんでしょうかねぇ
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続いて、美術館に入ります。

まずは、松花堂昭乗を紹介するビデオを見ます。昭乗の生い立ち(豊臣秀次の隠し子との説もある)から、僧侶としての生涯、さらに江戸初期の茶人、絵師、書家など文化人としての業績の紹介、そして晩年の松花堂への隠棲と続きます。

さきほど見てきた茶室や書院の内部も詳細に見せてくれます。切符売り場で「まず庭園からご覧下さい。」と、案内されますが、美術館も見学するつもりなら、まずこのビデオを見て、知識をつけてからお庭を見るほうが良くわかるようです。今後、行かれる方の参考までに。

もちろん、「お前とちがって、茶道や日本庭園には詳しいんじゃ。」とおっしゃる方は御随意に
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この日の訪問のメインである特別展「奈良絵本・絵巻の楽しみ」を拝観します。

奈良絵本は、展覧の手引きによれば、「室町から江戸時代に主に書かれた、絵入りの御伽草紙の冊子や絵巻です。「竹取物語」、「浦島太郎」、「一寸法師」といった日本の昔話をはじめ、「伊勢物語」、「百人一首」、「徒然草」などの古典文学作品を題材としています。」

管理人は、この素朴な草紙絵が好きで、京都近郊で展示会があるとできるだけ見に行くようにしています。

題材は、子供向けのおとぎ話が多いですが、十分おとなの鑑賞に堪えます。近年データベース化が進んで、デジタル的な手法を用いて、作家や書家や画家の名前などが明らかになりつつあるそうです。

興味のある方は、下記の慶応義塾大学のデータベースをご覧下さい。
世界のデジタル奈良絵本データベース
http://dbs.humi.keio.ac.jp/naraehon/

入門書は、こちら
入門 奈良絵本・絵巻」石川透 著 思文閣 刊 2100円
http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784215317
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松花堂を出て、旧東高野街道を八幡市駅まで散策しました。このときの様子は、また紀行文にまとめて、本館にアップしたいと思ってますので、乞うご期待!!
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2012.07.06

八幡の松花堂庭園・美術館に行ってきました (その1)

6月30日に、石清水八幡宮で有名な八幡市の松花堂庭園・博物館へ行ってきました。

松花堂庭園とは、松花堂弁当を作り出したことで有名な、松花堂昭乗のゆかりの地に作られた文化施設です。昭乗の晩年すごしたお堂を中心とした庭園に茶室やホール、美術館、料亭(松花堂弁当を味わえます)などが、点在しています。
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京阪八幡市または樟葉駅からバスで10分ほど、歩いても30分ほどの道のりです。わたしも行きはバス、帰りは旧街道を散策しながら戻ってきました。

大芝・松花堂前のバス停を降りると、東高野街道と奈良街道(歌姫街道)の分岐点で交差点には「月夜田」という洒落た地名表示がありました。

切符売り場から料亭の中庭をのぞくと竹の里らしく七夕飾りが篠竹に揺れてました。入場券を買って、中に入ります。
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園内は一方通行の回遊式庭園になってます。やはり竹が多いです。これはクロチク(黒竹)。名前の通り黒っぽい幹をしています。カタバミと合わせてみました。
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雨後の筍のことわざもあるように、春先から梅雨の時期にかけて、雨が降るたびにタケノコがニョキニョキ伸びてくるようです。

端境期なのか、色物の花は少なくて、比較的地味な印象のお庭です。松花堂のイメージからもっと華やかな花のお寺のようなところを想像してたので、ちょっと意外でした
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これは、キンメイモウソウ(金明孟宗竹)といって、ひと節ごとに縦縞の模様があらわれる変わった種類の竹です。お庭に植えるとアクセントになりそうですね。
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竹林の最後は、キッコウチク(亀甲竹)。節が斜めに連続して亀の甲羅のような模様を見せます。根元だけ亀甲のは良く見ますが、ここのはかなり上のほうまで模様になってます。
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庭園の一番奥に、「女郎花塚 (おみなえしづか)」があります。

謡曲「女郎花」の舞台とされ、傍らの説明板によれば、

昔、男山の麓に住む小野頼風と深い仲となった都の女が、男の足が遠のいたのを恨み悲しみ、男山を流れる放生川に身を投げた。女の脱ぎ捨てた衣が朽ちて女郎花がとなった。この花を折ろうとすると恨みがましく逃げていく。その姿を見た男は、嘆き悲しんで後を追って入水した。

里人は、女の塚を女郎花塚、男の塚を頼風塚と言うようになった。

との伝承があります。
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奥の石垣の中の五輪塔が女郎花塚です。男の塚は、石清水八幡の参道にあります。

竹垣のなかに植わっているのがオミナエシです。秋の七草のひとつで、初秋に黄色い清楚な花が咲きます。
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(茶室「松花堂」の拝見から美術館見学へ続く)
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2012.07.04

【本】京都 岩倉実相院日記 (管 宗次 著)

岩倉つながりで、岩倉実相院に関する本を紹介します。

Iwakura_nikki 「京都 岩倉実相院日記」 管 宗次 著 です。副題に「下級貴族が見た幕末」とあるように、岩倉実相院の事務をつかさどった下級貴族が幕末から明治維新の京都の世情を書き残した日記を紹介する本です。

岩倉実相院は、このブログでも春のさくら、秋のもみじとよく紹介していますが、岩倉の集落のシンボルともいえる門跡寺院です。現在は単立寺院ですが、元は天台宗寺門派(三井寺の末寺)でした。

このお寺に260年の長きにわたって、坊官とよばれるお寺の事務職員のような僧侶であり、下級貴族でもあったひと達によって書き継がれた日記が、百年ぶりに平成10年に発見されました。

この本は、その膨大な日記の最後の期間の、幕末から明治維新までを書いた、松尾刑部卿法印親定(まつおぎょうぶのきょうほういんちかさだ)の部分をおもに取り上げたものです。
2012_04_iwarura_02(春の実相院 : 岩倉川の桜並木。岩倉駅前からこの川沿いにさかのぼっていくとお寺の前にでます。 2012.04)
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この松尾刑部というひとは、今風に言えば宗教法人の事務長といった役どころで、お寺の事務を取り仕切っていました。なかなか筆のたつひとで、またすこしユーモアを解し、腰も軽く-悪く言えばおっちょこちょいの慌てん坊 と、管理人そっくりの愛すべき性格-で、お寺にまわってくる回状や訪問者の応対の記録はもちろん、京の町へ出かけていって、いろいろとニュースや噂をかき集めては、小まめに筆記しています。

当時は、バスも電車もありませんから、京の町のたとえば御所へ行くにしても歩いて2時間は掛かったでしょうから、町なかにあった里坊と呼ばれる出張所のようなところに泊まって、市内を歩き回ったようです。

内容は、幕末ですから、やはり尊王攘夷派と佐幕派の対立によるテロ・暗殺・風刺・落書が見所(?)です。尊攘派も佐幕派も、相手の首謀者にテロを仕掛け、暗殺し、その首を三条河原にさらしたり、切り合いしたりしています。

門跡寺院の中には、粟田口の青蓮院のように、門主自らが、尊王攘夷の嵐の中に飛び込んでいかれる血の気の多い(失礼)お坊さんもおられたようですが(笑)、実相院は当時は無住といって、門跡さまは空席になっていたようで、特に政治的な色彩もなく、純粋に(?)坊官の好奇心から、噂をかき集めていたようです。
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Iwakura_kaeru01a (夏の実相院 : 大雲寺のモリアオガエルのたまご。大雲寺は実相院のお隣にあるお寺で、源氏物語の若紫の巻のなにがしの寺のモデルとされています。 2011.06)
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それでもやはり末席とはいえ貴族の一員、あずまえびす(失礼)の支配を逃れて、平安の昔のように天子さまのご支配の時代がくるのは望んでいたようで、幕府方を批判・中傷する落書を写したり、自分で風刺文(絵入り)を作ったりもしています。

幕末の岩倉といえば、岩倉具視の旧跡が今も残ってますが、岩倉公とのやりとりの記録もありますが、やはり尊攘派の首魁と付き合うのは危ないと思ったのか。境内に住まいを与えながら、つかず離れずといった応対をしていたようです。

さて、ご承知のように、明治維新になって得をしたのは、一部の薩長土肥の尊攘派の藩士と高級公家だけで、その他の普通の藩士や貴族たちは、わずかな退職金がわりの債権をもらっただけで、多くは士族の商法に象徴されるように没落していきました。

実相院も、岩倉公に借家をさせたカイも無く(笑)、廃仏稀釈の嵐でそれまでの特権をすべて取り上げられ、坊官たち事務員も寺を追い出されました。この日記の記録者の松尾刑部の最後も、じつはよくわかっていません。あるいはどこかのお寺か神社に潜り込んだか、巡査や教師になって明治を生き延びたのかもしれませんね
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Iwarura02_2 (秋の実相院 : 紅葉の表門。昨年のもみじの照りはイマイチでした。今秋はすばらしいことを願ってます。 2011.11)
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と、まあ一気に読後感を書きましたが、実際土日の二日間で読み終えました。地元のなじみのお寺のことだけあって、内容もよくわかり、面白かったです。

梅雨の実相院は、青葉もみじが色濃くなりお庭は雨でしっとりと濡れ、参拝者も比較的すくなく(紅葉の頃は押すな押すなの混雑)ゆっくりと拝観できる良い季節です。

夏休みの京都旅行のスケジュールに岩倉を組み込んで見られてはいかがでしょうか? 都合がつけば、あちこちご案内しますよ
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Iwarura01 (冬の実相院 : 岩倉具視旧邸の初雪。岩倉の冬は厳しいです。 2012.01)
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(次回は、八幡市の松花堂庭園・美術館を訪ねます)
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2012.07.02

今日のお散歩は、岩倉幡枝八幡宮

今日のお散歩は、岩倉幡枝町の鎮守さま幡枝八幡宮です。
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「幡枝なんか知らない。」といわれる方も多いと思いますが、比叡山を借景にしたお庭で有名(特に紅葉の頃がみごと)な、円通寺のあるところといえば、「あぁ~、知ってる。」と、うなづかれる方もあるかもしれません。

叡電の木野駅から徒歩で、地下鉄国際会館駅からバスで円通寺に向かう途中に小高い丘が見えてきます。その丘の頂きにこの八幡様はあります。

幡枝集落は、古くから旧鞍馬街道の沿道として開けたところで、古代の古墳や平安時代の栗栖野(くるすの)瓦窯跡などの史跡が残っています。
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アジサイの咲く社務所の前からみた本殿です。由緒書きによれば、祭神として応神天皇と神功皇后を祭り、寛平6年(894)に創建されたとされています。もう1100年以上も、この村里を守っておられます。

江戸時代には、この洛北の地をこよなく愛された後水尾天皇がご寄進されたりしています。

今は、普段は社務所も無人のようでひっそりしています。
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神楽殿からみた本殿です。たれ幕に隠れて見にくいですが、本殿と摂社の貴船神社が軒を重ねて建てられています。ちょっと変わった社殿ですね。べつに敷地が狭いわけでもないのに、なにかいわれがあるのでしょうか?
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神楽殿には何枚か絵馬が掛かってますが、この一枚が目を引きました。女の人が縫い物をするために針に糸を通そうとしている絵柄です。「京都本みすや針組合」の文字も書かれています。

女性の方で、特に和裁をされる方はご存知だと思いますが、12月8日、または2月8日に、針供養という行事があります。この神社でも行なわれます。
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正確には、神社の境内の奥にある「針神社」の行事です。当日は、使い古した針を持ち寄り、神前のコンニャクにさしていつも使う裁縫道具への感謝と裁縫の技芸上達を願います。

なにぶん、ボタンのほころびひとつ直せない(笑)裁縫とは縁の無いオッサンのことで、一度も参列したことがありませんが、今年の12月8日は土曜なので、覚えておれば、一度どんな行事が見てみたいと思ってます。
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(次回も岩倉の話題が続きます)
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