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2012年10月に作成された記事

2012.10.31

【大津線】ラッピング電車ほかの釣り物

27日の特急色以外の釣り物です。他にもラッピング電車はいろいろと走っているのですが、今回あたらしく釣れたのは、「ちはやふる」と「大津市社協」の2種類です。
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三井寺~浜大津間の併用軌道区間を行く「ちはやふる」の山側の側面と
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三井寺~別所間の急カーブをいく湖側の側面です。
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別所~三井寺間の浜大津よりの急カーブを曲がる、大津市社協創立60周年のラッピング電車。
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逢坂山を背に、別所から続くまっすぐな線路を突っ走るハロウィンのラッピングの703+704。 (南滋賀~滋賀里間)

下見の時から、この構図で特急色を撮ろうと考えてたのですが、直前に気が変わって、坂本行きのホームに移動しました。

結果は、・・・・・・
ご一緒くださった、京阪快急3000さんには、ご迷惑をおかけしました<m(__)m>
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滋賀里駅から坂本側は、京滋パイパスを越えるため急勾配になります。電車は坂道もグングンと登っていきます。(滋賀里~穴太間)
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坂を上りつめたパイパスの上は、すこし平坦になってます。京阪の沿線は、高いフェンスで囲われているところが多くて、線路脇で花鉄できるところは、あまり見つけられませんでした。この日、唯一とれた「花とおけーはん」です。 (穴太~滋賀里間)
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同じ場所を線路脇から見たところ。30パーミルの急勾配は迫力があります。

阿蘇の外輪山のスイッチバックの33パーミルの急勾配をSLが昇り降りするのを見たことがありますが、改めて蒸気機関車のものすごいパワーを実感しました。
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これは、京町一丁目交差点で、特急色を待っていたとき、自転車の親子連れが「なにか変わった電車が走るのですか?」と声を掛けられて「あと5分ほどで石坂線の特急色の電車が京津線を走るんです。」と教えてあげましたら、「それなら待ってみていこう。」というわけで、モデルになっていただきました。

「このまま、特急色がくれば絵になるなぁ(^^♪」と、思ってたんですが、残念ながら向こう側に渡って特急色が来たときは、電車の陰になってしまわれました(^^ゞ
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2012.10.29

【京阪】600形特急色 四宮車庫撮影会

Shinomiya04 27日は、ひさびさに600形しかもリバイバル特急色にラッピングされた、603+604の編成が京津線の浜大津~四宮間を臨時列車で往復しました。

折り返すまでの約1時間をあてて、四宮車庫で撮影会もありました。

「はじまってすぐは一杯のひとだから、一旦食事して空いた頃に写そう。」と、いうわけで山科駅前で食事して、12時半すぎに車庫へ入ったのですが、まだまだご覧のひとだかり(^^)
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Shinomiya01 それでも、入れ替わりに前に進みながら撮影できました。

懐かしい「準急 三条」の標識を付けています。
地色が黄色は三条~石山寺の系統をあらわしています。

その前は、「急行 三条」と「急行 石山寺」の裏表も掛けられたそうです。
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Shinomiya02 列が進んで、斜め前の位置から撮れる所に来ました。

この時は、「準急 石山寺」の標識に変わり、方向幕も「石山寺」になりました。
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Shinomiya03 この連結麺のアップを見ると、種車の旧300形の面影が見て取れます。

もともと片運転台車でしたが、604号(旧304号)の妻面は丸みのついたスタイルをしてます。
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15年前、三条~御陵間が廃止になる前日の京津三条駅に到着する直前の603+604の編成です。
この頃は、大阪に住んでたのと、鉄道趣味からちょっと引いて(笑)いたので、京津線のまともな写真は、
これくらいしか残ってません。
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Shinomiya05 12時45分に、車内の公開が終了し、13時前には、昼からの運行を撮影するために、みなさん車庫を出ていきました。

ホームから、点検の様子をながめていると、背後の東海道線をEF210に引かれた5071レと思われる貨物列車が通過して行きました。
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Shinomiya06 13時ちょうどに、出庫し入換線に入りました。横を京都方面への列車が通過して行きます。

この後、3番線に入線して、13:08発で浜大津経由石山寺に向かうことになりますが、私たちは、途中で撮影するために、13:02発の浜大津行きで先行しました。
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2012.10.28

【京阪】久々に京津線をはしる600形特急色を撮影

昨日は、ひさびさに京津線の浜大津~四宮間を走った、600形特急色を、京阪快急3000さんと一緒に撮影して回ってきました。
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まずは、滋賀里駅と三井寺付近で、通常のコースを臨時運行する列車で練習してから、本命の京津線の併用軌道区間にやってきました。

この道路は、国道161号線に指定されて京都府と滋賀県を行き来する車が絶えることがりません。

できれば、もう少し町並みを入れたアングルにしたかったのですが、いざ電車が近づいてくると無意識に車を排除してしまって(笑)、こんな電車がアップの写真になってしまいました。
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目の前を通り過ぎた電車は、右に折れて道路から専用軌道に入っていきます。

バックの山は、山城国と近江国を隔てる逢坂山です。近くには逢坂関跡や旧東海道線の逢坂山トンネル、蝉丸神社、長等山公園、大津宿本陣跡、大津事件の碑、天孫神社などの名所が点在しています。
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四宮車庫での撮影会を終えた電車は、再び逢坂山を越えて、大津に戻ってきました。民家のすき間から、ヌっと電車が顔を出すシーンは、路面電車をあまり見かけない人は、 でしょうね。

私も、いくつになってもこの道路の真ん中に飛び出してくる瞬間は、心が躍ります コドモですねぇ(笑)
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地元も、時ならぬカメラの放列に「いったい何が通るんですか?」と、声をかけてこられます。「いつもは石坂線を走ってる特急色に塗り替えた電車が、今日は京津線を走るんです。」と答えると。「珍しい」とか「懐かしい」とかいって、ケータイを取り出して横に並ばれたりします。

たまたま隣にカメラを構えられた方との交流もありました。

これはすべてのイベントにあることでしょうが、極く一部のマナーの悪い方の見苦しい行動が目に付きましたが、ほとんどのみなさんは、マナーを守り譲り合って楽しく撮影されてました。

京津線走行シーン以外の写真も、順次アップしていきますので、また見てくださいね。
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最後になりましたが、ご一緒くださった京阪快急3000さんには、一日お付き合いくださいましてありがとうございました。また機会があれば、誘って下さいね。ただし出来れば、ネタ車のはしるイベントではなくて、普段着の撮影でね(^^♪
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2012.10.26

【叡電】元田中の夕日

日が短くなってきて、午後4時過ぎには夕日の斜光線が差し込むようになってきました。なにか気ぜわしい感じもしますが、手頃な時間帯に、夕日の写真を楽しめる時期でもあります。
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コンデジしか持ち合わせがなかったので、設定を変えて何枚か写してみました。見た目にはデッカイ夕日が真向こうに輝いているのですが、写真に撮るとなぜかぼんやりした丸にしか写りませんでした(^^ゞ
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近くの田中神社では、秋祭りの準備が進んでました。拝殿の神鈴が夕日にキラッ  と、輝いてます。
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オレンジきららが来ました。炎のレールの上を向かってくるようです。

クールな青信号が、対照的
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(おまけ)
出町柳駅の京阪・叡電連絡通路の発車案内表示機が足掛け4ヶ月もの長期休止を経て、新型機に取り替えられました。

叡電のツイッターによれば、これは叡電の持ち物ではなくて、京阪電車が案内のために取り付けているのだそうです。

てっきり、叡電の持ち物だとばかり思ってました(^^ゞ いつまでも「故障中」のままだったので、暗に「叡電さん、早く取り替えてよ!」といったニュアンスの記事を前に書きましたが、お詫びします<m(__)m>
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(次回は、京阪大津線の撮影記の予定です。)
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2012.10.24

【叡電】秋の花シリーズ(2012)その4 コスモス(続き)

コスモスの続きです。前回の公園から一乗寺駅をはさんで反対側の一乗寺3号踏切付近です。
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ここも、近所の方が丹精されてる植え込みがあって、一年中草花が絶えません。家からも近いので、サンダル履きでぶらっと撮りに行きます。
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赤むらさきやビンク、白の花を揺らせて、オレンジきららが通り過ぎて行きます。

コスモスは、華やかで花期も長く、それに草丈があるので大きな電車ともあわせやすいので、「花と鉄道」の写真には持って来いです。
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ファインダーをのぞいたときは、画面いっぱいに花があるように見えたのですが、出来上がりを見てみると、肝心の真ん中がツボミばかりですね(笑)
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もうすこし絞り込んで電車の顔をハッキリさせたほうが良かったかな? 回りの煩いのは、画像ソフトでぼかす手もあるし。
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秋桜に見送られて、桜色の帯びの電車が上って行きました。
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2012.10.22

中学テニス大会 京都市ブロック予選 を観戦

昨日は、息子の中学の部活の中学校軟式テニス大会の新人戦個人戦初級(一年生対象)京都市大会の応援に行ってきました。
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会場は、市立洛南中学のテニスコート。個人戦予選を勝ち上がったペアが、24ペアの府大会出場枠を目指します。修学院中学からは、息子を含む2ペア4名が出場しました。
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実は、テニスの公式戦を観戦するのは初めてで(^^)、「ヒマをもてあますんじゃないかなぁ?」と文庫本や雑誌をもって行ったのですが、なかなか中学一年といっても、ジュニア選抜に選ばれるような将来有望な生徒のすごいプレーも見れて試合の流れに一喜一憂してきました。

結果は、息子のペアはなんとか3回戦まで進出しましたが、そこまで、それでも府大会の出場枠には入れました。もうひとペアは、惜しくも1回戦で敗退でした。

選手ならびに関係者の皆さん、お疲れ様でした。また練習して次の大会でも好成績の残せるように頑張って下さいね。

ところで、なぜテニスの得点は、0:ラブ(0:Love)→1:フィフティーン(15)→2:サーティ(30)→4:フォーティー(40) って数えるんでしょう、15と30は判るとしても残りの二つは何故

それと、同点をデュース(ジュース)と呼びますが、まさか飲み物が語源じゃないですよね
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2012.10.20

【叡電】秋の花シリーズ(2012)その3 コスモス

日に日に秋が深まってくるこの頃です。
叡電沿線も、ヒガンバナの季節は終わり、コスモス・ススキ・キンモクセイなどが見頃になってきました。

13日に撮影したコスモスです。(茶山~一乗寺間の一乗寺公園の花壇にて)
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この公園に写しに来たのは、ほぼ一ヶ月ぶりです。前回(9/15)はまだまだ残暑が厳しくて、木陰が恋しかったですが、お彼岸を過ぎてからは順調に季節は進んでるようです。
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ここでも、彼岸花は、すでに終わってしまってます。今年は叡電沿線では撮り損ねたみたいですが(笑)、京阪大津線沿線で、何枚か写せたのでヨシとしましょう。
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イラスト電車の後ろ半分は、秋冬の絵です。さらにもう一ヶ月たつと紅葉祭り、さらに一ヶ月後は、初雪でもおかしくありません。

何やかや言っても、季節は進むんですね。
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この日は、昼間は暑いくらいの晴天で腕まくりして「おけーはんと秋の雲」を撮影してましたが、叡電に戻ってくると曇ってしまいました。

せっかくのピンクや白の花があまり映えないのが残念です。
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他にも、コスモスの花壇は点在してるので、続いて回ってみることにします。
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(続く)
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2012.10.18

【京阪】水と雲とおけーはんと

先週末は、寝屋川車庫の一般公開のため旧3000系の本線運行はお休み。アマノジャクな 管理人は、「逆に人が少なくて写しやすかろう。 」というわけで、伏見港付近へ出かけてきました。
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中書島駅を降りて、秋祭りで賑わう三栖神社のお旅所にお参りしてから、宇治川派流運河の土手を伏見港に向かいます。

河原は、お花畑が続いて最初は「花とおけーはん」のつもりでしたが、鉄橋のコンクリートのガーダーが高くて、車体が半分隠れてしまいます。それで秋らしい雲をメインにしてみました。
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伏見港公園です。屋形船を模した休憩所があります。ここで本物の十石船と電車のコラボを撮ろうとしばらく粘ってみたのですが、なかなかタイミングが合いません(^^ゞ
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なぜか、「ハト特急とハトの舞い」は、撮れました(笑)

昔々、鴨川の土手をハト特急が走っていた頃、こんな写真が撮られていたのをふと思い出しました。
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1時間ちかく粘って、やっとこんな一枚だけ手にすることが出来ました。もう十数メートル舟が進んで、全体が入ってくれればベストだったのですけど・・・・・
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三栖閘門を通って、新高瀬川の鉄橋へ回ります。

ここは、赤いガーダーの鉄橋です。春先は菜の花が咲き乱れて、「鉄橋の赤菜の花の黄川面の青」で、信号みたいに美しいのですけど、今の時期は緑一色で芸がありません

それで、水鏡に映った「逆さおけーはん(笑)」を、狙ってみました。

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二階建て部分は、やはりデザイン的に絵になりますね。
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最後は、たまたま鉄橋上ですれ違った、新旧塗装の普通電車を。

今まで、あまり試したことのない構図ばかりで、中途半端な作品ばかりですが、少しはレパートリーが広がったかなと思っておきましょう(笑)

この先、国道1号線を渡ってさらに15分ほどテクると、有名な千両松踏切の横大路大カーブの撮影ポイントです。個人的にはおけーはんのドアップの写真は、ネタ車以外はあまり撮る気がしないので、行かずにバスで帰ってきました。
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新おけーはん、ネットで投票中。立候補者は、プロの役者さん、学生モデルさん、社会人さん、大学生さん、高校生さんだそうです。

わたしは〇番の方に一票入れようかと思ってます。京阪沿線の方もそうでない方も、ぜひ新おけーはんにあなたの一票を(笑)

詳しくは↓
http://www.okeihan-daiboshu.com/
(次回は、花とえーでんのシリーズの予定です。)
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2012.10.17

秋の伏見港から宇治川堤防を散歩してきました。

201210fushimi02 13日は、朝だけちょっと仕事だったのですが、すぐ終わったので、帰りに中書島で途中下車して、伏見港から宇治川堤防を散策してきました。

駅から旧京街道を大阪方面に戻ります。しばらく宿場町伏見らしい古い民家の残る道を歩くと、宇治川派流の運河沿いに、三栖神社のお旅所の金井戸神社があります。

天武天皇を奉るこの神社は、先週が秋のお祭りでした。7日の夜の火祭り(炬火祭)が一番の見ものです。

実は、電車から見えるこの神社が三栖神社と思ってたのですが、本社はさらに西へ数百メートルほど行ったところにあります。

御輿殿には、りっぱなお御輿と神具、獅子頭一対が飾ってありました。
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201210fushimi03 お旅所のすぐ横は、宇治川派流が流れています。川原は遊歩道になっていて、秋の草花が植えてあります。

ぶらぶら歩いてると十石船がやってきました。手漕ぎではなく、船尾にエンジンを取り付けて、白波を立てながら川を行き来しています。
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201210fushimi04 京阪の線路の下をくぐると、かつての港の跡にでます。

1950年代までは、実際に港として機能していたそうですが、陸運の発達と宇治川の水位低下で、使用されなくなり、今は公園として整備活用されています。

ここで、電車と十石舟のコラボを撮ろうとしばらく粘ったのですが、けっきょくバッチリな写真は撮れませんでした(^^ゞ

(電車メインの写真は、次回にUpします。)
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201210fushimi05 港と宇治川をつなぐ三栖閘門です。

運河と宇治川本流の水位差を解消するため、2ヶ所の水門の中に船を止めて、水位を昇降させるいわば貨物リフトのような仕組みです。

手前のレトロな建物は、三栖閘門資料館で、中には伏見港や淀川水運に関する資料が展示されています。

かつて、伏見港が京都の外港の役割を果たしていた頃は、市電伏見線や京阪の貨物線が引きこまれ、水陸の旅客・貨物の中継点として賑わったそうです。

京阪中書島駅のすぐ西側のガードも昔は運河で、体育館やプールのあるところも船溜まりでした。
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201210fushimi06 宇治川側の閘門です。

かなりの落差があります。今は天ヶ瀬ダムの建設で水位が下がっていますが、むかしはもう少し水位差は小さかったんでしょうね。

中央の茂みの奥に見えるのは、近鉄京都線の澱川鉄橋です。
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201210fushimi07 閘門をでて、新高瀬川の鉄橋でまた数枚電車の写真を撮ってから、宇治川堤防上の道路を大阪方面に歩きます。

両岸は、ススキが原になってます。川原はえぐられて崖みたいになってます。

台風などの出水時は、この広い川原も濁流で埋め尽くされるのでしょうか。

夏の宇治の集中豪雨の惨状が、頭をよぎりました。
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201210fushimi08 川原からつづく巨椋池の干拓地の真上は、秋の雲が覆っています。

そこを数本の高圧電線が切り刻んでいました。
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201210fushimi09 国道一号線の宇治川大橋を越えた付近から下流側を見たところです。

ちょっと判りにくいですが、奥の川原の茂みのなかに、京阪の架線柱が顔を出しているのがわかりますでしょうか?

普段ここを電車で通っても、車窓は高い堤防に遮られてこんな雄大な景色が広がっているとは思っても見ませんでした。二階席にすわるとちょっと見えるかもしれませんが。

これで、電車の姿がはっきり見えれば、京阪屈指の撮影ポイントになりそうな場所ですが、残念ながら屋根しか見えません(^_^;)
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201210fushimi10 釣りしてるひとのそばまで降りて、秋草を写しました。

このまま、おそらく30分ほど歩くと競馬場の前を通って、淀駅まで行けるのですが、今回は止めときました。

帰りは、横大路車庫から京都駅までバスで戻ります。途中の竹田久保町から留学生らしき一団が乗り込んできて、急に満員になりました。車内で記念撮影したり、ガイドブックを広げたり、英語、中国語、韓国語、日本語が飛び交い、車内は一気に国際色豊かなツアーバスに(笑) 龍谷大学の学生さんなのかな?
(次回は、伏見港を中心に撮影した京阪電車の様子です。)
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2012.10.16

【本】かくれ里 白洲正子 著

白洲正子さんの紀行文集「かくれ里」を読みました。

実は、白洲正子さんのことはほとんど存知あげてなくて、この本もたまたまブログの常照皇寺の記事に、ち-ぼ-さんから「『かくれ里』を読んで気になりました。いつか行ってみたいです。」というコメントをいただいて、はじめて知ったような次第です。そのときの記事は↓
http://nakkacho.cocolog-nifty.com/main/2007/06/post_5f0a.html

Kakuresato 内容は、京都をベースに、山城、丹波、大和、河内、近江、若狭、越前、伊賀といった近郊の山里を訪ね歩かれて、その中から20数ヶ所のかくれ里を紹介する紀行文です。

旅行記といっても、単なる物見遊山の見て歩きではなく、歴史的・古典的な、文学、美術、芸能(特にお能)に造詣の深い筆者ならではの解説や感想が添えられて勉強になります。

地名や人名や神仏の名などをもとにその変遷を推測して、「もとはこうであったろう。」と推定されるところがよく出てきますが、そこが特に面白く感じました。

この本の初版は1971年(取材は68~70年頃)ともう40年以上も昔のことですが、随所に「最近は、道路が整備されてどこも人であふれている。」とか「古いものがどんどんなくなっている。」とかの嘆きが書かれています。

当時は、まだまだ古き良き時代のものが残っていたように思いますが、このような「昔は良かった。」の嘆きは、いつの時代でもあるもんなんですね

ただ、ちょっと気になったのは、取材と称して、ほとんど運転手付きの自家用車で雑誌の編集者やテレビのディレクターをお供に連れ、秘宝を見たり、土地の名士とお話したりしておられること。一般の人間ではちょっとムリです

私は紹介されたかくれ里にほとんど行ったことがありません。なかには存在すら知らなかったところもいくつかあります。今も、この本の情景が残っているのでしょうか。それとも観光地化されて、あるいは開発の名のもとに消え去ってしまったのでしょうか。

ネットで調べればすぐにでも分かりそうなものでしょうけど、もし行くチャンスがあれば、この本を片手に今昔の対比をしてみたいですね。
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添付の愛蔵版の表紙は、「重文:日月山水図屏風 (河内長野市:金剛寺蔵)」です。

お寺のHPによれば、今秋は、11月3日(土)10時〜16時にこの屏風の特別拝観があるそうです。南海高野線や近鉄長野線とあわせて拝観してみたいですね。
http://amanosan-kongoji.jp/about/index.html 
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(次回は、伏見港から宇治川堤防の散策の予定です。)
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2012.10.14

【嵐電】の沿線紹介する漫画の第2号、売上の一部を震災援助に

10月14日付けの朝日新聞朝刊の京都版に、嵯峨芸術大学短期大学部のマンガを専攻する学生さんや卒業生、教員のみなさんが、嵐電の沿線を紹介するマンガ雑誌を発行したとの記事が出ています。

昨年に第1号を発行して、売り上げの一部を東日本大震災の義援金として寄付されたそうです。

今年も、第2号を作成するにあたって、大学が嵐電の車折神社駅から歩いて数分のところにあるので、嵐電沿線案内をマンガで作ることにされたとのこと。今年も経費を差し引いた残りを、義援金に当てられるそうです。

嵐電の嵐山駅構内のグッズショップ嵐傳屋で今月末まで販売するほか、大学のマンガ研究室あてにメールで申し込むことも出来るそうです。

詳しくは、京都嵯峨芸術大学短期大学部マンガ分野のサイトまでhttp://sagageimanga.com/
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           (C)嵯峨芸術大学短期大学部マンガ分野
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なかなか、ワカユイ イラストの表紙ですね。震災復興に役立つというところが気に入りました。

今秋に京都観光を予定の方。嵐電大好きの鉄道ファンのかた。萌えキャラにキュン  な方。 ぜひ一冊買い求めて、寄付金を増やしてあげましょう。
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2012.10.13

秋の比叡山から坂本へハイキングに行ってきました。

ようやくハイキングしても、汗をかかない良い気候になってきましたので、また大原から比叡山・坂本・穴太へと行者道を歩いてきました。さすがにまだ山道も、紅葉には早いですが、すかすがしい秋の景色を満喫できました。

たくさん写真を撮ってきましたので、編集して本館のアルバムでも公開します。ブログは、ほぼテキストオンリーです。ちょっと読みづらいので、写真入りバージョンをお勧めします。コチラをクリック!!
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Bd_susuki2 イラスト bluedaisy http://bluedaisy.rdy.jp/bd/
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今回の出発点は、春に大原を散歩したときに、ここからも比叡山に登れますと紹介した京都バスの戸寺バス停です。時間は、まだ7時50分。山里はようやく朝日が差し込んだところです。天候は曇り時々晴れといったところ、まずまずのハイキング日和です。まずは登山口に向かいます。

2012_10_hiei03 バス通りをすこし北に向かって進み、「惟喬親王墓」の標識に従って山手に折れます。すぐに坂道になって民家の途絶えたところに、木彫りの人形がありました。立ち木に直接彫り込んであるみたいです。田んぼは、すでに稲刈りも終わり畦の彼岸花も勢いを失っています。できれば群れ咲くような彼岸花を撮りたかったのですが、ちょっと遅かったです。

数分歩くと、惟喬親王のお墓に着きます。親王は、文徳天皇の第一皇子として生まれましたが、母が紀氏の出身のため、藤原氏の反対のため、皇位に就くことが出来ず、悲劇の皇子のひとりに数えられています。後に近江や山崎・水無瀬などにも閑居されています。洛北から近江にかけては、親王の寓居の跡と伝えるところが点在しています。東近江の鈴鹿山地の山中では、親王が木地師の祖として崇められています。

季節ちがいですが、伊勢物語にも採られた
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今集 春53)
の有名な歌は、親王の渚の院(大阪府枚方市)での花見の宴で、在原業平が詠んだものです。親王は、今も、大原でも観光地化されていない山麓にひっそりと眠っておられます。

親王のお墓からいよいよ登山道に入ります。しばらくは林道が続きますが林道の終点で丸木橋を渡って山に取り付きます。のっけから急な上りが続いてひと汗かきます。この急な道は「ボーイスカウト道」と呼ばれます。ボーイスカウトの登山演習に使うからでしょうか?すこし登ってはちょっと休憩を繰り返し、最後の急坂は尾根に這い上がるように進んで、やっと大原バス停のほうから登ってくる、東海自然歩道のコースに合流します。

大原からのほうが距離は長い代わりにそのぶん楽なのですが、途中の惟喬親王墓にお参りしたかったので、急坂のコースを取りました。だいぶん歩いたように思いましたが、坂を登ったのはわずか20分程度でした。ここからは、ゆるい尾根道を峠まで進みます。

2012_10_hiei06 バス停からちょうど1時間で、仰木峠に着きました。現地の説明版によれば、その昔は近江からお米や藁製品(俵・むしろ)などが大原に牛馬や人力で運ばれたそうです。また婚礼があると花嫁さんも峠を越したそうです。実際に洛北と西江州は、結びつきが多く、先祖は大津市の北部の仰木や堅田地区というお家は少なくありません。また、かつてはお盆に大原と仰木の村人が比叡山の横川に集まって盆踊りをしたという話も聞きます。

峠から横川までは、「尾根道をゆるゆる行けばよいので楽ちん。」と、考えていたのは甘かった(^^ゞ 最初は快適な尾根道でしたが、水井山への分岐のあたりから急に階段道になって、標高573mの峠から一旦500m地点の沢まで降りて、また590mのドライブウェイの交差まで登るというアップダウンがあります。しかも階段ばかりで途中が雨で道が荒れて歩きにくくて、難儀します。下りの階段は、足に響きます。一段降りるたびに、「またこれだけどこかで登らなきゃいけないんだ(T_T)」と、イヤになってきます。沢から、今度はまた上ります。こちらも階段の段差が高くて、手すりにつかまって「ヨッコラショ」と云う感じで登っていきます。

 
ようやく、ススキに囲まれた一本杉のある、奥比叡ドライブウェイの交差付近まで登ってきました。やれやれです。休憩所で、一休み。車ならほんの数百メートル先に横川の駐車場があって、すぐ境内に入れるのですが、行者道は、さらにもうひとやま越える感じで、さらに階段道が続きます。ここで右足が痙攣して歩けなくなれました(^^ゞ 階段を利き足ばかり踏み込んだため、疲労が溜まったようです。マッサージすると収まりましたので、軸足を左に移してゆるゆると登ります。大原・仰木峠からの道と八瀬・西塔からの道が合流するこのコース最高地点(標高632m)に着きました。石仏様が背の順に並んで出迎えていただいけました。あとは、横川の境内まですこし降りるだけホッとしました。

2012_10_hiei13 大原から1時間45分ほど山道をあるいて、ようやく横川中堂に到着です。休憩ナシで大原からここまで1時間40分が標準タイムですから、まあ普通でしょう(^^)さすがに山奥なので、カエデもほんの少しですが梢が色つき始めてます。去年来た時は、夏の猛暑で色付きが悪くてガッカリしましたが、今年は真っ赤に染まってくれることを期待したいです。

今年の紅葉祭りは、下記の予定のようです。
2012年11月3日(土/祝)~2012年11月25日(日) 10:00~16:00

横川に着いたのはまだ9時半なので、境内はひとが少ないです。まずは中堂の聖観音さまに一年ぶりのご挨拶を差し上げます。続いて、元三大師堂に回って、慈恵大師(じえだいし)良源上人にもご挨拶をいたします。このおみくじの元祖を奉るお堂も参拝のひとは少なくて、お坊様とお話したり、(ここのお坊様は人生相談なども受けてくださるので、さすがにお話は上手いです)、護摩供養の準備をされているのを見せてもらったりして休憩させていただきました。全国から、ひっきりなしに参拝の予約の電話が入るのは、まるで有名なレストランのフロントみたいです(失礼)

参拝のひとが増えてきたので、元三大師堂をでて、こんどは恵心堂にまわります。ここも何度か紹介してますが、恵心僧都源信のゆかりのお堂です。恵心堂からさらに林道を10分ほど歩くと、恵心僧都のお墓があります。横川には何度も来てますが、ここまで足を伸ばすのは初めてです。まわりは横川で修行されたお坊さんのお墓が並んでいます。平安末期から真新しい平成の墓石まで、千年の歴史が眠っています。なにか部外者がやってきてはいけないようなところに来たような気もしました。

すこし林道を戻って、日本生命の慰霊宝塔の横から飯室谷に下っていきます。「この道は急坂だ。」とは聞いてましたが、林道を外れるといきなりものすごい急坂が谷底に向かって落ち込んでいます。分かれ道には小僧さんのイラスト付きの道標があって、「飯室不動まで2.5Km、西教寺まで4Km」かかれてますが、まだこれだけの山道を下らなければなりません(T_T) 途中は、崖の斜面を人ひとり歩けるほどの小道をつけたようなところや大木が倒れて道を塞いでいるのを乗り越えて下るところなど非常に厳しい道です。途中には、千年杉かと思うような大木も何本も生えてます。こんな大木の又には、天狗が住み着いているんでしょうかねぇ(笑)

半分ほど下ったところに、壊れかけた休憩所があります。その横に小さなお堂があって、観音様がやさしいお顔をして半跏思惟像のような姿で鎮座されています。どなたが、奉納されたのでしょうか?。さらに、九十九折の急坂をうねうねと下って、ようやく飯室不動堂の境内に下りてきました。横川からちょうど30分で降りました。

飯室不動堂は、酒井大阿闍梨さまが守っておられるお寺です。毎月28日のお不動様の縁日には、護摩供養にこられる信者さんで賑わうそうですが、普段の日は、ひっそりとしています。しばらく休憩していると、お寺の方が「お参りして行って下さい。」と勧めていただいたので、本堂で不動明王さまを拝ませていただきました。煩悩を断ち切るすさまじいお姿です。寺伝によれば、「その昔、慈覚大師円仁上人がこの谷で修行をされておられたとき、弁才天の十六童子のひとり飯櫃童子(ばんきどうじ)が翁の姿になって、大師に食事を奉仕されました。その甲斐あって大師は不動明王を感得されて、修行を成就されました。その御姿を刻み、御堂を建てて奉られたのが、飯室不動堂のはじまり。」とされます。

2012_10_hiei33 本堂の隣に、慈忍和尚(じにんかしょう)のお墓があります。このお坊様は、天台座主も務められた高僧ですが、「亡くなってから一つ目一本足の妖怪に姿を変え、修行僧を戒め、悪僧や怠け者を次々と下山させたという、云々・・・・・」という伝説が残っています。この一つ目小僧の話は、学生時代の比叡山でのアルバイトの時に、聞いたことがあります。ずっと忘れていて、お参りしたときも「どこかで聞いたようなお坊様のお墓だなぁ。」とは思っていたのですが、とくに案内板も無く、誰のお墓かもわからずに帰ってきました。ネットで調べてわかった次第。(ここまでお参りに来られる方には自明なんでしょうね。)一つ目小僧になったお坊様も、今は千年杉の梢が日光をさえぎる谷間に、静かに眠っておられます。東塔の総持坊とうお堂の入り口に「一つ目一つ足の行者」の板絵が掲げられています。慈忍和尚の化身とされています。

飯室谷をでてまた、山道を西教寺に向けて歩きます。途中の木橋の踏み板が腐って今にも抜け落ちそうになってるところがあって怖かったです。15分ほど歩くと、突然新興住宅地の中にでてきます。今までの山道とあまりに落差があって(笑)、道を間違えてしまい、途中で引き返すなどのハプニングありましたが、12時過ぎに西教寺に到着しました。途中の新興住宅地の片隅に石仏さまや石塔群がまとめられました。おそらくこの丘陵地が開発されたときに出てきた石造物をここに安置したのでしょう。それでも、前垂れをされて花も供えてあるところを見ると、近所の方か近くのお寺の方がお世話されているようです。中には、「心無い人間がいて、形の良い石仏を庭石などとして持って行く者がいる。」とも聞きます。そのような行為には、必ずや仏罰が下ることでしょう。 (合掌)

西教寺の総門を入ります。このお寺には、ずっと昔(まだ学生時代か社会人駆け出しの頃?)やはり、歩こう会に参加して来たような記憶がありますが、もう30年前後も前の事ですっかり忘れてます(笑) 今回が発参拝のつもりです。宗祖大師殿の唐門から眺める琵琶湖と下阪本の景色はすばらしかったです。この日は曇りでしたが、晴れた日はびわ湖の向こうの鈴鹿山地もくっきりと見えるのでしょう。

本堂は、江戸時代に紀州徳川家の寄進で建てられたもので、内陣には重文の丈六の阿弥陀如来さまが奉ってあります。本堂の前の広場には季節外れのガクアジサイがまだ咲いてました。「真盛上人『身代わりの手白猿』」の像もあります。「室町時代の明応2(1493)年に坂本で一揆が起きた時、真盛上人が首謀者だと誤解した比叡山の僧兵が同寺に押し寄せたが、誰もおらず手白の猿が鉦を鳴らしていた。これを見た僧兵は日吉山王の使いの猿まで帰依していると感じ入り立ち去った。という伝承がある。」と説明されてます。
2012_10_hiei29 本坊と本堂をむすぶ橋廊下は、太鼓橋になってます。地形のため斜めになったのは時々見ますが、下を通りやすくするためか、真ん中を高くしているのは珍しいです。裏の客殿には狩野派の筆になる襖絵や小堀遠州作の山水のお庭があります。明智光秀夫妻の木像やゆかりの品も展示されています。そのほかにも、二十五菩薩来迎の石像(阿弥陀様を中心に、楽器を持った菩薩様が極楽にお迎えに来られる様子を彫りだしています。)など、見るものは多いです。面白かったのは、展示室に猿に関する展示があるのですが、「猿が入りますので扉をきちんと閉めてください。」と貼り紙があったことでしょうか。比叡山には野猿がたくさんいますが、それが仲間と勘違いして入ってくるのでしょうかねえ(笑)

最後に、本堂横の明智光秀とその妻や一族のお墓(供養塔)に参ります。光秀は、信長の焼き討ちで焦土と化した坂本に城主として入城すると、このお寺の復興に努力しました。総門や鐘楼の鐘は坂本城の遺構と伝えられています。光秀は、本能寺の変で信長を倒した後、三日天下で山崎の合戦で秀吉に破れ、山科の小栗栖で土民に殺されたと伝えられます。その遺骸は坂本へ運ばれ、菩提寺に葬られたのだそうです。このあたりの話は歴史ファンならずとも興味の湧くところですが、深い詮索はやめておきましょう(笑)


午後の部から写真いりバージョンへ移られるかたは、コチラをクリック!!

西教寺には、まだまだ見るものがありそうだったのですが、時間が押しているので、食堂で、お弁当を食べて午前の部はお終いにしました。午後からは、「大津そろばん」の元祖と呼ばれる長谷川藤広の墓所があるのに因む、「そろばん地蔵」さまに見送られて、坂本から穴太の里の散策に出発です。

2012_10_sakamoto01 しばらくバス通りを歩きますが、すぐに旧街道に入ります。この道は唐崎で西近江街道と分かれて、坂本から比叡山へ登る山道に続く道です。ススキが、いま登ってきた比叡の山並みをバックに、刈り取りの終わった田んぼの畦道に揺れています。ここで、風景を撮るために(正しくは帰りに電車を写すために)、重いのに山道を担いできた(笑) デジイチを取り出します。山道では万一落として壊すのが怖いので一眼レフはよう使いません。この風景の質感を切り取るのは、コンデジでは無理ですね。彼岸花も、やはり終わりかけですが、大原よりはきれいに咲いています。前に日ノ岡峠ではアップで写しましたが、ここは群生を撮らないといけないでしょう。

しばらく歩くと、田んぼ道は終わって住宅街を抜けて、坂本の門前町に入ります。穴太積みの石垣に囲まれたお寺や神社や古い民家が点々と続きます。杉木立に守られた山寺も森閑として良いですが、里坊もまた風情がありますね。でも、このような小道でも結構車が通って、ゆっくりと景色を撮るのは手間がかかります。車の切れ目を狙って、電柱や道路標識もなるべく外して慎重にシャッターを押します。まあ、車社会では致し方ないですね(^_^;)

四つ角毎に、小さなお堂があって、ベンガラ格子や虫籠窓があってなんともいえません。延暦寺の事務所には、造花ですが軒に花が飾ってありました。なぜか洋花風なのが、純日本建築と、ミスマッチングです(^^) ようやく、見慣れた京阪坂本駅前の日吉大社の門前に出てきました。今まで歩いてきたお寺に向かう石の道標が立ってます。食事したばかりだったので入りませんでしたが、少し手前に、喫茶「拾穂庵」があります。元日吉大社の社家のお宅を改造したお店で、散策の休憩にお勧めと見うけました。

穴太積みの陰から見えた石坂線の踏み切りで電車の写真を撮ろうとしたのですが見事に車に邪魔されてしまいました(^_^;) いつもは、ここから電車で帰るのですが、今回はまだ2時前で早いので、旧街道をさらに唐崎方面に進みます。

坂本駅前からしばらくは、夏休みに無動寺谷を降りて坂本に出たときに、滋賀院門跡にお参りしたあとに駅に行くために通った道を進みます。滋賀院への参道を越えてしばらく行くと、榊宮社という神社があります。由緒書によれば、「日吉大社の境外百八社のひとつで、大己貴命を主神として奉っている。日吉山王祭のときは、大津の天孫神社から神様を迎えるための榊をこの神社に一時留め置くおくため『榊宮社』という。」のだそうです。写真をみると数メートルもある大榊を荷車に積んで、坂本から大津まで深夜に引き回すようです。山王祭は、4月中旬に行なわれるので、一度見てみたいです。

坂本の町はずれにも小さなお堂がありました。閉まっていてわかりませんが、地蔵堂かもしれません。前に頬焼地蔵や無動寺の道標が立っています。頬焼地蔵とは、坂本駅から日吉大社に行く途中の左手にある里坊寺院の妙行院の本尊です。「昔、地蔵様に雨よけの笠を差し掛けた猟師が、病気で死に地獄に落ちたとき、地蔵様が身代わりになって地獄の炎で火傷を負われながら猟師を救い出した。生き返った猟師が地蔵様にお礼参りに行くと、頬の半分が焼けただれていた。」と伝えられています。

2012_10_sakamoto13 今は、使われていないのでしょうけれど、半鐘がぶら下がっていました。その先には、大きな十一面観音様が、道路わきの民家の庭先のようなところに立っておられます。拝殿のような小屋はありますが、何も説明書きのようなものはありませんでした。とつぜん、道端に観音様が現れるとびっくりしますね(^^♪ またちょっと行くと、これも近寄れなかったので文字が読み取れませんでしたが、神社のお旅所があります。並んだ石仏の中にある双体仏が興味を引きました。このように数百メートル毎に、気になるものがあって、なかなか前に進みません。これが旧街道の面白いところなのですが(笑)

道は、石坂線の下をくぐって湖側にでます。坂本地区と穴太地区の村境になるところに盛安寺があります。このお寺も、明智光秀のゆかりの陣太鼓や桃山御殿風の重文の客殿や立派なお庭など見るところが多いのですが、なぜかお寺の方が居られず、拝観することは出来ませんでした。道路を隔てた隣に観音堂があります。この観音様も平安時代の作で重文です。いまは収蔵庫に納められてますが、ガラス越しに拝むことが出来ます。おそらく防犯装置はあるのでしょうけれど、なにか不防備に見えて夜陰に紛れて盗み出されるような心配がしてならないのですが・・・・・

たまたま、盛安寺を出たところで、京都駅の近くからきたという女の方が、「盛安寺の客殿を見られましたか?」と話しかけてこられました。私が「お寺の方がおられなくて、見れなかった。」というと、「やっぱりそうですか。」といって、穴太駅近くまでご一緒しました。この方も、仏像好きだそうで、最近に湖北から越前まで足を伸ばして来られて、連休中は、大津市内を歩かれているそうです。いわゆる歴女・仏像ガールさんですね。よく勉強されてて、いろいろとブログのネタになりそうな話題を提供していただけました。そのうちに何箇所は行って見たいです(^^) しばらく行って、高穴穂神社のところで、「ここから駅へ行って大津祭りを見学します。」ということでお別れしました。

この神社もその方に由来を教えていただいたのですが、なんと12代景行、13代成務、14代仲哀の3天皇にゆかりの志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)の跡なのだそうです。成務天皇の宮が近江にあったとされるのは、古事記などに書かれてますが、こんなところとは知りませんでした。やはり電車や車で通過するだけでなく、歩かないとダメですね(^^) また歩いていくと、高穴穂神社のお旅所のお地蔵様に一心にお祈りされてるおばあさんがおられました。この辺り方は、みな信心深いのでしょうねぇ。私も続けて、ここまで歩きとおしていろいろと見るべきものも見させていただいたことを感謝して、拝ませていただきました。

旧道が、西大津バイパスの唐崎駅への取り付け道路に取り込まれるところに、穴太地蔵堂があります。「伝教大師自作の地蔵菩薩」と彫られています。真偽は別として、この地区の方に昔から守られているのでしょうね。子供の守り神様だけあって、ヤクルトと子供用のコップが供えてあるのには、なにか感動しました。

2012_10_sakamoto21 ここから田んぼを突き切って、石坂線の線路に出ました。線路がちょうど西大津バイパスを越えるあたりに、棚田の風情の残っているところがありました。今まで、こんな風景を探していたのですが、最後に見つかりました。満足満足です。

それにしても坂本・穴太地区は、比叡山の門前町だけあって、文化財が豊富ですね。街道筋から見えるところだけでもこれだけネタが拾えるのに、裏道まで探しにいくと、いくらページがあっても紹介しきれないくらいです。

帰りの電車を待った滋賀里駅の近くにも、古墳や廃寺や大津京跡などまたまだ行ったことの無い史跡が点在しています。再訪を誓って帰途に着きました。
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長文を読んでいただきまして、有難うございました。

ここに掲載した以外の写真は、編集して本館のアルバムで公開します。文章の内容は、ブログと同じですが、写真入りバージョンを見たい方は、コチラをクリック!! してください。
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(次は、最近読んだ本の紹介です。)
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2012.10.12

【京阪】大津線の特急色とラッピング電車を撮影 (その2)

滋賀里から三井寺に移動して併用軌道区間で、特急色を待ちました。
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611_01
三井寺駅をでてすぐのところにお風呂屋さんがあるので、福縁号とあわせてみました。
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603_03
特急色は、なかなかやってきません。午後4時を回って、はやくも薄暗くなってきました。

「次で来なければ、もう諦めよう。」と思ったときにやっと赤と黄色の電車が見えました。ホッとしました。

帰ってから、ダイヤを追いかけると、坂本→石山寺→近江神宮前→石山寺→坂本のサイクルで回っているようです。近江神宮前~坂本間では、同じ電車は2時間以上待たないと見られないのですね
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603_04
三井寺駅の停車中を後ろから一枚。

本線の旧3000系よりもすこし濃い色目に感じるのは、ペンキ塗りではなく、ラッピングだからでしょうか?
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801_04
浜大津駅で京都方面の電車を待っていると、ちはやふるのイラスト電車617+618が来て、800形のトップナンバー編成と並びました。またまたラッキーです。
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617_01
それにしてもカルタのアニメの電車は、派手ですねぇ これが来るのがわかっていれば、もう一本併用区間で粘ればよかったですが。
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さらにもう一本、坂本行きがきました。今度は、600形と800形のトップナンバーの並びです。

一日、仏様と電車を楽しめて、大満足の一日でした。でも翌日から筋肉痛で、どこへも出かけられずにおうじょうしましたが
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(比叡山・坂本ハイキングへ続く)
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2012.10.10

【京阪】大津線の特急色とラッピング電車を撮影 (その1)

6日にまた、大原から比叡山に登り、びわ湖側に降り、坂本・穴太の町歩きと、石坂線の撮影を楽しんできました。

ハイキング編は、編集中なので、さきに電車編から2回に分けてお届けします。
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603_02
京阪坂本駅まで来た時は、すぐに浜大津まで電車で移動するつもりでしたが、「穴太付近には好撮影地になりそうなところが点在してるから、史跡探訪と合わせて、歩いていこう。」と思い直して、滋賀里駅まであるきました。

途中、松の馬場~穴太間で旧街道を石坂線を越えるあたりに空き地があって、彼岸花が咲き乱れているので「花とおけーはん」を撮ることに。

なんと一発目から、リバイバル特急色の603+604がやってきました。
これも比叡の神様のお導きでしょうね(^^)v
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707_01
続いて、JR唐崎駅から京阪滋賀里駅へつづく田んぼ道からの一枚。(穴太~滋賀里間) 

マザーレイクの707+708です。下り坂で思った以上にスピードが出てて、先頭がすこしブレたうえに植え木に隠れてしまいました(^^ゞ
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703_01
この付近は、ちょうど上下列車がすれ違うところで、すぐに坂本行きがきます。

こちらは、ハロウィンのラッピングの703+704です。
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613_01
もうすこし滋賀里駅よりの、西大津バイパスの上の越える付近の踏み切りからです。ここは急坂を登ってくる迫力のあるシーンが撮れそうですが、電車が小型車2両編成では、ちょっと気迫に欠けます(^_^;)

大津祭のデコレーションの613+614です。
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振り返ると、大津祭りとハロウィンがすれ違うところでした。
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613_03
滋賀里駅に停車中の大津祭りのラッピングの側面です。
キャラクターは「ちま吉」くん、と「おチマちゃん」と「ちま作」くんだそうです。

でもどの街でもゆるキャラ流行ですねぇ。覚え切れません(^^ゞ

と、云いつつ、地元のえーでんにも何か登場しないかと期待してんですけどねぇ
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(浜大津~三井寺間に続く)
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2012.10.09

【本】沢庵禅師逸話集 禅文化研究所編

みなさんは、沢庵禅師のことをご存知ですか?

Takuan_jenji実は、この本を読むまで、「たくあん漬を発明したお坊さん」くらいの認識しかありませんでした。失礼ながら、みなさんも、似たりよったりでしょう(笑)

沢庵禅師は、但馬国出石村(現兵庫県豊岡市出石町)に織田信長の天下取りの時代に生まれ、徳川家光の時代に江戸で亡くなりました。

地元のお寺で出家の後、京都の大徳寺や堺の南宋寺などで修行ののち、大徳寺の住職にまでなります。しかしわずか3日で辞し、堺に戻り、やがて地元出石の宗鏡寺に帰ります。

江戸時代になり、禁中並公家諸法度により、幕府の朝廷に対する締め付けが厳しくなります。そのため後水尾天皇が、幕府に許可を得ずに高僧に紫衣を与えたのを、幕府が咎め取り上げを命じた、いわゆる「紫衣事件」が起こります。

沢庵は、取り上げに反対し、幕府から睨まれて出羽国の上山(歌人の斎藤茂吉の故郷としても有名ですね)に流されます。

二代将軍徳川秀忠の死去に伴う恩赦で江戸へ戻りますが、その時、前に坂本の町を歩いた時に紹介した慈眼大師天海太僧正や剣豪柳生但馬守で知られる柳生宗矩が尽力しています。

宗矩は沢庵を師とあがめ、家光も、幕府にたて突いた沢庵に逆にいろいろと相談を持ちかけ、品川に東海寺を寄進されたりします。これを家光の懐柔策とそれに取り込まれたと見る意見もあります。

それでも、大徳寺や妙心寺の紫衣を取り返し、朝廷により住職の任命権も取り戻し、ひとりの跡継ぎも作らず73歳の生涯を閉じました。
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Takuan_jenji2 この本は、禅師の波乱万丈の生涯を、著作や弟子が作った年譜、当時の書物などをもとにわかりやすく説明してくれます。

紫衣事件のあらましや、なぜ大根のぬか漬けが「たくあん」と呼ばれるようになったという有名な(?)エピソードをはじめとする逸話の数々が載っています。

これを読むと、沢庵和尚は、あのトンチの一休和尚に負けない(失礼)、学才豊かでユーモアにも富み剣道や馬術といった武道の心得もあったことがわかります。

決して抹香くさい、座禅の本ではありません。これからの秋の夜長に読んで損の無い一冊と思います。
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(次回は、秋の比叡山から坂本のハイキングの様子です)
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2012.10.07

【叡電】ヘッドマーク付きの電車がたくさん走ってます。

最近、HM付きの電車が異常増殖(笑)している叡山電車ですが、29日もたのしいマークがいろいろと釣れました。
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まずは、「ひだまりスケッチ号」のイラスト電車のもう1両の724号。☓印のような変わった形が面白いです。(元田中駅)
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そして、発車した直後に、東山通り踏切上で、もう1両の「ひだまりスケッチ号」の723号と並びました。

昨日(9/30)が、「ひだまりスケッチ」の記念切符の発売日だったので、その前祝い だったのでしょうか?
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さらに修学院車庫では、「詩の電車」谷川俊太郎(詩人)×有本ゆみこ(刺繍作家)「七等星」のオープニングイベントの記念列車の準備が進んでました。

こちらも「七等星」と書かれた三角のHMが光ってます。

この他に、815+816のイラスト電車こもれび号が「京都検定号」のHMを付けてますが、これは毎年秋の恒例なのでPass(笑)
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Demachi91
話は、ぜんぜん変わりますが、京阪出町柳駅の叡電連絡通路にある「発車時刻表示機」が故障して、かれこれ3ヶ月以上になります。

私のように、毎日利用して、発車時刻がだいたいわかっている人は良いのですが、観光客などのフリーのお客さんには非常に不便と思います。

これから秋の観光シーズンに入って、臨時列車の運転によるダイヤ変更も予想されます。

早急に、修理を望みます。もし直すのが難しいのなら、機器を撤去するか完全に隠してほしいと思いですね。
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(次回は最近読んだ本をご紹介)
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2012.10.05

【叡電】『詩の電車』谷川俊太郎×有本ゆみこ「七等星」

『詩の電車』七等星に乗ることができました。

この電車は、詩人の谷川俊太郎さんと刺繍作家の有本ゆみこさんのコラボレーションで、「叡山電車を「乗ることができる詩」にするプロジェクト」なのです。
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10月1日の朝に撮影した、七等星の八瀬方の写真。反対側は、別のデザインのHMが付いてます。
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車内は、こんな感じ。

谷川俊太郎さんの詩が、有本ゆみこさんの手で刺繍に仕上げられて、天井や柱から吊り下げられています。

普段の電車が、ちょっとしたギャラリーに変身してます。なんか不思議な感覚です。絵や写真を展示するギャラリー電車は、こもれび号で月変わりでいろんな展示がされてますが、こんな立体的なアート空間になってるのは、はじめて見ました。
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「七等星」に寄せて  谷川俊太郎

見えないのは遠いから
見えないのは小さいから
闇に紛れているから?

でももしかしてあなた
眼をつむっていませんか
見えないものを
夢で見るつもりで

夜のからだには
どんなかすかな光も
見逃さない
朝のこころが
ひそんでいるのに



「七等星」について 有本ゆみこ

普段夜空に瞬く星は一番明るい、一等星から六等星まで、
それ以上は光が弱くて目に見えません。
でも、みえないけれど、そこに星はあるのだと思います。きっと、もっと。
星だけじゃなくって、日々のあわただしい生活の中で感じる違和感とか、

小さな本音、

みえないけれどあるような、そんな《七等星》な想いがとても大切な、
ほんとうのこと だったりします。
谷川俊太郎さんはそんなささいな出来事から生まれた小さな魂を
ひとつひとつのうつくしい言葉の中に宿らせていると、
刺繍をしながら感じました。

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残念ながら、と書いてはアーチストにも乗客にも失礼かもしれませんが、帰りのお疲れ満員電車では、あまりアートにもポエムにも感心を寄せる人は少なく感じました。

わたし自身も、わずか数分の乗車時間では、数枚の写真を撮って、そこに書かれたポエムの数行を読み取るのがせいぜいです。

でも、「せっかく沿線に芸大やアトリエも点在するアートな街、京都・洛北を走る叡電なんだから、もっとアーティストとコラボして欲しいなぁ。」
と、常々思ってたのがまた実現されてうれしいです。

これをVol.1として、第2弾、第3弾と続けて欲しいです。前にやってた駅の看板アートも、また復活して欲しいなぁ。

とりあえず、次の休みには、空いてそうな時間帯を選んで、じっくりと鑑賞させてもらいます。
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(次回も叡電の話題の予定です)
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2012.10.04

【京阪バス】日ノ岡峠を越える京阪バス

酔芙蓉と彼岸花の記事には、たくさんのコメントといいネ 
をありがとうございましたm(__)m
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Kujyoyama01
実は、九条山で一番撮りたかったシーンはこの一枚なんです
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(次回は叡電の話題の予定です)
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2012.10.03

旧東海道日ノ岡峠の秋の草花(その2)三条通りの彼岸花

23日は、京阪特急を撮影してから、山科日ノ岡峠の酔芙蓉のお寺、大乗寺に回りました。
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大乗寺を出て、旧東海道を日ノ岡峠まであるきました。

旧道とわかって町並みを見ると、古い民家もあり、それらしく見えてくるから不思議です。一方通行ですが、抜け道になってて車どおりはそれなりに多く、道幅は普通乗用車がやってきても脇に避けないと危ないくらいの狭さです。 (昔はこれで十分だったんでしょうが)

峠の手前で旧道が三条通りと合流する地点に、車石公園があります。写真中央奥の黒い石碑にはこう書かれています。

「平成九年十月の京都市営地下鉄東西線の開業に伴い廃線となった京阪電鉄京津線の軌道敷を利用し三条通の四車線化及び歩道の整備事業を実施した
本事業の完成を記念して三条通の舗石として敷設されていた車石を利用し往年の牛馬道を模した広場を整備する
平成十年一月 京都市」

車石とは、「江戸時代に東海道の大津札ノ辻から京都の三条大橋までの約12キロの間、坂道で物資を輸送する牛車が通りやすいように道路に敷いた切石。1805(文化2)年に完成。車道と人道に分かれていて京都に向かって右側に車道があり、左側は人や馬が通ったという。」(京都新聞の記事による)

というもので、車のわだちの跡が磨り減ってレールのようになっています。
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歩道の街路樹の根元に、白花と赤花の彼岸花が数株ずつ咲いてました。だれかが植えたものなのでしょうが、紅白のコントラストが見事です。

行きのバスの中で見かけて、帰り道に撮影しました。
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非常に通行量の多い幹線道路なので、信号で車が途切れるときに、車や歩行者が写りこまないタイミングを狙って、写してます。

電車とヒガンバナの撮影では、ちょっと引いて群れ咲く感じに撮りますが、アップでみる彼岸花は、なかなか複雑な形をしてるんですね。
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これは、蹴上の都ホテルの前に咲いてた一輪。まるで花火みたいです。
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蹴上の浄水場下のハナミズキの赤い実。

京津線が地下鉄になる前は、この峠道に66.7‰という、やはり廃線になった旧信越線碓氷峠に匹敵する急勾配がありました。いまでもよくぞこんな急な坂道を電車や汽車が行き来できたものだと感心します。

地下鉄に変わってこの10日で、もう15年になりますが、いまだにモーターを唸らせて坂をのぼる電車が想いだされます。
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蹴上からは、坂はゆるくはなりますが、東山通りまでずっと下り坂が続きます。

白川橋のたもとに「ちおんいん・ぎおん・きよみずみち」と彫られた古い道標があります。ふだんは何気なく通り過ぎるのですが、近寄ってよく見てみると「延宝六戊午年」の文字があります。なんと西暦1678年、徳川四代家綱の時代。今から330年以上も昔に建てられたものです。京都市の文化財にも指定されてるようです。

これを建てた人も、まさか21世紀のデシタル時代まで残るとは思っても見なかったでしょうね(笑)

まわりには、江戸時代から続くような老舗も散在してます。
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この後、出町柳の萩の寺・常林寺に回ろうと思ってたのですが、雨が降りだして来て、バスで帰宅しました。

先週末の台風で、萩の花も落ちてしまったかもしれません。今年は出町の萩の写真は、撮り損ねたかも  (写真は、昨年のお彼岸に撮影)
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(次回は、HM付きの叡電の続きです。)
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2012.10.02

旧東海道日ノ岡峠の秋の草花(その1)大善寺の酔芙蓉

29日は、京阪特急を撮影してから、山科日ノ岡峠の酔芙蓉のお寺、大乗寺に回りました。
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電車で行くときは、地下鉄東西線の御陵駅から10分ほど歩くのですが、たまたま大石道を通るバスが三条京阪に止まってたのでこれを利用します。このバスで石塚町まで行くと、歩く距離が半分で済みます。

バスを降りて、すこし日ノ岡の方へ戻ると、変則十字路があります。ここを左折して狭い道を山手に登っていきます。じつは、最近まで知らなかったのですが、この細い道が旧東海道の京への最後の(下りでは京から最初の)難所であった、旧日ノ岡峠を越える旧街道です。(写真左下)

今の三条通りにも、日ノ岡バス停(山科方面行き)付近に京津国道改良紀念工事碑や粟田口刑場跡の碑があって、今の道路は旧街道を拡幅したものだとばかり思ってました(恥)。

しばらく歩くと、亀の水不動尊があります。(写真左上)その昔、木食正禅養阿上人が、日ノ岡峠を改修された時に掘り当てた井戸水を亀の口から流して、通行するひとや牛馬の休憩所にされたところです。
今は、柵がされて立入禁止になって井戸の前までいけなくなってます。ちょっと残念です。

亀の水の横手は別れ道になってて、「右 明見道」「右 かさんいなり道」と書かれた石碑が立っています。(写真右) 大塚の妙見寺と花山稲荷への道順を教えるようです。
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亀の水のすぐ先に、大乗寺の参道の石段があります。これがまた結構急な階段です。足腰の弱い方は、もうすこし先の駐車場からのなだらかな裏階段をご利用下さい。

石段を昇りきると山門があって、本堂に続きます。ここは法華宗のお寺で本能寺の末寺になります。

左手の石段の先に、芙蓉の花園があります。
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残念ながら、まだ5分から7分咲きといったところで、ちょっと華やかさに掛ける感じもしないではありません。

つぼみもたくさん付いているので、しばらくは楽しめそうです。
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(三条通の彼岸花に続く)
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