秋の比叡山から坂本へハイキングに行ってきました。
ようやくハイキングしても、汗をかかない良い気候になってきましたので、また大原から比叡山・坂本・穴太へと行者道を歩いてきました。さすがにまだ山道も、紅葉には早いですが、すかすがしい秋の景色を満喫できました。 |
![]() * |
今回の出発点は、春に大原を散歩したときに、ここからも比叡山に登れますと紹介した京都バスの戸寺バス停です。時間は、まだ7時50分。山里はようやく朝日が差し込んだところです。天候は曇り時々晴れといったところ、まずまずのハイキング日和です。まずは登山口に向かいます。
季節ちがいですが、伊勢物語にも採られた 大原からのほうが距離は長い代わりにそのぶん楽なのですが、途中の惟喬親王墓にお参りしたかったので、急坂のコースを取りました。だいぶん歩いたように思いましたが、坂を登ったのはわずか20分程度でした。ここからは、ゆるい尾根道を峠まで進みます。
今年の紅葉祭りは、下記の予定のようです。 参拝のひとが増えてきたので、元三大師堂をでて、こんどは恵心堂にまわります。ここも何度か紹介してますが、恵心僧都源信のゆかりのお堂です。恵心堂からさらに林道を10分ほど歩くと、恵心僧都のお墓があります。横川には何度も来てますが、ここまで足を伸ばすのは初めてです。まわりは横川で修行されたお坊さんのお墓が並んでいます。平安末期から真新しい平成の墓石まで、千年の歴史が眠っています。なにか部外者がやってきてはいけないようなところに来たような気もしました。 すこし林道を戻って、日本生命の慰霊宝塔の横から飯室谷に下っていきます。「この道は急坂だ。」とは聞いてましたが、林道を外れるといきなりものすごい急坂が谷底に向かって落ち込んでいます。分かれ道には小僧さんのイラスト付きの道標があって、「飯室不動まで2.5Km、西教寺まで4Km」かかれてますが、まだこれだけの山道を下らなければなりません(T_T) 途中は、崖の斜面を人ひとり歩けるほどの小道をつけたようなところや大木が倒れて道を塞いでいるのを乗り越えて下るところなど非常に厳しい道です。途中には、千年杉かと思うような大木も何本も生えてます。こんな大木の又には、天狗が住み着いているんでしょうかねぇ(笑) 半分ほど下ったところに、壊れかけた休憩所があります。その横に小さなお堂があって、観音様がやさしいお顔をして半跏思惟像のような姿で鎮座されています。どなたが、奉納されたのでしょうか?。さらに、九十九折の急坂をうねうねと下って、ようやく飯室不動堂の境内に下りてきました。横川からちょうど30分で降りました。 飯室不動堂は、酒井大阿闍梨さまが守っておられるお寺です。毎月28日のお不動様の縁日には、護摩供養にこられる信者さんで賑わうそうですが、普段の日は、ひっそりとしています。しばらく休憩していると、お寺の方が「お参りして行って下さい。」と勧めていただいたので、本堂で不動明王さまを拝ませていただきました。煩悩を断ち切るすさまじいお姿です。寺伝によれば、「その昔、慈覚大師円仁上人がこの谷で修行をされておられたとき、弁才天の十六童子のひとり飯櫃童子(ばんきどうじ)が翁の姿になって、大師に食事を奉仕されました。その甲斐あって大師は不動明王を感得されて、修行を成就されました。その御姿を刻み、御堂を建てて奉られたのが、飯室不動堂のはじまり。」とされます。
飯室谷をでてまた、山道を西教寺に向けて歩きます。途中の木橋の踏み板が腐って今にも抜け落ちそうになってるところがあって怖かったです。15分ほど歩くと、突然新興住宅地の中にでてきます。今までの山道とあまりに落差があって(笑)、道を間違えてしまい、途中で引き返すなどのハプニングありましたが、12時過ぎに西教寺に到着しました。途中の新興住宅地の片隅に石仏さまや石塔群がまとめられました。おそらくこの丘陵地が開発されたときに出てきた石造物をここに安置したのでしょう。それでも、前垂れをされて花も供えてあるところを見ると、近所の方か近くのお寺の方がお世話されているようです。中には、「心無い人間がいて、形の良い石仏を庭石などとして持って行く者がいる。」とも聞きます。そのような行為には、必ずや仏罰が下ることでしょう。 (合掌) 西教寺の総門を入ります。このお寺には、ずっと昔(まだ学生時代か社会人駆け出しの頃?)やはり、歩こう会に参加して来たような記憶がありますが、もう30年前後も前の事ですっかり忘れてます(笑) 今回が発参拝のつもりです。宗祖大師殿の唐門から眺める琵琶湖と下阪本の景色はすばらしかったです。この日は曇りでしたが、晴れた日はびわ湖の向こうの鈴鹿山地もくっきりと見えるのでしょう。 本堂は、江戸時代に紀州徳川家の寄進で建てられたもので、内陣には重文の丈六の阿弥陀如来さまが奉ってあります。本堂の前の広場には季節外れのガクアジサイがまだ咲いてました。「真盛上人『身代わりの手白猿』」の像もあります。「室町時代の明応2(1493)年に坂本で一揆が起きた時、真盛上人が首謀者だと誤解した比叡山の僧兵が同寺に押し寄せたが、誰もおらず手白の猿が鉦を鳴らしていた。これを見た僧兵は日吉山王の使いの猿まで帰依していると感じ入り立ち去った。という伝承がある。」と説明されてます。 西教寺には、まだまだ見るものがありそうだったのですが、時間が押しているので、食堂で、お弁当を食べて午前の部はお終いにしました。午後からは、「大津そろばん」の元祖と呼ばれる長谷川藤広の墓所があるのに因む、「そろばん地蔵」さまに見送られて、坂本から穴太の里の散策に出発です。
しばらく歩くと、田んぼ道は終わって住宅街を抜けて、坂本の門前町に入ります。穴太積みの石垣に囲まれたお寺や神社や古い民家が点々と続きます。杉木立に守られた山寺も森閑として良いですが、里坊もまた風情がありますね。でも、このような小道でも結構車が通って、ゆっくりと景色を撮るのは手間がかかります。車の切れ目を狙って、電柱や道路標識もなるべく外して慎重にシャッターを押します。まあ、車社会では致し方ないですね(^_^;) 四つ角毎に、小さなお堂があって、ベンガラ格子や虫籠窓があってなんともいえません。延暦寺の事務所には、造花ですが軒に花が飾ってありました。なぜか洋花風なのが、純日本建築と、ミスマッチングです(^^) ようやく、見慣れた京阪坂本駅前の日吉大社の門前に出てきました。今まで歩いてきたお寺に向かう石の道標が立ってます。食事したばかりだったので入りませんでしたが、少し手前に、喫茶「拾穂庵」があります。元日吉大社の社家のお宅を改造したお店で、散策の休憩にお勧めと見うけました。 穴太積みの陰から見えた石坂線の踏み切りで電車の写真を撮ろうとしたのですが見事に車に邪魔されてしまいました(^_^;) いつもは、ここから電車で帰るのですが、今回はまだ2時前で早いので、旧街道をさらに唐崎方面に進みます。 坂本駅前からしばらくは、夏休みに無動寺谷を降りて坂本に出たときに、滋賀院門跡にお参りしたあとに駅に行くために通った道を進みます。滋賀院への参道を越えてしばらく行くと、榊宮社という神社があります。由緒書によれば、「日吉大社の境外百八社のひとつで、大己貴命を主神として奉っている。日吉山王祭のときは、大津の天孫神社から神様を迎えるための榊をこの神社に一時留め置くおくため『榊宮社』という。」のだそうです。写真をみると数メートルもある大榊を荷車に積んで、坂本から大津まで深夜に引き回すようです。山王祭は、4月中旬に行なわれるので、一度見てみたいです。
道は、石坂線の下をくぐって湖側にでます。坂本地区と穴太地区の村境になるところに盛安寺があります。このお寺も、明智光秀のゆかりの陣太鼓や桃山御殿風の重文の客殿や立派なお庭など見るところが多いのですが、なぜかお寺の方が居られず、拝観することは出来ませんでした。道路を隔てた隣に観音堂があります。この観音様も平安時代の作で重文です。いまは収蔵庫に納められてますが、ガラス越しに拝むことが出来ます。おそらく防犯装置はあるのでしょうけれど、なにか不防備に見えて夜陰に紛れて盗み出されるような心配がしてならないのですが・・・・・ たまたま、盛安寺を出たところで、京都駅の近くからきたという女の方が、「盛安寺の客殿を見られましたか?」と話しかけてこられました。私が「お寺の方がおられなくて、見れなかった。」というと、「やっぱりそうですか。」といって、穴太駅近くまでご一緒しました。この方も、仏像好きだそうで、最近に湖北から越前まで足を伸ばして来られて、連休中は、大津市内を歩かれているそうです。いわゆる歴女・仏像ガールさんですね。よく勉強されてて、いろいろとブログのネタになりそうな話題を提供していただけました。そのうちに何箇所は行って見たいです(^^) しばらく行って、高穴穂神社のところで、「ここから駅へ行って大津祭りを見学します。」ということでお別れしました。 この神社もその方に由来を教えていただいたのですが、なんと12代景行、13代成務、14代仲哀の3天皇にゆかりの志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)の跡なのだそうです。成務天皇の宮が近江にあったとされるのは、古事記などに書かれてますが、こんなところとは知りませんでした。やはり電車や車で通過するだけでなく、歩かないとダメですね(^^) また歩いていくと、高穴穂神社のお旅所のお地蔵様に一心にお祈りされてるおばあさんがおられました。この辺り方は、みな信心深いのでしょうねぇ。私も続けて、ここまで歩きとおしていろいろと見るべきものも見させていただいたことを感謝して、拝ませていただきました。 旧道が、西大津バイパスの唐崎駅への取り付け道路に取り込まれるところに、穴太地蔵堂があります。「伝教大師自作の地蔵菩薩」と彫られています。真偽は別として、この地区の方に昔から守られているのでしょうね。子供の守り神様だけあって、ヤクルトと子供用のコップが供えてあるのには、なにか感動しました。
それにしても坂本・穴太地区は、比叡山の門前町だけあって、文化財が豊富ですね。街道筋から見えるところだけでもこれだけネタが拾えるのに、裏道まで探しにいくと、いくらページがあっても紹介しきれないくらいです。 帰りの電車を待った滋賀里駅の近くにも、古墳や廃寺や大津京跡などまたまだ行ったことの無い史跡が点在しています。再訪を誓って帰途に着きました。 |
長文を読んでいただきまして、有難うございました。 ここに掲載した以外の写真は、編集して本館のアルバムで公開します。文章の内容は、ブログと同じですが、写真入りバージョンを見たい方は、コチラをクリック!! してください。 * |
(次は、最近読んだ本の紹介です。) |
![]() |
« 【京阪】大津線の特急色とラッピング電車を撮影 (その2) | トップページ | 【嵐電】の沿線紹介する漫画の第2号、売上の一部を震災援助に »
コメント
« 【京阪】大津線の特急色とラッピング電車を撮影 (その2) | トップページ | 【嵐電】の沿線紹介する漫画の第2号、売上の一部を震災援助に »
棚田が残っているんですねー!素敵でーす。山の手前のススキ・・・秋感じますー。
投稿: キハ58 | 2012.10.13 18:42
>> キハ58さんへ
この棚田も、まわりはバイパス道路や線路や住宅地に囲まれて、
ここだけポツンと残ってました。しかも回りの田んぼがすでに
稲刈りを終えてるのに、黄金色のまま。
まるで、見せるために作っているようにも感じました。
それは、それで、いいんですけどね。
投稿: なかっちょ | 2012.10.13 22:39
比叡山
と言うとケーブルカーか、延暦寺行きのバスでしか行けないという思い込みがあったんですが、いろんなハイキングコースがあるんですね。目からうろこが落ちました
参考にさせてもらいます~
坂本もいつかゆっくり見たいと思ってますが、
を思い出しました
お猿さんまで帰依するくらい、慈悲深いお寺だったのですねえ。
何故か高野山麓や犬鳴山麓のワンコ
投稿: slowmotion | 2012.10.14 14:24
>> slowmotion さんへ
ケーブルやバスやドライブウェイを自家用車であがるのは、いわば観光寺院としての
比叡山ですね。
去年くらいから紹介している山道は、1200年前に比叡山が開かれて以来の修行の
道です。かなりきつい所もありますけど、歩き甲斐のある道ですね。
比叡山は、京都の鬼門(北東の方角)に当たっているので、鬼門除けのお猿さんの
信仰が昔からあるみたいですね。いまでも山道でたまに野猿の群れをみることが
あります。
投稿: なかっちょ | 2012.10.14 18:04