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2013.01.13

【本】理源大師聖宝の伝記

理源大師聖宝(りげんだいし しょうぼう)上人の伝記を読みました。
人物叢書「聖宝」伝 佐伯 有清 著 吉川弘文館

Syobou 聖宝と聞いても、だれ?どんな坊さんという方が大方だと思いますが、聖宝(832~909年)は平安時代初期の真言宗の僧侶で、高野山を開いた弘法大師空海の孫弟子にあたるかたです。

空海の実弟の真雅にしたがって出家し、東大寺で修行をはじめます。のちに醍醐山の山中に今の上醍醐寺を開き、真言宗醍醐派の開祖となり、更には東寺長者(管長・住職)となり僧正の位に昇りました。

また、奈良の葛城山や吉野の金峰山などに登って山岳修行を行い、役行者以来の修験道の中興の祖とも言われています。

このような、偉いお坊様なのですが、私は歴史や宗教の面から知ったのではなく、たまたまある説話を読んで興味を持ち、伝記をひも解くまでになりました。

それは、宇治拾遺物語にあるこんなお話です。

昔、東大寺に金持ちの上座法師がいましたが、この坊さんはいたってケチで、ひとに物を与えるなどといったことはまったくしませんでした。それをみていた若き日の聖宝が、あさましいと思って、わざと争いごとを持ちかけます。
「上座法師さま、ところであなた様は私がどんなことをすれば、寺の僧たちに施しをしていただけるでしょうか?」
上座法師は、考えます。
「ここで論争をして、もし自分が負けたら皆に施しせねばならない。さりとて、みんなの前でなにも答えないのも、口惜しいものだ。」
そこで、
「もし、こんなことが出来るのならやってみよ。そうすれば、東大寺一門の僧侶に、施しをしてやろう。」と、心中では「とても出来るはずが無い。」と思いながら言い返すのです。

そこで、聖宝は、皆をあつめて大仏の前で鐘をならして誓いをして立ち去りました。

Syobou2 さて、賭けは加茂祭(葵祭)の日に実行されることになっていたので、一条大路に桟敷を作って、聖宝がやってくるのを見に東大寺の僧が集まりました。上座法師もその中にいます。

しばらくすると、見物人が大騒ぎをはじめます。
「何事が起こったか?」と、思って西の方に頭を向けてみると、

なんと! 痩せた牝牛に乗った裸の坊さんが干鮭を差して、牛の尻をビチャピャと叩きながら、後ろに何百何千もの子供を従えて、
「我こそは、東大寺の聖宝なり! 上座法師との賭けにより参上した!!」と声高に名乗りながらやってきたのです。

その年の祭りで一番の見ものは、この行列だということです(^^)

僧たちは、寺に帰ってから、上座法師にたいそう御馳走を振舞わせたということです。

****** 添付写真-聖宝像 (醍醐寺 鎌倉時代)  ********

最初に、この話を読んだ時は、やはり笑って しまいました。

この伝記にも、もちろんこのエピソードは取り上げられてますが、著者は、数々の古典籍を引いて、この説話の言わんとするところ
「当時の僧侶の世俗化や権力志向に対して、権力に背を向け、清廉潔白を旨とした生き方から生まれたものであろう。」を解説しています。

そのほかにも、
「東大寺の僧房から鬼神を追いやる」
「犬嫌いの聖宝と愛犬家の師真雅」
「四国で一番弟子観賢を見出す」
「金峯山から巨石を小脇に抱えて持ち帰る」

などなど、たくさんの説話で彩られる方です。

もちろん昔話ですから、荒唐無稽なものばかりですが、それだけ当時の人々の間に、名僧として記憶の残る方だったんですね。

今の、混沌とした世の中にも甦って、説教を聞かせていただきたいお坊様だと思います。
醍醐寺のHPには、マンガ聖宝伝として、マンガでわかりやすく紹介した伝記が載っています。
歴史や宗教に感心のある方は、見られると面白いですよ。

前回紹介した、中書島の長建寺も、真言宗醍醐派のお寺なので、梵鐘に「聖宝大師」の文字が刻んであるのを見つけました。

http://www.daigoji.or.jp/
*

(次回は、西賀茂の弘法さんです。)
*
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お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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コメント

なんか思い出した・・・。
私の大学入試試験に でていたのが 宇治拾遺物語から 出題されていたんだよなぁ・・・・。

>> まぶちょんさんへ

こんな記事に、コメントをいたたけるとは思ってもみませんでした。
さすがです

原文のさわりの部分を挙げときます。わたしの拙い現代語訳より
うまく訳してみてくださいね

宇治拾遺物語 第十二巻の八 「聖宝僧正一条大路を渡る事」

その期近くなりて一条富小路に桟敷うちて 「聖宝が渡らん見ん。」とて大衆皆集まりぬ。
上座もありけり。暫くありて大路の見物の者ども夥しく喧騒る。
「何事かあらん。」と思ひて頭さし出だして西の方を見やれば、
牝牛に乗りたる法師の裸なるが干鮭を太刀に佩きて牛の尻をはたはたと打ちて
尻に百千の童部つきて「東大寺の聖宝こそ上座と争ひして渡れ。」と高く云ひけり。

こんなパフォーマンスがやってきたら、平安貴族でなくても大笑いでしょうね

今晩は
歴史は余り分かりませんけど…
この話は面白いです(*^^)
一休さんみたいですね
気に成ったので検索してみました(#^.^#)その後
このことは帝の御耳へ達して
聖宝は我が身を捨てて、人を導くことのできる者といい
聖宝を、僧正の位にまでのぼらせた。
醍醐寺は、この僧正が建立したもの
と書いてありました良かった
こういう話も面白いですどんどんお願いしたいです(*^^)v

>> na nori さんへ

面白いお話でしょ。
今のマンガやテレビのバラエティ番組のノリですね

ただの京都の名所・旧跡案内だけでは詰まらないので(^^ゞ
次からは、こういった昔話を付け加えてみますね。

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