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2014.08.26

昭和40年頃の地蔵盆の想いで(^^♪

今年のお地蔵さんのことをつぶやきましたら、そのご返事をいただきまして、子供の頃の地蔵盆の思い出を書き連ねてみたくなりました。

昭和40年~45年頃を意識してます。いま40台後半以上の方、つまりは小学生時代にテレビゲームやゲーム機を体験されてない方には良くわかると思います。
それよりお若い方は、おじさんの繰り言(笑)と、読み飛ばしてください。

201408jizoubon05 まずは、あさ9時頃に、母親がお供えをもって世話役さんとこへ行きます。当時は百円札で300円くらい包んだのでしょうか? それでくじ引きの引換券をもらいます。

券をもらうと、こどもたちが三々五々集まってきます。もうベビーブームは終わってますが、子供は多く町内で10数人はいたのでしょうか。

だいたい揃うと10時過ぎになって、オヤツをもらいます。あられとかビスケットのような軽いものだったと思います。

それからゲームで遊びます。ダイヤモンドゲームというのが流行ってましたね。3人で対戦できるので、年齢の近い子と組んで遊びました。あと、人生ゲームとかトランプとか、すごろくとか、たわいないのばかりです。201408jizoubon06

一旦、お昼を食べにかえって、午後の部へ。
早くも、遊びつかれて、ゴザで昼寝する子、走り回る子、ゲームの続きをする子、いろいろです。

3時のおやつは、スイカを切って頬ばるのが定番でした。アイスキャンディーがでることもありました。家庭用のカキ氷器もあったかなぁ? でも、子供の数が多いからいちいち作ってられないか?

201408jizoubon07 夕方に、一旦解散して、晩ご飯を食べに帰ります。世話役さんは、いったん片付けて夜の部のセッティングをしてくださってたのでしょう。
*

一日目の夜は、年によって代わりましたが、人形劇団が回ってきたり、紙芝居のおじさんが来てくれたり、消防団の火の用心のお話だったり、映画(幻灯?)を見たりと、たのしいひと時が、午後8時頃まで続きます。201408jizoubon08

その後は、子供には退屈な(笑)、ご詠歌があります。近所のおばあさんが羽織を着て、数珠やお鈴をもってやってきます。

ちりぃ~ん、「え~~、なむかんぜおんぼさつ、いちばんきいのくにひがしむろのこうり、なちさんせいがんとじのごえいかにぃぃぃぃぃぃ」
「ふだらくやぁぁぁきしうつなみはぁぁみくまののぉぉぉぉ
なちのおやまにひびくたきぃつぅせえぇぇぇぇ」カーン

(お鈴の音) 南無観世音菩薩、一番紀伊国牟婁郡那智山青岸渡寺御詠歌に、
「補陀洛や岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝津瀬」  (鉦の音)

から始まって、第三十三番、谷汲山華厳寺の「今までは、親と頼みし笈摺(おいずる)を、脱て納むる、美濃の谷汲」まで唱えるのに、1時間以上はたっぷりかかったのではないでしょうか?

もっとも、子供は小学校の高学年か中学生だけで、ちいさな子は、もう帰らしたと思います。*
201408jizoubon09_2
201408jizoubon10 二日目も、だいたい10時ごろから3時までは、初日とおなじ、おやつの後は、メインイベント(^_^)の、くじ引きがあります。世話役さんが、くじをひいて「何番当たりぃ!!」と、
呼び上げて、賞品をくれます。お菓子の詰め合わせだったり、文房具だったり、雑誌だったり、オモチャをもらったり、うれしかった。

最後に、みんなで「ありがとうございました。」といって解散です。

世話役さんは、このあと片付けて、町内会館で慰労会をされてたようです。
*
2004121808 まだ、駅前からちょっと歩くと田んぼや畑が広がり、牛や豚を飼う牧場もあった、叡電沿線がまだ片田舎だったころのお地蔵様の思い出でした。

昔話にお付き合い、ありがとうございました。

←昭和49年撮影 (八幡前駅付近)
(次回は、相国寺付近を散策します)
*
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お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。

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コメント

ダイアモンドゲーム、懐かしいですね。一個おきに並べたり並んでいる相手の駒上を、ぴょんぴょん飛ぶ気持ちよさ。
そう言えば、とんがりコーンの形は、この駒の形そっくりですね。

>> キハ58さんへ

こんにちは。

いわゆるボードゲームの類は、電子ゲームに押されて絶滅(笑)したかと
思ってましたが、スマホのゲームに移植されて、それなりに人気
見たいですね。

そういえば、三角錐の駒は、とんがりコーンですね

こんばんは。
懐かしいですねぇ。板垣退助でしたっけ?百円札のおじいさん。
ウチの親父が、新券を大事に茶箪笥の中にしまっていたのを思い出しました。
ありんこは人生ゲームもダイヤモンドゲームも、負けちゃうほうが多かったですけど、
そんなことも思い出ですね。

北ふけ町西ふけ町合同の地蔵盆、私も四年生までは毎年参加しました。
お菓子やスイカや、年上の子に怒られたり庇われたりしながら行うゲームや、紙芝居や…スケジュール、いゃあ~この通りです。
貴重な記録・記憶ですね。

>> ありんこさんへ

このころは、遠足のお菓子がだいたい100円、電車やバスの初乗りが15円
から20円でしたから、板垣退助さんの値打ちは、それなりにあったようですね。

ボードゲームは、また遊んでみたいです。子供に帰って熱中できそう。

>> 笠井君へ

こんにちは。

西フケ北フケの付近は、当時の新興住宅街だったけど、やっぱりお地蔵さんは
やってたんですね。

思い出すままに書きましたが、まだ忘れたり思い違いもあるかもしれません。
また気が向いたら、補足してみます。

昨日、帰宅したら嫁の実家から地蔵盆のお菓子が息子、娘に送られてきました。
2人とももう社会人になっていますが、いくつになっても孫は子供のままなのでしょう。
小さな子供が喜ぶようなお菓子の山のなかに僕宛に缶ビールがはいっていたのは
嬉しかったです。

>> tcw さんへ

こんにちは。

やはり、奥様のご両親から見れば、息子さん、娘さんは、いとしい外孫さん
ですから、いつまでも甘えて欲しいんでしょうね

旦那様へのビールの心遣いもうれしいですね

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