夏の18きっぷの旅 旧和田山機関区の煉瓦造の検修庫
9月10日は、夏の18きっぷの最終日。自分で買ったのは使い切っちゃたんで、ネットで余り1枚を手に入れて、山陰・播但線へGo! 和田山駅で降りて、旧機関区の煉瓦造の検収庫を見に行きます。 * |
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旧豊岡機関区和田山支区の検修庫の現状です。 明治45年に竣工し、平成3年まで使われてきました。その後回りの留置線などが取り払われ、いまはだだっ広い空き地の中に取り残されています。 数年前には屋根も取り払われて、骨組みだけになりました。 + |
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跨線橋から見下ろしたところ。中が丸見えで、痛々しいばかり![]() * |
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使われていない部分(元は貨物駅やヤード、留置線がありました)を含めて広大な敷地の西側を迂回して、構内の西北側へでました。 むかしは、ここに何本もの線路が並び、貨車の仕分けや車両の整備が行われていたのでしょうね ![]() * |
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機関庫の前まできました。フェンスで覆われていますが、中を確認することはできます。当然、線路も機械類もなにもありません。 さすがにC57の生野越え時代は知りませんが、悲運のディーゼル機関車、DD54が最後の活躍をしていた頃が思い出されます。 昭和53(1978)年のGWに最後の活躍をするDD54を撮影にきました。機関区も見たはずですが、写真は撮っていません。やはり当時は煉瓦車庫の貴重さを理解できなくて、「こんなボロい車庫なんか写してもしゃーないわ」とつぶやいたんでしょうね(^.^) 当時の写真は、ここをクリック * |
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これが都心部なら、アッというまに心無い者たちによって傷つけられるところでしょうが、地方ゆえにまだ原型をとどめているのでしょう。 * |
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車両基地は豊岡や福知山に集約され、鉄道の町としての比重は下がりましたが、駅前では機関庫を模したオブジェをいくつか見つけました。 * |
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願わくば、煉瓦車庫が整備され産業遺産として後年に伝えて行かれんことを。 * |
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再びホームに戻って、イラスト列車「天空の城 竹田城跡号」(キハ40 2007)を撮影します。左のキハ40の塗装はかなり退色してますね![]() * |
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京都方と豊岡方でデザインが違います。 * |
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側面には、大きく「天空の城 竹田城跡」と書かれています。 * |
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車内も、転換クロスシートと窓向きの一人掛けシートに取り換えられ、モニターや放送設備もあります。 観光列車仕様なのに、ワンマン設備や吊り革が残っているのが面白いですね。一般列車にも使われるためでしょう。 * |
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観光協会の方の案内を聞きながら、数分で竹田駅に到着です。 * |
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(続く) | (次回は、城跡に登ります) * |
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![]() お帰りは、このバナーから「本館」へどうぞ。 |
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煉瓦造の検収庫、雰囲気ありますね~
絵になる場所ですね。
天空の城、
竹田城。
ロマンを感じます。
なかっちょさんがここで紹介してくれる場所
どれも私も行きたくなってしまいます。
投稿: ホシノ | 2016.09.14 12:30
>なかっちょさんへ
かつて国鉄労働者が、
ナッパ服に身を包み、
自慢の機関車整備に、
汗を流した日々が目に浮かぶようです。
鉄道の街に、
人々があふれ、
さぞや活気に満ちていた時代が、
あったんでしょうね。
物言わずともかく語れり、
煉瓦車庫。
投稿: 花こま | 2016.09.14 17:56
>> ホシノさんへ
こんにちは。
この煉瓦の車庫のことは、長らく忘れていたのですが、
かなり荒れてはいるものの、残ってくれていて良かったです。
天空の城は、あすUpします。お楽しみに(^^)
投稿: なかっちょ | 2016.09.14 22:59
>> 花こまさんへ
私の年代の学生から駆け出しサラリーマンの時代は、ちょうど国鉄の分割民営化
が議論され実施に移された頃です。
政治問題、労使問題、赤字ローカル線問題といろいろありましたが、
大部分の国鉄職員のかたは、誇りをもって「世界一正確に走る鉄道」を
運行されてました。
時代は変わって、駅も車庫もずいぶんと働いている人の数が減りました。
合理化が悪いとは言いませんが、何もかも機械任せなのも、味気なく
感じるんですがんぇ~
投稿: なかっちょ | 2016.09.14 23:12