2017.01.11

【本】不戦死 笠井一成著

小学校以来の友人の笠井一成君より、新作の小説集をいただきました。

さっそく、読ませてもらったので感想を書きます。
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表題作の「不戦死」ほか、中編の小説が3話納められています。

ネタばれは、まずいので(笑)、ごく概要だけ紹介。

「不戦死」は、太平洋戦争の末期から敗戦後の南洋の小島の野戦病院の軍医であった主人公の回想として物語が進みます。

彼は戦後に捕虜収容所に送られ、そこである事件に遭遇します。それを戦後50年以上も胸の奥に仕舞っているのですが、ふと見た新聞記事で再び生々しく思い出すのです・・・・・・・・


筆者は、「戦争」「いじめ-校内暴力」「育児放棄」「裁判員制度」などの社会現象を題材に、人間の心の闇-もっとストレートにいえば「残虐性」「残酷性」といった精神状態を描き出しています。それも派手なアクションではなく、淡々とごく日常的に。

これを読んだひとは、(私も含めて)最初は、「これはフィクションや、創作の世界や」と笑って、あるいは少し不愉快になりながらつぶやくかもしれません。
しかし、これらは(多少の誇張やボカシはあるにせよ)日々起こっている事実がもとになっているのです。

人間は、なかなか「悪い」事実は肯定したがりません。否定しないまでも無視するか、すり替えるかして、良いように解釈しようとします。
この本は、この人間の弱さをみごとにさらけ出してくれます。

だから、この本は、ぜひ2度以上読まれることをお勧めします。一度目は右脳で直感で読み、二度目は左脳で論理的に読んで楽しめますから

購入はアマゾンから https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%AD%BB-%E7%AC%A0%E4%BA%95-%E4%B8%80%E6%88%90/dp/4434226908
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(次回は、18きっぷで北陸線を乗ります)
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2015.01.21

ダブル成人式(^^)(40年前)の鉄道雑誌から

最近は、ハーフ成人式(満10歳)のお祝いが流行りだそうですが、ハーフがあれば、ダブルも と、いうわけで、40年前の古鉄道雑誌を古書市の会場で探してきました。
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鉄道ピクトリアルの1975(昭和50年)6月号です。

この年の鉄道趣味界の2大イベントは、この号の特集の「国鉄蒸気機関車の終焉」と2ヶ月前の「山陽新幹線博多開業」です。

当時、管理人は高校2年生で、さすがに南九州や北海道まで最後のSLの活躍を写しに行く資力はありませんで、雑誌やテレビの特番などを見て、最後のお見送りをしてました。気力はあったと思いますが(笑)

新幹線の方は、秋の九州方面の修学旅行でさっそく乗り込むことができました。修学旅行専用のひかり号だったと思います。

記事の中では、
『京阪の旧門真駅を移転・改称して、西三荘駅に、新門真駅を門真市駅に改称した。』や、
『南海大阪軌道線(現阪堺電鉄)の恵美須町~住吉と綾ノ町~浜寺間の廃線が、地下鉄延長に伴う、平野線や天王寺線の廃止決定に続いて、真剣に検討されている。』などが、
目に付きました。

南海軌道線は、分社化で経費節減して、40年後の現在も走り続けているのは、うれしいことですね。
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当時のアルバムから写真を探してみると、京都駅は、こんな感じだったんですね。

まだ湘南電車と呼ばれた80系が週末に名古屋からやってきてました。跨線橋も無骨な鉄骨に支えられた木造スレート葺です。

いまのスマートなホームや通路からは考えられませんね。
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これは、高槻駅。特急「白鳥」が遠路、青森に向って駆け出したばかりです。大阪を10時過ぎに出て、1000Km以上を走り抜けて、夜の12時前に青森に着きました。津軽海峡を深夜便の青函連絡船で渡って、翌日の9時頃にやっと札幌に至るほぼ24時間乗り詰めの長旅でした。
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京阪は、こんな感じ。これは交野線の河内森駅付近ですが、まだ単線だったんですね。この1300系は、おもに支線区で最後の活躍をしてましたが、たまには本線で乗合わすこともありました。
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こちらは、阪急の嵐山線。阪急でも支線区は旧型車のたまり場(失礼)でした。

京阪の1300系とともに、戦後の混乱期に規格型車として登場した兄弟電車です。
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それにしても、ダブル成人式の時代は、まだ背景や人々の服装がのどかで質素ですねぇ。高度経済成長期が終わり、石油ショックで景気が低迷していた頃だからかも知れませんね
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2014.11.23

写真術プロの裏ワザ-京都を撮る 水野克比古著

私が、個人的に京都の風景写真を撮るに当たって、勝手に(笑)「師」と仰いでいる、
京都の風景写真の第一人者、水野克比古さんの京都を撮るための秘訣の詰まった本を紹介します。

Kyoto_o_toru 風景写真、情景写真を解説した本は、たくさんありますが、ずばり「京都をきれいに写す」ための、ノウハウが作例とともに載せてあります。

内容は、魅力的な被写体の探し方、構図の取り方、京都らしさの出し方、穴場紹介(これは、黙ってていただいたほうが良かったのですが) などです。

巻末の撮影カレンダーや撮影地マップは、いつどこへ行けば、被写体があるのかよくわかりますし、ときどき出てくる「プロの裏技」も、非常に参考になります。

今から10年ほど前に出版された本なので、デジカメ全盛のいまではちょっと古いフィルム写真の説明などもありますが、基本的なところは、今も昔も変わりません。

「京の町家を撮る」という章があって、「坪庭を撮る」とか「おばんざいを撮る」などという説明がのってるのは、いかにも京都らしいです。


京都大好き人間で、写真も趣味だけど、もうすこし京都を魅力的に写し取りたい、絵ハガキ写真はイヤだ  というかたに特にお勧めします。

わたしも、この本を読んで数年パシャパシャやってきましたが、どうにか人の批評はともかく自分では(笑)納得できるレベルになってきました。これも師匠の教えの賜物と感謝してます。

紅葉の盛りは、終わりつつありますが、まだ散りもみじは12月初旬まで楽しめますし、師走のあわただしさ、お正月の華やかさ、底冷えの京の冬の旅、そして梅に、桜に、新緑と被写体は続いてます。

説明ぬきで、作例写真を眺めているだけでも、京都案内写真集としても使えそうです。
もう新刊の発売はないようで、古書か図書館で探すことになりそうですが、お勧めしたいと思います。

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2014.03.01

【本】陽だまりの彼女 越谷オサム

ベストセラーになった本ですが、やっと読んでみました
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昨年の秋に、映画化されたときに、なぜか叡山電車の一両を貸しきって、広告電車にして走らせたときに、記事にしてます。

その時は、原作本の「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No1!」という、セールストークや、映画のキャッチコピーの、「最初で最後の恋(うそ)だった。」に、ちょっと引かれましたが、やはり「おじさんが読む本じゃないよね」と、締めくくってました。

でも、「学年有数のバカの女の子が、10年後に再会したときはイケテル女子になって登場。」 とか、「初恋の人には、"不思議な秘密"があった。」とか、「最後に意外などんでん返しが!!」

なんても書かれると、「ちょっと読んでみようかな。」と、思い直して図書館に予約しました。でも予約殺到(笑)で、数ヶ月待たされて、忘れた頃に手に入りました。

最初は、やっぱり気恥ずかしくなるような 甘~い お話が続くんですけど、途中からだんだんとムードが変わってきて、 最後のどんでん返しには、かなり意表を突かれました

読んでから、思い返すと、推理小説のように、いろいろとラストに向けての伏線が仕掛けてあるんですね。題名の「陽だまり」にしても、ただ「明るい女の子」っていう単純な(失礼) イメージぢゃないのも判るし(^^♪

やっぱ、通勤電車の中でおじさんが読むには浮き上がりそうなので(笑)、カバーを掛けて持ち歩いてたけど、単行本の装丁にもヒントが.......

さすがに、泣きはしませんでしたけど、たまには、こんなのを読むのも良いかも
まだ、読んでない食わず嫌いのおじさん族に捧げます
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2014.02.21

【本】山の神 吉野裕子 著

スマホを買ってから、急に本を読まなくなってしまったのですが(^^ゞ 先週は、氷雨に降られて、散歩も撮影会にも行けない日が多くて、ひさしぶりに図書館から真面目な(笑)本を何冊か借り出して読んでいます。

Yamanokami01_ その中から、ひさしぶりにみなさんにもご紹介したくなった一冊です。

吉野裕子著「山の神」、副題として「易・五行と日本の原始蛇信仰」がついた、講談社学術文庫です。

序章として、「日本の古い神社の起源は、祖霊としての蛇神である。」というところから、この本は書き起こされています。そして原始蛇信仰は、古代のハイテク教義である、「易・五行説」の到来により、表面的には消滅したかにみえるが、実は日本人の信仰の奥深くに今も残っている。と論は進みます。

その例として、日本武尊が伊吹山の神の退治に失敗し、逆に病となり伊勢の国で亡くなるという神話を取り上げ、「日本書紀では、伊吹山の神は、「蛇」として現れたとされるが、古事記では「猪」として現れたとされている。おそらく日本書紀の大蛇のほうがより古い形だろう。」と述べられています。

なぜなら、「蛇を祖霊すなわち山の神とみるのは、古代日本人の考え方」であり、そこへ「中国から当時の最新技術(思想)がもたらされ、それを理解した古代の知識人が、山の神は猪であると考えるに至った。」からだと論考します。 このあと、「山の神は蛇である。」「山の神は猪である。」のニ章にわけて、文献や今に残る山の神に関する風俗・習慣をまじえながら論述が続きます。

第一章は、「日本の古代信仰では、蛇信仰が盛んだった」という説があるということを知らないとなかなか取っつき難いのですが、いったん「そうかぁ(^^)」とうなづいてみると、なかなかに知らなかった、あるいは読み飛ばしたり、見落としてたりした事柄がいっぱいあるのに気づかされます。

第二章の、「山の神は猪である。」という論述も、最初にちょっと説明はありますが、五行Jyunishi_haito 思想(陰陽五行説) を知らないと、なかなか読み進めません(^^ゞ でも中国四千年の歴史に揉まれてきた考え方ですから、近代西洋科学とは、また違いますが、非常に理論的に説明がなされるのが、民俗学の本ではなく、数学や化学の本を読んでるみたいで面白いです。

最後の第三章では、今(と、いっても昭和時代のフィールドワークでしょうけれど)に残る、蛇信仰・猪信仰の実例を取り上げています。

たとえば神社の注連縄、正月の門松、鏡餅これらも元々はヘビだったりイノシシだったりしたんだそうです。 注連縄は、蛇のクネル様子。鏡餅はとぐろを巻いた様子に似てませんか? 

門松は理屈なんですけど、五行説で亥(猪)は木性(簡単に言えば植物全般)に属し、猪に化けてやってくる山の神(年神様)は、当然に木の生えているところを好まれるので、目印として松や榊を立てるようになった。のだそうです。

日本に限らず、東洋の民俗には古代中国の思想がひろく及んでいるのは、よく知られてますが、逆にそれが日本にも伝播するまえの古代人の考え方も、今も色濃く残っているのは驚きました。

また、散歩で古い神社や跡などを見て歩くときに注意すべき事柄が増えて楽しみです
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2013.10.05

【本】有頂天家族 森見登美彦

今日は、大原まで散歩に行こうと思ってましたが、天気が良くないので、延期して代わりに最近読んだ本の感想を。

この本は、5年ほど前に発売されたときに、一度手に取ってるのですけど、そのときは、主人公が狸で、おもな登場人物も天狗とか天狗の術を教え込まれた人間など、非常に変わってて、さらに独特の現実と空想が入り混じったような文体が理解できなくて、第一章も読まないうちに、本を閉じてそのまま放り出してました。

それが、アニメ化され「偽叡山電車」なるものが走り回ると聞いて、アニメを見る前にいま一度、原作を読んでやろうと図書館から借り出してきました。

ふたたび読み出し見ると、意外と面白いんですねぇ。おとぎ話に終始してるわけではなく、山場もあるし、ほろっとさせるところや感動するシーンもあります。

何といっても、舞台は京都市内ですから、臨場感がちがいます糺の森とか出町枡形商店街とか鴨川とか夷川発電所とか六道珍皇寺とか寺町とか祇園とか四条河原町とかいった地名がいっぱい出てきます。

昼前に借りてきて、夜中までかかって一気に読んでしまいました。
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Utyoutenこの表紙のイラストも、線路があって低い屋根の民家が続いて、線路際には商店も見えてと、

叡電の出町柳~元田中間や嵐電の四条大宮~西院の雰囲気ですね。
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さて、肝心(笑)の偽叡電ですが、アニメではデナ21形がモデルになった電車が、偽寺町通りを走ります。叡電が写真や図面を提供しただけあって、非常にリアルです。車内の見付け、運転室の造作なんかは、そっくりです。高校・大学への通学、そして社会人になってからも通勤にと、毎日お世話になった電車だけに懐かしかったです。

若い読者や視聴者の方には、鞍馬駅前に保存されてる運転室部分でしのんでいただくしかありませんが。

原作には、電車のイラストはもちろん、その形態について何の記述もありませんが、個人的には、作者の年齢(1979年生まれ)や執筆時期(2005年~2007年)を考えると、1995年に廃車になったデナ21より2008年まで残っていたデオ600形のほうがイメージとしてあったように読み取れました。
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新作「聖なる怠け者の冒険」も発売されたので、また森見登美彦氏の作品を読んでみたいと思います。
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      (追記)  朝方アップしたときは、まだが降ってましたが、になってきたので、予定通り大原の里を散策してきました。

次回は、ただしい日本の田舎(^_^)の景色をお届けします。
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2013.03.19

【本】平安朝のファション文化 鳥居本幸代 著

ひな祭りの日に、下鴨神社に行って、人間お雛さまの束帯と十二単姿を見た話を記事にしましたが、たまたま図書館で、平安時代の衣装風俗をテーマにした本を見つけて読んでいます。

Heiancho_fasson 著者の鳥居本先生は、ノートルダム女子大の人間文化学部の教授で、日本の服飾文化史がご専門です。実は、この先生のおうちは、うちと同じ修学院学区でして、PTAの会合や、氏神様の鷺森神社の雅楽保存会の公演などで、面識があったりします(笑)

本の内容は、まず序章として、平安時代の貴族の生活環境や日常生活一般をとりあげ、続いて、王朝貴族の服飾、色彩と文様、諸行事にみる装束、女文化と男文化と続きます。

それほど専門的な記述もありませんので、べつに平安貴族のことを知らなくても、服飾にあまり関心がなくとも、すらすらと読んで行けます。おそらく大学の教科書として服飾学科の学生向けにまとめられたのでしょう。

これを読むと、平安貴族はお姫様や奥様方はもとより、お公家様も非常にファションのセンスが高く、漢文学や和歌や書や音楽(笛や琴など)や舞踊や蹴鞠などのスポーツ(男性)に秀でていたことがわかります。

特に貴婦人方は、召し使う女房たちをより美麗にセンスよく着飾らせることに熱心だったようで、歌合せなどの晴れの舞台は、ファションショーさながらだったようです。

綴じ込みの重ねの色見本がカラーで綺麗ですが、挿絵がモノクロなのは、ファッションがテーマの本だけに、ちょっと物足りないかも(^.^)

平安文化に興味のある方は、一度ご覧になることをお勧めします。

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十二単を着ると、裾を引きずらないように、お付きの方が裾を持って歩きます。髪型は、大垂髪というそうです。
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十二単の後姿も優美ですね。長く裾を引くのは、裳と呼ばれる後ろ身頃だけの巻きスカートのような服具です。

最後に、この本で面白いと感じたエピソードを、

平安朝の貴婦人は、人に顔を見せないのが,たしなみとよく言われるが、実は、当時の白粉などの化粧品はノリが悪くて、すぐ化粧崩れするので、人に見せたくとも見せられなかったのが本当のところなんだとか


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2013.01.23

【本】食堂車乗務員物語 宇都宮照信 著

交通新聞社新書の1冊です。 

Syokudosya01 著者の宇都宮照信氏は、我ら鉄道ファンの間では、九州鉄道記念館の副館長さんや、鉄道雑誌の常連カメラマン・執筆者としてよく知られている方です。

ながく日本食堂に勤務され、食堂車や駅構内の食堂に調理師として、活躍されてました。この本では、昭和44年の入社から10年ほどの若い頃の食堂車乗務の思いでを主に書かれてます。

「料理を作りたくてコックになったのではない。一日中、汽車に乗っていたかったので食堂車のコックになったんだ。」と、本のあとがきに書かれているくらいの、筋金入り(笑)の鉄チャンの書かれた本ですから、内容も料理や食堂車の仕事のことはもちろんですが、随所に、「やっぱり鉄チャンの見るところは違う(笑)」と思わせる記述があって、楽しかったです。

内容は、5章にわかれていて、

最初に、「食堂車の誕生から今日まで」として、日本の食堂車の通史が書かれています。
ここは、知ってる話(失礼)なので、ざっと読み飛ばし。

2章は、「急行食堂車の料理/石炭レンジ」の章があって、著者が入社してはじめて乗務する、京都~長崎間の急行雲仙の食堂車、オシ17の話がでてきます。

はじめに食堂車のクルーの紹介があります。食堂車の男性乗務員は、責任者の調理係を「チーフ」、調理助手を「スケさん」、配膳係を「パンちゃん」(パントリーの略)と呼び、女性は、会計係が先輩格で「会計さん」、以下「1級さん」「2級さん」「3級さん」の3名のテーブル係と車内販売担当の「車販さん」の9人ほど乗り込んだそうです。

当時は、まだ食堂車では石炭レンジを主に使っており、その取り扱いによる悲喜こもごものエピソードは、本の副題「あの頃、ご飯は石炭レンジで炊いていた」になるくらい印象深いものみたいで、ほかの章でもよく出てきます。

3章は、「特急食堂車の料理/電気レンジ」です。

急行との対比で、やっばり格上のスタッフとメニュー、それに電気レンジで「スイッチひとつで煮炊きができる」のが便利と書かれてます。

1970年代中頃は、食堂車の全盛期で、全国の新幹線・特急・急行では、大勢のお客さんが食事に訪れたようです。

4章は、「電車急行のビュッフェでチーフに」です。

昭和47に、「北陸トンネル列車火災事故」があり、原因とされたオシ17形食堂車が一斉に連結中止となり、筆者は、山陽線や九州各線の急行電車のビュッフェのチーフに転任されます。

当時のビュッフェでは、うどんやそば、すしなどのコーナーが軽食・喫茶コーナーと並んであり、車内で小腹を満たすことができました。調理は電子レンジでチンするのが多かったみたいですが、今なら手抜き(失礼)といわれそうな、レトルトをチンして出来上がりも、「当時は家庭に電子レンジが普及してなくて、目新しい調理法と思われた。」と書かれているのが面白いです。

最後は、「食堂車乗務員の車上生活」

ここでは、長年の食堂車コック生活のいろいろな自慢話や失敗談などのエピソードがでてきます。
有名な?「ハチクマライス」や、やはり食堂車のウェイトレスだった奥様となんとSLの前で結婚式をあげられた話なんかが載ってます。
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私は、残念ながら食堂車で食事をした経験が1回もありません。子供の頃は、「食堂車なんて贅沢」と親は思ってたようですし、社会人になりある程度余裕が出来た頃には、こんどは食堂車自体がどんどん減っていって、ついに食べ損ない(笑)ました。

食堂車をよく利用されてるかたも、そうでない方も楽しめる本です。一度読んで見られることをお勧めします。
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高槻駅を通過する、急行「雲仙」号。すでに食堂車は外されていますが、伝統のA寝台車+B寝台車+グリーン車+普通車指定席+普通車自由席+荷物車+郵便車と繋いでいた頃です。 (1974/12/17)
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2013.01.18

【本】誰も知らない東大寺 筒井寛秀 著

第212世東大寺別当の筒井寛秀師が書かれた、東大寺のご住職さん直々の(笑)、お寺の案内記です。

寛秀師は、1921(大正10)年に、東大寺塔頭にお生まれになり、1935(昭和10)年に13歳で得度。大正大史学科を卒業されてから、東大寺の庶務執事や教学執事、執事長などを歴任し、平成2~5年に第212世別当、華厳宗管長を務められました。その後は長老となられ、2010年1月に88歳でお亡くなりになりました。

まさに、東大寺に生まれ、育ち、一生を捧げられた方です。

Toudaiji01 「誰も知らない」と題されているだけあって、
二月堂「お水取り」
私の重源上人
私の東大寺案内
東大寺に生まれて

の4部に分かれていますが、大仏さんと二月堂・三月堂周辺しか知らなかった私には、どれも面白いエピソードぱかりで、一気に読んでしまいました。

一番面白く感じたのは、やはり東大寺案内ですね。
ご存知のようにあれだけ広いお寺ですから、境内にはお堂やお社や施設がいっぱい点在しています。大仏殿の東側は、比較的観光客も行くところですが、戒壇院のある西側や正倉院のある北側へ足を伸ばすひとは少ないようです。

そのほか、奈良を代表する写真家の入江泰吉の仏像撮影に関するエピソード、
今の本坊が、前に伝記を読んだ話を載せた、理源大師聖宝によって開かれた東南院の跡だということ、
法華堂の不空羂索観音の宝冠が戦前に盗難に合い、6年後に無事に発見された話、
平家の南都焼討で焼失した大仏殿を復興した重源は、なんと61歳になってから復興を命ぜられ、83歳まで掛かって再建を成し遂げていること、

などが、面白く感じましたね。

それと、寛秀師は、収集癖があって、記念切符の膨大なコレクションもお持ちだとか。
「今の切符は、薄っぺらで、インクがすぐ消えてしまう。」と、嘆いておられるのが、まさに同好者として、共感できました(笑)

わたしも、戒壇院や正倉院のある付近は、一度しか行ったことがありません。こんど奈良へ行くときは、この本を片手に、諸堂を巡ってみたいと思います。
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記念切符収集家の老師にちなんで、近鉄奈良線の切符を (昭和55年発行)
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2013.01.13

【本】理源大師聖宝の伝記

理源大師聖宝(りげんだいし しょうぼう)上人の伝記を読みました。
人物叢書「聖宝」伝 佐伯 有清 著 吉川弘文館

Syobou 聖宝と聞いても、だれ?どんな坊さんという方が大方だと思いますが、聖宝(832~909年)は平安時代初期の真言宗の僧侶で、高野山を開いた弘法大師空海の孫弟子にあたるかたです。

空海の実弟の真雅にしたがって出家し、東大寺で修行をはじめます。のちに醍醐山の山中に今の上醍醐寺を開き、真言宗醍醐派の開祖となり、更には東寺長者(管長・住職)となり僧正の位に昇りました。

また、奈良の葛城山や吉野の金峰山などに登って山岳修行を行い、役行者以来の修験道の中興の祖とも言われています。

このような、偉いお坊様なのですが、私は歴史や宗教の面から知ったのではなく、たまたまある説話を読んで興味を持ち、伝記をひも解くまでになりました。

それは、宇治拾遺物語にあるこんなお話です。

昔、東大寺に金持ちの上座法師がいましたが、この坊さんはいたってケチで、ひとに物を与えるなどといったことはまったくしませんでした。それをみていた若き日の聖宝が、あさましいと思って、わざと争いごとを持ちかけます。
「上座法師さま、ところであなた様は私がどんなことをすれば、寺の僧たちに施しをしていただけるでしょうか?」
上座法師は、考えます。
「ここで論争をして、もし自分が負けたら皆に施しせねばならない。さりとて、みんなの前でなにも答えないのも、口惜しいものだ。」
そこで、
「もし、こんなことが出来るのならやってみよ。そうすれば、東大寺一門の僧侶に、施しをしてやろう。」と、心中では「とても出来るはずが無い。」と思いながら言い返すのです。

そこで、聖宝は、皆をあつめて大仏の前で鐘をならして誓いをして立ち去りました。

Syobou2 さて、賭けは加茂祭(葵祭)の日に実行されることになっていたので、一条大路に桟敷を作って、聖宝がやってくるのを見に東大寺の僧が集まりました。上座法師もその中にいます。

しばらくすると、見物人が大騒ぎをはじめます。
「何事が起こったか?」と、思って西の方に頭を向けてみると、

なんと! 痩せた牝牛に乗った裸の坊さんが干鮭を差して、牛の尻をビチャピャと叩きながら、後ろに何百何千もの子供を従えて、
「我こそは、東大寺の聖宝なり! 上座法師との賭けにより参上した!!」と声高に名乗りながらやってきたのです。

その年の祭りで一番の見ものは、この行列だということです(^^)

僧たちは、寺に帰ってから、上座法師にたいそう御馳走を振舞わせたということです。

****** 添付写真-聖宝像 (醍醐寺 鎌倉時代)  ********

最初に、この話を読んだ時は、やはり笑って しまいました。

この伝記にも、もちろんこのエピソードは取り上げられてますが、著者は、数々の古典籍を引いて、この説話の言わんとするところ
「当時の僧侶の世俗化や権力志向に対して、権力に背を向け、清廉潔白を旨とした生き方から生まれたものであろう。」を解説しています。

そのほかにも、
「東大寺の僧房から鬼神を追いやる」
「犬嫌いの聖宝と愛犬家の師真雅」
「四国で一番弟子観賢を見出す」
「金峯山から巨石を小脇に抱えて持ち帰る」

などなど、たくさんの説話で彩られる方です。

もちろん昔話ですから、荒唐無稽なものばかりですが、それだけ当時の人々の間に、名僧として記憶の残る方だったんですね。

今の、混沌とした世の中にも甦って、説教を聞かせていただきたいお坊様だと思います。
醍醐寺のHPには、マンガ聖宝伝として、マンガでわかりやすく紹介した伝記が載っています。
歴史や宗教に感心のある方は、見られると面白いですよ。

前回紹介した、中書島の長建寺も、真言宗醍醐派のお寺なので、梵鐘に「聖宝大師」の文字が刻んであるのを見つけました。

http://www.daigoji.or.jp/
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(次回は、西賀茂の弘法さんです。)
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