2016.08.22

姫路モノレール廃線跡

8月15日は、18きっぷの旅の3回目に、姫路と神戸へいってきました。

すでに2回目で、18きっぷのお値段分の元は取れたのでcoldsweats01
今回は比較的近場だけど、なかなかその気にならないと行かないところへtrain
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姫路に行ったのは、白鷺城はもちろんですが、「旧姫路モノレールの大将軍駅が取り壊しの前に一般公開される。」とネットで知ってやってきたのです。
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姫路駅を出て、山陽電車の高架にそって数分歩くと、中央市場の仲買のお店が並んでいるような一角があります。

その中に、屋上から煙突を伸ばしたような奇妙な建物が。この柱が姫路モノレールの軌道桁の跡なのです。
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このモノレールは、1966年に開業したものの、営業不振により1974年に休止、1979年には廃止と、「悲運の鉄道」として知られています。

それでも、廃止から40年ちかく経っても、都市部にもかかわらず遺構は、たくさん残っています。
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有名なのは、この大将軍駅と一体で建設された高尾アパートですね。

残念ながら、一般公開は締め切り後で入れませんでしたが、外観だけでも十分見応え?あり。
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完成したときは、それこそ「近未来的都市景観」と称賛されたのでしょうけど、いまは「現代遺跡」と呼ばれるありさまです。
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近く解体されるそうですけど、できれば産業遺産として残してほしいですね。
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高尾アパートの手柄山方向の出口です。
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大将軍駅をでたモノレールは、川沿いに手柄山に向かって行きます。

この山陽線や新幹線と交差する区間は、電車の窓から廃線跡がチラリと見えるので、ご存知の方も多いと思います。

時間の都合で、手柄山駅跡までは行けませんでしたが、駅舎や車両が保存・展示されているので、また機会があれば見に行きたいです。
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(続く) (次回は、神戸港です)
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2015.01.21

ダブル成人式(^^)(40年前)の鉄道雑誌から

最近は、ハーフ成人式(満10歳)のお祝いが流行りだそうですが、ハーフがあれば、ダブルもcoldsweats01 と、いうわけで、40年前の古鉄道雑誌を古書市の会場で探してきました。
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鉄道ピクトリアルの1975(昭和50年)6月号です。

この年の鉄道趣味界の2大イベントは、この号の特集の「国鉄蒸気機関車の終焉」と2ヶ月前の「山陽新幹線博多開業」です。

当時、管理人は高校2年生で、さすがに南九州や北海道まで最後のSLの活躍を写しに行く資力はありませんで、雑誌やテレビの特番などを見て、最後のお見送りをしてました。気力はあったと思いますが(笑)

新幹線の方は、秋の九州方面の修学旅行でさっそく乗り込むことができました。修学旅行専用のひかり号だったと思います。

記事の中では、
『京阪の旧門真駅を移転・改称して、西三荘駅に、新門真駅を門真市駅に改称した。』や、
『南海大阪軌道線(現阪堺電鉄)の恵美須町~住吉と綾ノ町~浜寺間の廃線が、地下鉄延長に伴う、平野線や天王寺線の廃止決定に続いて、真剣に検討されている。』などが、
目に付きました。

南海軌道線は、分社化で経費節減して、40年後の現在も走り続けているのは、うれしいことですね。
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当時のアルバムから写真を探してみると、京都駅は、こんな感じだったんですね。

まだ湘南電車と呼ばれた80系が週末に名古屋からやってきてました。跨線橋も無骨な鉄骨に支えられた木造スレート葺です。

いまのスマートなホームや通路からは考えられませんね。
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これは、高槻駅。特急「白鳥」が遠路、青森に向って駆け出したばかりです。大阪を10時過ぎに出て、1000Km以上を走り抜けて、夜の12時前に青森に着きました。津軽海峡を深夜便の青函連絡船で渡って、翌日の9時頃にやっと札幌に至るほぼ24時間乗り詰めの長旅でした。
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京阪は、こんな感じ。これは交野線の河内森駅付近ですが、まだ単線だったんですね。この1300系は、おもに支線区で最後の活躍をしてましたが、たまには本線で乗合わすこともありました。
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こちらは、阪急の嵐山線。阪急でも支線区は旧型車のたまり場(失礼)でした。

京阪の1300系とともに、戦後の混乱期に規格型車として登場した兄弟電車です。
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それにしても、ダブル成人式の時代は、まだ背景や人々の服装がのどかで質素ですねぇ。高度経済成長期が終わり、石油ショックで景気が低迷していた頃だからかも知れませんねcoldsweats01
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2012.01.17

科学映像館で記録映画「つばめを動かす人たち」を見る

いつもお世話になっている、KOさんのブログ「特急つばめの展望車」 http://uenojp.web.fc2.com/ で、「科学映像館」 http://www.kagakueizo.org/ という、記録映画のアーカイブを作製、公開されているサイトを紹介していただきました。

科学映像館は、「戦後に作製された科学映画の劣化を防ぐため、フィルムをデジタル化して保存し、無料で公開する目的で運営されている。」NPO法人です。

Tsubame1 その中の「工業・産業」というジャンルの中に、「つばめを動かす人たち」があります。昭和29/1954年に、当時の国鉄がPR用に作った作品です。

ようやく戦後の混乱期を脱し、昭和30年代の高度経済成長期に向かう直前の、鉄道が「陸の王者」と呼ばれていた頃の、ドキュメンタリーです。

特急「つばめ号」の電気機関車が車庫で整備されるところから始まって、出庫の様子、東京駅の発車風景、運行中の運転室や車内の様子、沿線の風景が映し出されます。

C612_04当時は、東海道線も名古屋までしか電化されておらず(全線電化はS31年秋)、名古屋~大阪間はSLが引っ張ります。大阪駅に着いた列車は、車庫へ回送され、また整備・点検が行なわれて、再び東へ向かって出庫していくところで終わっています。

今からは想像もできませんが、当時の鉄道(には限らないでしょうが)は、まさにアナログの塊の世界です。

人間が機械を使って、仕事をさせる。というよりは、機械のご機嫌をとって仕事をしてもらうような印象です。

機関車は、整備中はもちろん、運転中や停車中も、点検や確認が絶え間なくおこなわれ、それもモニタにメッセージがでて、ボタンで返答すればOKというようなものではなく、いちいちハンマーで部品を叩いて、音で調子を判断し、また動作状況を目視で確認し、必要なら注油したり、清掃したり、交換したりしながら動かしています。

途中に出てくる線路を整備する保線区員のひとたちは、今のように機械でダダダダEf58_92 ~と、直してしまうのではなく、ツルハシとシャベル片手に、いちいち線路の破石を搗き固めています。

踏み切りは、東海道本線のような幹線でも無人警報機無しのところが、いくつもあって、直前横断を発見するたびに、非常ブレーキの操作体制にはいる緊張感があったりもします。

連絡網も、ケータイはおろか、車内無線もありませんから、すべて電話で司令室とやりとりして、ダイヤの乱れを調整したりしてます。

もちろん映画ですから、演出によるオーバーリアクションがないとも云いませんが、おそらくは、この映像の通りのことが、毎日毎日繰り返されていたのでしょう。

今のような、デジタル機器の普及するほんの10年、20年ほど前までは、程度の差こそあれ、このようなアナログの世界は当たり前でした。

00940024 私がコンピュータの仕事についた30年ほど前でも、機械そのものはデジタルの塊ですが、仕事のやり方は、機械の都合にあわせて人間が動くといった、やはりアナログの世界でした。

デジタル万能になって、仕事の効率はあがり、手間は減りましたが、逆に人間が経験して、考えて、失敗も成功もたくさんして、仕事を覚えていく。ということが、だんだんなくなってきたように思います。

マニュアルどおりに仕事をすれば、結果がでるのが悪いとは云いませんが、なにか「物作りの芯」になるものが、無くなって来ているのではないかと思うのは、おじさんの杞憂なんでしょうかねぇthink

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2011.02.01

HP更新のお知らせ ひと昔前の鶴見線・浜川崎支線を紹介

久しぶりに、本館の国鉄・JR館の思い出の鉄道のコーナーを更新しました。
今回は、ひと昔前の鶴見線・浜川崎支線の17m国電を取り上げました。

大きな写真は、本館で見ていただくとして、さわりをブログでもご紹介します。
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浜川崎駅のクハ16+クモハ11 (1976/S51.04)
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国道駅を発車するクモハ12  (1986/S61.03)
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弁天橋電車区の一般公開 (1986/S61.11)
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おなじく弁天橋庫内の101系カナリヤ色
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2009.08.16

旧南海和歌山軌道線と紀勢線の保存車

今回の和歌山行きは、家族旅行でまったく「鉄」分抜きでしたが、唯一の収穫が、和歌山城近くの岡公園に保存されている、旧和歌山軌道線の電車と紀勢線で活躍したSLです。
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すでに廃線から40年ちかく経っていますが、屋根と頑丈な金網によって、すこしくたびれているもの比較的きれいに保存されています。
雰囲気は、同じ南海軌道線であった、阪堺電軌のモ351形や501形と似た車体ですが、ふたつ目玉のヘッドライトが当線の特徴でした。廃止の前々年の夏に乗った小学生の管理人の目には、このスタイルが、コルゲンのカエルのマスコットに見えました。
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このC57は電車に比べて最近整備されたのか、よりきれいです。「くまの」のHMなど、現役で使っているものを展示しているかのようです。
こちらも、東和歌山駅から改称されたばかりの和歌山駅構内で見ているかもしれませんが、SLの記憶はまったくありません。(茶色の機関車-おそらくEF52かEF15は、記憶にあるのですが・・・・)
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それにしても、人間の記憶と言うものはあやふやなものですね。「南海電車の歌」にしても、「南海軌道線」の路線図にしても、ネットを検索すると、あっというまに正しい(と思われる)情報が出てきますが、想い出とは全然ちがうんです。 たとえば、CMソングに3番の歌詞があったとか、ちんちん電車は狭い本町通りを通っていたとか。

想い出話はこちら
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2009.01.13

【叡電】戦前の比叡山ロープウェイの切符

オークションで入手した、戦前の叡山架空索道(ロープウェイ)の切符です。
昭和5年5月25日(日)に延暦寺駅で発売されたものです。

戦前のロープウェイの切符は他にも3種類持っていますが、券面のデザインがイラストのものは初めて手に入りました。観光鉄道だけに何種類かのバージョンを使い分けていたのでしょうか?

他の切符の絵柄はここ

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2008.10.29

【叡電】デオ600が走り出した頃 鞍馬線 1981.10

叡電のデオ600型の終電車が、いよいよ発車となりました。
これを記念(?)して、ひさしぶりに、デオ600型が走り出した頃、27年前のちょうど今頃のスナップを紹介します。 1981(S56).10.31.
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貴船口駅の名撮影場所をいく、デオ603+604。
とうとうこの場所には、再び登って来ることなく「さよなら」になりました。
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50パーミルの急勾配を駆け下る、デナ122+124。
デオ600の登場で、鞍馬まで登れる電車が増えたとはいえ、まだまだデナ21が幅を利かせていました。
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閑散とした、貴船口の梶取橋付近を走る、デナ21型。
今は、この付近には、バス駐車場と消防署が出来、道路も橋もニ車線に拡幅され、観光客のそぞろ歩く姿が見られます。
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鞍馬駅を発車する直前の、デナ124+122。
よく見ると、ホームには改札口付近にしか屋根が無く、全体的にひなびた印象です。

この頃の叡電は、市電との連絡も無くなり、市内中心部への移動客は並行するバス路線に取られ、また、鞍馬・比叡山方面の観光客も観光バスやマイカーに流れ、まさに危機的状況でした。
実は、管理人自身も通学に不便な叡電を使わず、自転車やバイクで通ってました。電車に乗るのは、雨の日くらい(^^♪

このあと、叡山電鉄の分社化により合理化の徹底で持ちこたえ、そして京阪鴨東線の開業による乗客増、二軒茶屋までの複線化、新車の導入と劇的に良くなっていくのですが、この頃は、地元民から見ても、「もしかしたら、この電車も市電の後を追うかもしれない・・・・・」と、いった感じでした。
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2008.03.23

【大阪市交】なつかし車両まつりin森之宮

大阪市営地下鉄の森之宮車庫で開かれた「なつかし車両まつりin森之宮」に行ってきました。
この催しは、地下鉄の開業75周年(もうそんなになるのですね)を記念した催しの一環で、森之宮検車場の一般公開とそのなかにある保管車両の初公開がメインです。
そのほか、記念グッズの発売などもありました。

会場は、住之江車庫で毎年開かれるイベントとは違って、入場→見学・購入→出場の一方通行式になっていました。私は、午前10時前に着きましたが、すでに数百メートルの入場待ちでした。それでもスムースに列は進み、一時間ほどで見終えることができました。
ただ、市電の保存車を見ているうちに、記念のレインボーカードが売り切れになったのが残念ですが(笑)
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緑と白のふた昔ほど前の塗り分けの市バスと、50系の保存車
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トロバス、800型、2200型の保存車

(この他の写真は、我楽多館でのちほどお見せする予定です)

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2007.05.11

【叡電】思い出写真館 三宅八幡付近

連休中に整理したアルバムの中から、何枚かUpします。
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三宅八幡-宝ヶ池間を走る、出町柳行きのデナ500型です。ちかくの小山からはじめて、俯瞰撮影に挑戦してみました。何枚か写していますが、まともに電車が写っているのはこの一枚だけです(笑)

昭和49年3月
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同じ場所を走る叡電の今年の3月の写真です。(デオ732号車)
当時の高校生はくたびれたおじさんになり(笑)、すでに小山に上る気力がなくなっています。線路際からの撮影で御免なさい<m(__)m>
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2007.01.26

【京成】昭和34年の1600系開運号

りばてぃさんから、京成の3200系の旧塗装車の復活と特急「開運」号のリバイバルの話題のコメントをいただきました。
残念ながら、京成のことはほとんど知りませんので、話題にのることが出来ません(^_^;)

その代わりといっては悪いのですが、大先輩の撮影された、1600系時代の開運号の写真を公開したいと思います。
Keisei01_1画像管理者の掲載許可済 無断転載を禁ず (C)奥野利夫
Keisei02_1 画像管理者の掲載許可済 無断転載を禁ず (C)奥野利夫
撮影地は不明です。かなりひなびた雰囲気で今なら、千葉県の片田舎(失礼)といったところですが、あんがい23区内、高砂か青砥付近かもしれません。
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