2018.07.28

懐かしの京都市電北野線(前川コレクションから)

二条城前の堀川通を歩いていると偶然、N電の模型を見つけました。(4枚目の写真)

7月末は、京都市電北野線が廃止(S36.07.31.限)された時期です。もう57年の月日が流れているんですね。

懐かしくて、お預かりしている大先輩のアルバムをめくってみました。

(クリックすると拡大します)
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貴重なN電のカラー写真です。

後ろから千本線の1番の電車が追いかけてくる四条西洞院~四条堀川間の3線軌道区間です。
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これが半世紀以上前の二条城前の様子です。

まだ堀川には豊かな水が流れています。
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N電の車内。 狭い車内に膝を突き合わすように座っています。立ち席の余裕は、ほとんどなさそうです(^^;
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(次回は、大阪のギャラリー巡りです)
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2018.04.26

【南海】平野線平野駅跡を歩く(その2)

地下鉄平野駅前のギャラリーに展示を見に行く前に、せっかく平野まで来たのだからと、旧南海平野線の廃線跡を歩いてきました。
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戻って、阿倍野方面に向かいます。

ゆるやなか鉄道カーブがこころを揺らしますね(^.^)
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遊歩道は広くなって公園になります。その中を線路が通っています。
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線路が分岐して駅のイメージですかね。
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ここには、西平野電停があったようです。
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西平野駅ではありませんが、こんな駅でした。

いまでも阪堺線や上町線の専用軌道部分はこの雰囲気を残してます。
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ギャラリー前の南港通りを、旧塗装の市バスが通り過ぎていきました。

一瞬、40年ちかく前にタイムスリップした感じです。
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地下鉄平野駅構内に描かれた大阪メトロの仲間たち
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(次回は、大阪のギャラリー巡りの続きです)
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2018.04.25

【南海】平野線平野駅跡を歩く(その1)

地下鉄平野駅前のギャラリーに展示を見に行く前に、せっかく平野まで来たのだからと、旧南海平野線の廃線跡を歩いてきました。
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地下鉄の駅から内環状線を少しJR平野駅方向に歩き、東に細い道に入ると何の案内もなく、旧線路敷きを転用した遊歩道が現れます。
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線路を模したタイルや、信号機(ちゃんと鉄道用らしく縦長ですね )が作りつけられています。
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平野駅のシンボルといわれる六角形の屋根をイメージしたあずまやにタイル絵のモ205形電車。

懐かしいですねー。もう廃止から38年も経ちます。
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タイル絵のアップ
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偶然、現役時代のモ223号を撮影してました。阿倍野交差点を今池から平野方面に進むところです。

(撮影日-昭和55(1980)年11月16日)
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平野駅跡です。レールが分かれて出発信号機もありますね(^^)/
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改札側からみたところ。藤棚は古レールを転用してあります。平野線で使われたものでしょうか。車止めがあるのも憎いですね(^.^)
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現役時代の写真です。賑わってますね。

地下鉄に置き換えられるくらいですからかなりの交通量があったのでしょう。
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駅前商店街には「平野南海」の文字が残ってました。
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趣のある、六角を半分にしたような形のお肉屋さん。

コロッケを揚げる香りが漂ってました
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(続く) (次回も南海平野線跡です)
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2016.08.22

姫路モノレール廃線跡

8月15日は、18きっぷの旅の3回目に、姫路と神戸へいってきました。

すでに2回目で、18きっぷのお値段分の元は取れたので
今回は比較的近場だけど、なかなかその気にならないと行かないところへ
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姫路に行ったのは、白鷺城はもちろんですが、「旧姫路モノレールの大将軍駅が取り壊しの前に一般公開される。」とネットで知ってやってきたのです。
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姫路駅を出て、山陽電車の高架にそって数分歩くと、中央市場の仲買のお店が並んでいるような一角があります。

その中に、屋上から煙突を伸ばしたような奇妙な建物が。この柱が姫路モノレールの軌道桁の跡なのです。
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このモノレールは、1966年に開業したものの、営業不振により1974年に休止、1979年には廃止と、「悲運の鉄道」として知られています。

それでも、廃止から40年ちかく経っても、都市部にもかかわらず遺構は、たくさん残っています。
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有名なのは、この大将軍駅と一体で建設された高尾アパートですね。

残念ながら、一般公開は締め切り後で入れませんでしたが、外観だけでも十分見応え?あり。
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完成したときは、それこそ「近未来的都市景観」と称賛されたのでしょうけど、いまは「現代遺跡」と呼ばれるありさまです。
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近く解体されるそうですけど、できれば産業遺産として残してほしいですね。
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高尾アパートの手柄山方向の出口です。
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大将軍駅をでたモノレールは、川沿いに手柄山に向かって行きます。

この山陽線や新幹線と交差する区間は、電車の窓から廃線跡がチラリと見えるので、ご存知の方も多いと思います。

時間の都合で、手柄山駅跡までは行けませんでしたが、駅舎や車両が保存・展示されているので、また機会があれば見に行きたいです。
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(続く) (次回は、神戸港です)
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2015.01.21

ダブル成人式(^^)(40年前)の鉄道雑誌から

最近は、ハーフ成人式(満10歳)のお祝いが流行りだそうですが、ハーフがあれば、ダブルも と、いうわけで、40年前の古鉄道雑誌を古書市の会場で探してきました。
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鉄道ピクトリアルの1975(昭和50年)6月号です。

この年の鉄道趣味界の2大イベントは、この号の特集の「国鉄蒸気機関車の終焉」と2ヶ月前の「山陽新幹線博多開業」です。

当時、管理人は高校2年生で、さすがに南九州や北海道まで最後のSLの活躍を写しに行く資力はありませんで、雑誌やテレビの特番などを見て、最後のお見送りをしてました。気力はあったと思いますが(笑)

新幹線の方は、秋の九州方面の修学旅行でさっそく乗り込むことができました。修学旅行専用のひかり号だったと思います。

記事の中では、
『京阪の旧門真駅を移転・改称して、西三荘駅に、新門真駅を門真市駅に改称した。』や、
『南海大阪軌道線(現阪堺電鉄)の恵美須町~住吉と綾ノ町~浜寺間の廃線が、地下鉄延長に伴う、平野線や天王寺線の廃止決定に続いて、真剣に検討されている。』などが、
目に付きました。

南海軌道線は、分社化で経費節減して、40年後の現在も走り続けているのは、うれしいことですね。
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当時のアルバムから写真を探してみると、京都駅は、こんな感じだったんですね。

まだ湘南電車と呼ばれた80系が週末に名古屋からやってきてました。跨線橋も無骨な鉄骨に支えられた木造スレート葺です。

いまのスマートなホームや通路からは考えられませんね。
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これは、高槻駅。特急「白鳥」が遠路、青森に向って駆け出したばかりです。大阪を10時過ぎに出て、1000Km以上を走り抜けて、夜の12時前に青森に着きました。津軽海峡を深夜便の青函連絡船で渡って、翌日の9時頃にやっと札幌に至るほぼ24時間乗り詰めの長旅でした。
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京阪は、こんな感じ。これは交野線の河内森駅付近ですが、まだ単線だったんですね。この1300系は、おもに支線区で最後の活躍をしてましたが、たまには本線で乗合わすこともありました。
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こちらは、阪急の嵐山線。阪急でも支線区は旧型車のたまり場(失礼)でした。

京阪の1300系とともに、戦後の混乱期に規格型車として登場した兄弟電車です。
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それにしても、ダブル成人式の時代は、まだ背景や人々の服装がのどかで質素ですねぇ。高度経済成長期が終わり、石油ショックで景気が低迷していた頃だからかも知れませんね
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2012.01.17

科学映像館で記録映画「つばめを動かす人たち」を見る

いつもお世話になっている、KOさんのブログ「特急つばめの展望車」 http://uenojp.web.fc2.com/ で、「科学映像館」 http://www.kagakueizo.org/ という、記録映画のアーカイブを作製、公開されているサイトを紹介していただきました。

科学映像館は、「戦後に作製された科学映画の劣化を防ぐため、フィルムをデジタル化して保存し、無料で公開する目的で運営されている。」NPO法人です。

Tsubame1 その中の「工業・産業」というジャンルの中に、「つばめを動かす人たち」があります。昭和29/1954年に、当時の国鉄がPR用に作った作品です。

ようやく戦後の混乱期を脱し、昭和30年代の高度経済成長期に向かう直前の、鉄道が「陸の王者」と呼ばれていた頃の、ドキュメンタリーです。

特急「つばめ号」の電気機関車が車庫で整備されるところから始まって、出庫の様子、東京駅の発車風景、運行中の運転室や車内の様子、沿線の風景が映し出されます。

C612_04当時は、東海道線も名古屋までしか電化されておらず(全線電化はS31年秋)、名古屋~大阪間はSLが引っ張ります。大阪駅に着いた列車は、車庫へ回送され、また整備・点検が行なわれて、再び東へ向かって出庫していくところで終わっています。

今からは想像もできませんが、当時の鉄道(には限らないでしょうが)は、まさにアナログの塊の世界です。

人間が機械を使って、仕事をさせる。というよりは、機械のご機嫌をとって仕事をしてもらうような印象です。

機関車は、整備中はもちろん、運転中や停車中も、点検や確認が絶え間なくおこなわれ、それもモニタにメッセージがでて、ボタンで返答すればOKというようなものではなく、いちいちハンマーで部品を叩いて、音で調子を判断し、また動作状況を目視で確認し、必要なら注油したり、清掃したり、交換したりしながら動かしています。

途中に出てくる線路を整備する保線区員のひとたちは、今のように機械でダダダダEf58_92 ~と、直してしまうのではなく、ツルハシとシャベル片手に、いちいち線路の破石を搗き固めています。

踏み切りは、東海道本線のような幹線でも無人警報機無しのところが、いくつもあって、直前横断を発見するたびに、非常ブレーキの操作体制にはいる緊張感があったりもします。

連絡網も、ケータイはおろか、車内無線もありませんから、すべて電話で司令室とやりとりして、ダイヤの乱れを調整したりしてます。

もちろん映画ですから、演出によるオーバーリアクションがないとも云いませんが、おそらくは、この映像の通りのことが、毎日毎日繰り返されていたのでしょう。

今のような、デジタル機器の普及するほんの10年、20年ほど前までは、程度の差こそあれ、このようなアナログの世界は当たり前でした。

00940024 私がコンピュータの仕事についた30年ほど前でも、機械そのものはデジタルの塊ですが、仕事のやり方は、機械の都合にあわせて人間が動くといった、やはりアナログの世界でした。

デジタル万能になって、仕事の効率はあがり、手間は減りましたが、逆に人間が経験して、考えて、失敗も成功もたくさんして、仕事を覚えていく。ということが、だんだんなくなってきたように思います。

マニュアルどおりに仕事をすれば、結果がでるのが悪いとは云いませんが、なにか「物作りの芯」になるものが、無くなって来ているのではないかと思うのは、おじさんの杞憂なんでしょうかねぇ

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2011.02.01

HP更新のお知らせ ひと昔前の鶴見線・浜川崎支線を紹介

久しぶりに、本館の国鉄・JR館の思い出の鉄道のコーナーを更新しました。
今回は、ひと昔前の鶴見線・浜川崎支線の17m国電を取り上げました。

大きな写真は、本館で見ていただくとして、さわりをブログでもご紹介します。
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浜川崎駅のクハ16+クモハ11 (1976/S51.04)
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国道駅を発車するクモハ12  (1986/S61.03)
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弁天橋電車区の一般公開 (1986/S61.11)
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おなじく弁天橋庫内の101系カナリヤ色
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2009.08.16

旧南海和歌山軌道線と紀勢線の保存車

今回の和歌山行きは、家族旅行でまったく「鉄」分抜きでしたが、唯一の収穫が、和歌山城近くの岡公園に保存されている、旧和歌山軌道線の電車と紀勢線で活躍したSLです。
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すでに廃線から40年ちかく経っていますが、屋根と頑丈な金網によって、すこしくたびれているもの比較的きれいに保存されています。
雰囲気は、同じ南海軌道線であった、阪堺電軌のモ351形や501形と似た車体ですが、ふたつ目玉のヘッドライトが当線の特徴でした。廃止の前々年の夏に乗った小学生の管理人の目には、このスタイルが、コルゲンのカエルのマスコットに見えました。
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このC57は電車に比べて最近整備されたのか、よりきれいです。「くまの」のHMなど、現役で使っているものを展示しているかのようです。
こちらも、東和歌山駅から改称されたばかりの和歌山駅構内で見ているかもしれませんが、SLの記憶はまったくありません。(茶色の機関車-おそらくEF52かEF15は、記憶にあるのですが・・・・)
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それにしても、人間の記憶と言うものはあやふやなものですね。「南海電車の歌」にしても、「南海軌道線」の路線図にしても、ネットを検索すると、あっというまに正しい(と思われる)情報が出てきますが、想い出とは全然ちがうんです。 たとえば、CMソングに3番の歌詞があったとか、ちんちん電車は狭い本町通りを通っていたとか。

想い出話はこちら
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2009.01.13

【叡電】戦前の比叡山ロープウェイの切符

オークションで入手した、戦前の叡山架空索道(ロープウェイ)の切符です。
昭和5年5月25日(日)に延暦寺駅で発売されたものです。

戦前のロープウェイの切符は他にも3種類持っていますが、券面のデザインがイラストのものは初めて手に入りました。観光鉄道だけに何種類かのバージョンを使い分けていたのでしょうか?

他の切符の絵柄はここ

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2008.10.29

【叡電】デオ600が走り出した頃 鞍馬線 1981.10

叡電のデオ600型の終電車が、いよいよ発車となりました。
これを記念(?)して、ひさしぶりに、デオ600型が走り出した頃、27年前のちょうど今頃のスナップを紹介します。 1981(S56).10.31.
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貴船口駅の名撮影場所をいく、デオ603+604。
とうとうこの場所には、再び登って来ることなく「さよなら」になりました。
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50パーミルの急勾配を駆け下る、デナ122+124。
デオ600の登場で、鞍馬まで登れる電車が増えたとはいえ、まだまだデナ21が幅を利かせていました。
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閑散とした、貴船口の梶取橋付近を走る、デナ21型。
今は、この付近には、バス駐車場と消防署が出来、道路も橋もニ車線に拡幅され、観光客のそぞろ歩く姿が見られます。
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鞍馬駅を発車する直前の、デナ124+122。
よく見ると、ホームには改札口付近にしか屋根が無く、全体的にひなびた印象です。

この頃の叡電は、市電との連絡も無くなり、市内中心部への移動客は並行するバス路線に取られ、また、鞍馬・比叡山方面の観光客も観光バスやマイカーに流れ、まさに危機的状況でした。
実は、管理人自身も通学に不便な叡電を使わず、自転車やバイクで通ってました。電車に乗るのは、雨の日くらい(^^♪

このあと、叡山電鉄の分社化により合理化の徹底で持ちこたえ、そして京阪鴨東線の開業による乗客増、二軒茶屋までの複線化、新車の導入と劇的に良くなっていくのですが、この頃は、地元民から見ても、「もしかしたら、この電車も市電の後を追うかもしれない・・・・・」と、いった感じでした。
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