2012.01.30

昭和63年の熊本旅行(その4) SLあそBOYに乗れた(^^♪

昭和63年11月の熊本撮影旅行もいよいよ最終回です。

立野のスイッチバックでSL列車を写してから、阿蘇駅・宮地駅へ追っかけました。
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SLはゆっくり走ってくれるので(笑)、次の列車で追いかけても阿蘇駅で追いつきました。

駅の構内にはちょっとした遊び場などが作られて、ここまでの汽車旅にすこし飽きた子供たちが、飛びはねていました。
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阿蘇駅前で、阿蘇山を眺めながら食事をして、国道を走るバスで宮地駅に移動しました。

駅に入ると、ちょうど別府からやってきたお座敷列車が着いたところでした。留置線には、朝方に見たサルーンエクスプレス号やあそBOYの客車が止めてあります。
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機関車は、入換のため車庫の端のほうにいました。これからターンテーブルに乗って方向転換します。
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ターンテーブルに乗ったところです。このあと半回転して、熊本方面に頭を向けます。
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ダメもとで、SL列車の指定券が残っていないか駅で聞いて見ると、たまたまキャンセルがあって、乗れることになりました

車内の様子です。木製の椅子に木製のテーブルが造りつけてあります。照明も白熱灯風のテザインです。ビデオやカラオケなどの装置もあります。
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車内では、おじいちゃんに連れられた男の子と女の子と一緒になりました。ふたりとも「幼稚園にいってる。」と、教えてくれました。もうふたりとも20歳後半のお兄さん、お姉さんになってるんですね。もしかしたらもう若いパパかママかも

写真は、たぶんスイッチバック区間を走ってるところだと思います。
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立野駅には、あそトロッコ列車の看板がでてました。残念ながら行き帰りとも南阿蘇鉄道の写真は、撮っていません

いまなら行く前に、あるいは現地でもネットでいくらでも情報を引き出せるので、トロッコの時間も調べて行程が組めるのでしょうけど、当時は時刻表と鉄道雑誌くらいしか情報源が無くて、あまり見て歩けなかったのが惜しいところです。
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熊本駅に着いた時には、もううす暗くなっていました。

また水前寺まで戻ってもう一泊して、翌朝に福岡へ戻りました。福岡では宗像大社にお参りして、海の正倉院と呼ばれる「沖の島遺跡」の出土品などを見学しました。

そして、まだ津屋崎まで行っていた(2007年新宮~津屋崎間廃止)西鉄津屋崎線に乗って、地下鉄に乗換えて福岡空港から羽田へ戻りました。

最近は、仕事で福岡まで行くくらいで、九州の観光地とはすっかりご無沙汰になってます。新幹線も鹿児島まで直通して行きやすくなりました。

また、九州各地を訪ねてみたいですね。
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2012.01.29

昭和63年の熊本旅行(その3) 阿蘇外輪山を登るSLあそBOY 

昭和63年11月の熊本撮影旅行は、いよいよメインの阿蘇外輪山をスイッチバックでよじ登る、SLあそBOYの撮影です。
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水前寺駅から急行「火の山1号」に乗って、立野まで向かいます。車内は阿蘇山やさらに豊後竹田や別府方面へむかう観光客でいっぱいでした。

駅をでると段々畑が広がって、その中を英字のZ形に三段になって外輪山を登っていく線路が引かれています。

急なたんぼの畦道を登っていくと一番上のスイッチバックを上りきった線路際にでます。ここからは立野駅と折り返しの信号所が一望できました。

ここでSL列車がくるまで待機です。写真は、キハ31+キハ47+キハ58という混色です。この頃(今でも?)ローカル線では、このような凸凹列車がみられて楽しかったです。
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続いて、あそBOYの前座(失礼)として、欧風列車のサルーンエクスプレスを使った、「超魅力熊本キャンペーン」号がやってきました。

この「超魅力熊本キャンペーン」というのは、JR九州と熊本県が当時やっていたイベントで、SLの運転もこの一環です。

わたしもこのイベントのことを雑誌で知って、わざわざ阿蘇地方の列車とバスが乗り降り自由のフリー切符を買い込んで、阿蘇まで来ています
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いよいよはるか下の線路をSLがやってきました。風に乗ってシュッシュホッポというドラフト音が伝わってきます。
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一旦、立野駅に停車した列車は、バック運転で坂を登っていきます。わずか3両といいえ、当時でも製造後60数年たっているハチロク形機関車には荷が重そうに感じます。
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列車は、山影の折り返しの信号所に引きこまれていきます。
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2・3回、合図の汽笛が山並みに響いてから、またドラフト音とともに、SLが山影から顔を出して、こちらに向かってきます。
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段々畑のあいだを縫って、近づいてきます。煙も山のうえを越えるほどまで立ち上がって、迫力満点です。

晩年は、SLもくたびれたのか(笑)ディーゼル機関車の後押しを頼んでましたが、この頃は、自力で坂に挑んでます。

自転車で走るくらいのゆっくりしたスピードでじりじりと上ってくるので、待ち構えているカメラマンも、みんな何枚もシャッターを切ってました。
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いよいよ間近にやってきました。一番絵になる(と、思った)構図で渾身のシャッターを切りました。

煙が真上に上がってたのが今、見返してみると残念ですが、前日の惰力で走っている列車とは迫力が違いますね。

写真をクリックすると、大画面になります。ぜひSLの雄姿を堪能してください。
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目の前を走る抜けるSLの運転台では、機関助士さんが、石炭をくべているのがわかります。

この33パーミルの急勾配を越えるのに、どのくらいの石炭をボイラーに投げ込む必要があったのでしょうか? 考えるだけでも大変な重労働なのがわかりますね。ご苦労様です。

列車が行ってしまうと、大急ぎで駅に戻って、次の列車で阿蘇・宮地駅に追っかけです。

(続く)
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2012.01.27

昭和63年の熊本旅行(その2) 熊本市電

昭和63年秋の熊本撮影旅行の続きです。

三里木駅から引き上げて、水前寺駅前の宿にチェックインしてから市電に乗って市内中心部へ向かいました。
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時間は、まだ午後7時前くらいで宵の口ですが、11月中頃とあってもう真っ暗です。お城の見える市役所前で降りて、お堀にそって歩きました。

3系統(今のB系統)の上熊本発健軍行きの1083号が来ました。「月桂冠」の広告を載せてますね。九州のお酒といえば焼酎のように思いますが、月桂冠や黄桜などの伏見の銘酒は全国区なんですね
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こちらは、2系統(今のA系統)田崎橋発健軍行きの1354号です。バックの櫓がライトアップされてきれいです。

この電車は、「祝!熊本農業高校90周年」の広告をだしてますね。この写真の時から24年経っていますから、今年は創立113周年(@_@;) すごい伝統校だなぁ。
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次の信号で、8502号が回ってきました。古い電車の車体を当時の最新型スタイルに載せ変えた車で、まだ出来て2・3年目の新車でした。

この頃は、やっと路面電車も見直される機運が出てきて、広島・長崎・熊本・鹿児島などの先進都市では、どんどん新車が作られて活気づいていました。

でも福岡や北九州など波に乗れずに廃止されていった路線もあり悲喜コモゴモです。
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角を曲がって、通町筋の電停からライトアップされたお城を眺めています。
熊本の観光ポスターでも良く見る構図ですね
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ガス燈を模したような街灯に、足元のタイルも洒落た敷きかたになって、観光都市らしいデザインで決めた停留所です。

ちんちん電車の乗り場というよりは、どこかの公園のテラスみたいですね
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バックのショッピングビルのまだクリスマスには早いのに派手な電飾 が
当時のバブルな世相を反映してるみたいですね

電車の広告の「リベラ・マイルド」も当時流行ったタバコの銘柄なんですけど、YouTubeでその頃のCMを見てもらうと、バブルを知らない若い人にも当時がどんな時代だったか、何となくわかると思いますよ

リペラ マイルドCM http://www.youtube.com/watch?v=DtPoQ3InyoY
*でんしゃ*
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Rokuchoushi

このあと、宿のひとに紹介してもらったお店に行って、球磨焼酎と辛子蓮根と馬刺しを味わいました。

お酒は六調子という銘柄でした。酒も肴も関西人にはキツかったです 

でも、美味しかったです。

京阪沿線でも置いてる店ないかなぁ(笑)

翌朝は、二日酔い(笑)の頭をかきむしって、阿蘇の外輪山へ向かいました。

(続く)
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2012.01.26

昭和63年の熊本旅行(その1) 博多駅~熊本駅

昭和63年の秋、新生JR九州の観光列車の目玉のひとつとして復活した、SL「あそBOY」を写しに、はるばる当時すんでいた東京から、福岡経由で、熊本県に向かいました。

この年は、ちょうど2廻り前の辰年で、実質の昭和最後の年でもあります。昭和天皇のご不例で、自粛ムードもありましたが、世はまさにバブルの真っ最中

めちゃくちゃ忙しかったけど、それなりにフィードバックもあり、プロジェクトが一段落すると、長期休暇も取れて、あちこちと遊び歩いておりました。

今考えると、人生で一番面白かった時期ですね(笑)

さて、手元の航空券を見ると、10時半に羽田をでて昼過ぎに福岡空港に着いています。それから地下鉄で博多駅に行って、午後1時頃に、ホームで駅弁を買いました。
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「博多飛梅弁当」幕の内べんとうですね。包み紙は大宰府で「東風吹かば・・・・」と詠まれている天神さまでしょうか。

なんと、この博多駅構内のお弁当屋さん(寿軒)は昨年末で廃業されたようです。新幹線が鹿児島まで直通して、博多が乗換駅でなくなったのも原因のひとつなんでしょうか?

最近は、新幹線や特急の食堂車もなくなり、駅弁の販売も少なくなり、だんだん旅情がなくなっていきますね。
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博多から熊本までは、このJR九州ご自慢の新車、ハイパーサルーン「有明」に乗りました。車体の真ん中に出入り口があって、左右に客室が分かれているという変わった電車です。

まだ、出来て半年しか経たないピカピカの新車ですから、もちろん乗り心地は上々でした。

今に至るまで、JR九州の電車は、エクステリア・インテリアともJR各社の中で最高クラスで、いまだに国鉄時代につくられた電車が巾を利かせている関西圏とは大違いです(^^ゞ

写真では、電車の前にディーゼル機関車がくっ付いてますが、これはまだ電化されてなかった豊肥線に乗り入れて水前寺駅まで直通するためです。

「架線がなければ機関車でひっぱれば良いさ。」という発想は、国鉄時代でも前例がありますが、わざわざ専用の機関車や電源車を用意するのは、「さすがに民間企業になったJRだけのことはあるわい。」と感心した記憶があります。
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もちろん民営化されても一気に電車が新しくなるわけもありませんから、大半の列車は国鉄時代のものにJRマークをつけてそのまま走らせています。

これは、肥薩線経由の宮崎行き「えびの」号です。今なら観光列車は別としてわざわざ人吉・都城まわりで宮崎まで移動する人は少ないでしょうけど、この頃はまだ列車の利用者はそれなりにあったんでしょうね。
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さて乗ってきた特急は水前寺止まりなので、この各停に乗換えて三里木駅まで行きました。

事前に調べたSL列車の撮影地のガイドブックでは、「線路の両脇に並木道が併走して絵に成りそうだ。」 と、書いてあったからです。

今の三里木駅付近をグーグルのストリートビューなどで見てみると、新しい駅が出来たりニュータウンが開かれたりしてだいぶん都市化が進んでますが、昭和の終わり頃はまだのどかな郊外の駅だったように思います。
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待つことしばしで、夕日を真正面に受けてSL列車は阿蘇山から下って来ました。
でも、せっかくのナンバープレートが光ってしまって番号「58654」がまったく見えません

しかも下り坂で惰力で走ってるのかぜんぜん煙も出さないし・・・・・・

それでも、久しぶりに生きてるSLに出会えて満足でした。

この後、水前寺駅前の宿に落ち着いて、夕食を食べがてら市電を写しに繁華街に向かいました。

(続く)
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2011.12.27

【想い出の鉄道】京都市電と山陰線のSLの写真展

3連休の中日は、本町跨線橋でひさしぶりに撮り鉄してから、ちかくのギャラリーの想いでの鉄道写真展を見に行きました。
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「京都を走った市電・蒸気機関車-廣庭基介・福田静二 二人展」と題された写真展です。

福田静二氏は「京都市電が走った町 今昔」キャンプックスなどでご存知の方も多いと思います。廣庭基介氏も、写真集が出されているそうです。

会場には、おふたりの昭和30年代半ばからSLは46年まで、市電は53年の全廃までの力作数十点が展示されています。

詳しい説明は、著作権のからみもあるので書きませんが、SLは、C51・C54・C57・D51などが、京都から、梅小路、二条、嵯峨、保津峡、馬堀、亀岡、園部と進んでいきます。

京都市街もいまほど高いビルやマンションもなく、もちろん電化も高架化も複線化もされていません。嵯峨以北はまだ長閑かな田園地帯のなかを驀進していきます。

二条駅の花園方の跨線橋からうつした写真は、こどもの頃(幼稚園から小学校低学年)のおじいさんに連れられてみた光景とダブって懐かしかったです。
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京都市電も、昭和36年夏のN電(北野線)の廃止の頃から昭和53年9月の全廃まで十数年にわたる活躍の様子が記録されています。

お二人の撮影のスタンスは、「ただ車両を写すだけではなく、町並みや乗客や歩行者の様子まで写しこみたい。」と考えられていて、今見せていただくと、電車の形態はもちろん、当時の町並みの様子が、やはりなつかしく浮かび上がってきます。

今ものこる建物や道路施設もあれば、年月の経過と共に失われた町並みや風俗もあります。

わたしも、もっと撮っておけば良かったと、いつもながらに後悔しきりです
(写真は、昭和52年7月3日、北大路橋の上にて管理人撮影、当時18歳
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2011.02.13

イラストによる想い出の京都市電展を見てきました。

烏丸御池の地下鉄ギャラリーで開催中の「イラストによる想い出の京都市電展 (窪田和弘さんの作品) 」を見に行ってきました。

Kyoto_siden_ilust01 この展示会の絵は、「市電が走っていたことを知るひとがだんだん少なくなるこの頃、当時の記憶を絵に残しておきたい。」という、作者の気持ちをこめて描かれたものです。

「絵」の手法は、現在の街の風景に、当時の市電を描きこむというやり方になっています。おそらく、「今も京都の町を市電が走り回っていたら、こんな様子だろう。」ということなのでしょう。

「市電をまったく知らない若い人にも、理解しやすいように。」ということかもしれません。

絵と記憶を合わせると、30年前とあまり変わっていないバックもあり、こんなに変わったんだぁ、と驚くところもあります。

2月21日まで開催中ですので、一度足を運んでみてください。

下の写真は、自分がいちばん「変わったなぁ。」とかんじた河原町線の様子。この区間は軌道のコンディションが悪いのか、非常に良く揺れました(笑) ラッシュ時なんかにのると、遊園地のアトラクション(ちょっとオーバーですが)みたいにスリルがありました。
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閑話休題・・・・・

会場で、何枚か写真と撮ろうと思ってコンデジを出したら、まったく写らなくなりました(^^ゞ 故障なのか、寿命なのかわかりませんが、画像が真っ白になります。仕方なしに、ケータイカメラで写してきました。

帰りは、四条通の社会実験で経路変更した32系統や特設された外回りの100円循環バスを撮ろうと思ったけど、ケータイではちょっと無理。ざんね~ん!!

ちなみに、100円バスには初めて乗ったんですけど、ガイドブックを持った観光客が多くて「京阪に乗り換えるにはどこで下りたらいいですか?」とか聞いてました。近くの買い物客ばかりと思ってたのに、意外でした。

家に帰って、ネットで安いコンデジを探して注文しましたけど、届くまでは数日掛かりそうです。重いデジイチを会社へはもっていけないし、しばらくプログのネタの撮り込みに困りそうです。

こんな時に限って、変わった電車やフォトジェニックな風景が現れるんだよなぁ(^_^;)
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2009.09.15

新幹線公園へ行って来ました。(お父さん編)

子供たちの目には、新幹線も電気機関車も、「でっかいプラレール(^^)v」といったところですが、お父さんの目には、当然なつかしの保存車両として映ります。
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デッキに張られた昭和59年10月改正の東海道山陽新幹線時刻表。この車両は昭和59年10月27日に廃車されたそうなので、現役最後のダイヤです。
まだ「のぞみ号」はもちろん100系も走ってなくて、掛川、三河安城、新尾道、東広島、厚狭などの駅名もありません。
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EF15-120号機の運転台。 実は、電気機関車の運転台に入ったのは初めてです。SLは梅小路でいくらでも見られるのですが、旧型電機の保存車で車内に入れるところは少ないようです。
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機械室の様子。廊下はかなり狭いです。運転中はかなりの騒音だったんでしょうねえ。
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運転席の背後の壁は木製です。機関車というと鉄の塊のような印象がありますが、廊下の床も壁も木材が使われています。昭和20年代製なので、半鋼製でも当然なんですけど意外な気がしました。
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線路脇から写真を撮っているぶんにはあまり気になりませんでしたが、旧型機関車の作業環境は、あまり良好とはいえなかったのを初めて知りました。利用者はもちろん運転・保守の担当者も新型に置き換えられたときは「ホッ」とされたのでしょう。
いまだに、古い車両を大切に使われている鉄道各社のみなさんへ感謝しなければいませんね。
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2008.07.11

SLニセコ on 1988 Summer

幣サイトにリンクさせていただいています。「健ちゃんコレクション」の佐藤さまより、現役時代の室蘭本線のSLのアルバムの紹介をいただきました。
そのお礼のコメントにSLの写真を探していると、ちょうど20年前の今日(7/11)に撮影した、SLニセコ号の写真がでてきました。

20年前といえば、すでに国鉄はJRになり、青函トンネルも開通したものの、新千歳空港の開業を控えて、北海道の鉄道網は函館中心から千歳・札幌中心にも大きく変わろうとしていた頃です。
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この写真は、倶知安到着直前の上り列車です。いかにも北海道らしい原生林が広がっているように見えますが、駅からほんの15分も歩いたかどうかというところです。振り向くと町外れの踏切が列車の到着を知らせてくれてます。
倶知安峠を登りきり、絶気状態で転がってきましたが、ファンサービスの煙と汽笛を残して、駅に駆け込んでいきました。
のことて*
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すぐにカメラを仕舞って、駅に戻りました。まだ列車はホームに留まっており、給水中でした。このあと機関車は方向転換と整備のため、機関庫へ向かいました。

(続きは、本館の国鉄・JR写真館に数日中にアップします。しばらくお待ちください。)
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2007.04.20

【叡山】ガーデンミュージアムが再開

叡山ケーブルに続いて、山頂のガーデンミュージアム比叡が、今日から冬季休園を終えて再開園しました。
さっそく出町柳駅の八瀬行きホームには、ミュージアムの看板とささやかな鉢植えが並べられて、再開を告げています。

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殺風景だったホームも急に華やかになりました(^^♪
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2006.12.30

【京都市電】近鉄伏見駅前の保存車

正月準備の買出しの合間をぬって(笑)、近鉄伏見駅前の京都市電の保存車を見てきました。
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国道24号線沿いの公園の中にあります。近鉄電車の車窓からもチラリと見えます。車内は集会所になっていて、机や椅子が置いてあります。
近所の方が手入れされているようで、柵もなく、だれでも近づける割には、きれいに保存されています。

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数年前まで、市内の児童公園には市電の廃車体を使った、集会所や図書館がたくさんありましたが、老朽化や心無い人による盗難・破損によって、解体・撤去される例が相次ぎました。ここは、目に付く場所にしては良く残ったというべきでしょう。これからも大切に守っていただけることを祈念しましょう。
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線路はなく、コンクリートの土台のうえに直接置かれているようです。
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運転台回りは物置になっています(^^ゞ 生活感あふれる車内も良いものです(笑)
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