2009.07.12

【叡電】今月の表紙写真の今昔 (三宅八幡-八瀬遊園)

本館の表紙写真の場所とまったく同じところではありませが、数十メートル離れたところで、今昔の写真を撮ってきました。
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1974年7月撮影 デオ202
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2009年7月撮影 デオ711

当然ですが、背後の山並みと急勾配の路盤はまったく変わっていません。でも手前の田んぼは休耕地になり、35年前の場所(下の写真の左手数十メートル横)は民家になって、線路は見えなくなっています。田んぼのあぜ道も立派な舗装道路になってます。
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昔の写真の面影がないかと線路沿いを探してみると、錆びたトラス柱に木枕木、近景は雑木林に遠景の比叡山と、その雰囲気を残したところを見つけました。
これで、電車が京都バスカラーの722号(名義だけですが、昔の202号の車籍を引き継いだ車です)がくればサイコーですね。
しばらく通ってみます。
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2007.10.15

【京阪】京津線御陵駅付近の今昔

やぶおさんのサイト「寝台券は売り切れ満席」にひさしぶりに京津線の話題が載ったので、この12日に廃止10周年になるの現地を見てきました。
(一部を除き画像をクリックすると拡大します)
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Misasagi_old01 画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫 
これが、掲示板に投稿された原画です。
キャプションには「京阪201号」とあるのですが、詳しい撮影場所は書いてありません。
まず行き先表示から京阪京津線とわかります。場所は、線路が路面を離れて手前(専用軌道か?)に向かってきていること、まわりのやや郊外らしい町並み、背景の山並みの高さ(東山を裏手から見てる?) などの理由で、御陵と判定しました。ただ撮影時から電車の無くなった時まででも40年、それから10年も経っているので断定は無理のようです。
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一応、「御陵」ということで、今の写真を写してきました。手前のカラー舗装のところが、旧専用軌道で駅のホームがありました。写真左手の花壇のところが、三条行きホーム、撮影者の背後に踏切をはさんで、浜大津行きホームがありました。
踏切は旧東海道の道筋にあたる由緒ある旧街道です。(下の写真参照)

ご覧のように、道路も背後の民家も変わってしまっています。高い建物が出来て山並みをほとんど隠しています。
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道路側から駅構内跡を見たところです。向こう側が浜大津方面です。
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専用軌道敷きは緑道になって数百メートル続いています。ちょっと調べた所ではレールはもちろんですが、架線柱、標識等も残っていないようです。
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小川を渡るところで、鉄橋の橋台の石組みが残っているのを見つけました。どこの廃線跡でも、橋台が一番見つかる遺構のようです。
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旧国道踏切を越えてさらに歩いていくと、電車が地下から地上に顔をだしてJRの築堤の下をSカーブで曲がっていく所にでます。国鉄時代は名撮影地だつたところですが、いまは金網に囲われて、撮影困難です。網の隙間からレンズを出して撮影してみましたが、針金がバッチリと写りこんでしまいました(^^ゞ
この写真を撮った踏み切りは左上の表示のような変わった名前でした。
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踏切名になっている築堤下の煉瓦造のトンネルをくぐると旧東海道に出ます。街道には立派な門構や土蔵のある民家が残っています。近くにはトタン張りですが、藁葺き屋根の母屋もありました。旧家の後ろをJRの快速が走り抜けていきます。
(JRに平行に走るのが旧東海道、東へ120里でお江戸日本橋です)
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旧東海道を歩いて、東海道最後の峠道、九条山越えのふもと旧日ノ岡駅まで来ました。写真のバスのうしろの信号から次の信号の間付近に駅がありました。駅といっても路面電車の停留所で道の真ん中から乗り降りしました。
交差点の隅にちいさな待合室があって時刻表などが掲示してありました。今見ると花壇なって、京阪の施設はまったく残っていないようでした。(下の写真)
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土産代わりに、「京津線」と「地下鉄東西線」10周年記念のカードを仕入れて帰宅しました。
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2007.06.28

京阪五条駅の今昔

お世話になっている、やぶおさんの掲示板で、京阪五条駅とおぼしき駅に1800系の急行が入線する写真が掲示され、クイズココドコ?になっています。
Gojyo01 画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫
決め手は、電車の横に写る駅名標ですが、ネガを拡大せずとも、京都市内に長く住む30代後半以上くらいの方なら、疎水との位置関係や背後の山並みのかたち、線路際の民家などから、五条駅と気づかれると思います。
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早いもので、この駅が、地下に潜って、5月末で20周年を迎えました。記念Kカードの発売が、不手際で延期になりましたが、6月末に一ヶ月遅れで売り出されるようです。
写真は、今日の帰宅時に写した地上時代の五条駅下りホームの場所です。今は、旧線路敷きと疎水を埋め立てた跡を使って、都市計画道路川端通りになっています。車の列が途切れて、水銀灯の立っている付近が、上の写真の電車のいるあたりです。
バックの祇園らしい民家もマンションや戸建住宅になっています。
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五条といえば、「京の五條の橋のうえ~♪」の童謡で有名な、牛若丸と弁慶の戦いの場で有名です。橋のたもとには、ふたりの人形も立っています。
ただし、源義経の活躍した平安末期の五條大路は、いまの松原通りにあたります。五條橋も松原橋のところに架かっていました。それが豊臣秀吉の京都改造(御土居と呼ばれる城壁で市街を取り囲んだりしています。)で、方広寺大仏殿に向かう位置に、五條大橋を移したので、そののちいまの五條通りの名が定着したのです。

さらに、決戦の場は鴨川に架かる橋ではなく、市内の西洞院川(ちんちん電車のN電が走っていた通りです。)に架かる五條橋だという説もあるそうです。川は、明治時代に電車を通すため暗渠にしたそうです。
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2007.05.19

【嵐電】白梅町駅の今昔

京都の鉄道今昔の総集編の続編の作業は、ぜんぜん手付かずで申し訳ありませんが、モボ301引退のニュースに接して、同車の活躍をねぎらって、北野白梅町駅の今昔をお送りします。
Kitano_hakubaicho 画像管理者の掲載許可済、(C)奥野利夫、無断転載を禁ず。
クリックすると拡大します。
このときは、すでに北野-北野白梅町間は京都市電今出川線に軌道敷きを提供して白梅町止まりになっています。
手前の道路は未舗装で、奥のバス道路は舗装されているようです。線路と道路の境には、ブロックの仕切りがあるだけで柵も設けられていません。
駅を出発した電車は、モボ101号です。のちに(昭和50年)車体をモボ301と同型に交換して(書類上は新製扱い)います。
Hakubaicho01_2 クリックすると拡大します。
これが、いまの同じ場所です。

回りには高い建物が出来、手前の道路もは、スーパーへ出入りする車とひとが溢れています。

当然、踏み切りも整備され、線路際には柵が回されています。ただ、白梅町の駅は昔のままのたたずまいのようです。また、駅から手前に立っている3本の架線柱(一本は木柱!!)も当時のままのようです。

空の色を見ればわかりますが、このあと急に夕立が来て、あわててスーパーへ駆け込みました(笑)

2006.09.09
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2007.05.11

【叡電】思い出写真館 三宅八幡付近

連休中に整理したアルバムの中から、何枚かUpします。
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三宅八幡-宝ヶ池間を走る、出町柳行きのデナ500型です。ちかくの小山からはじめて、俯瞰撮影に挑戦してみました。何枚か写していますが、まともに電車が写っているのはこの一枚だけです(笑)

昭和49年3月
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同じ場所を走る叡電の今年の3月の写真です。(デオ732号車)
当時の高校生はくたびれたおじさんになり(笑)、すでに小山に上る気力がなくなっています。線路際からの撮影で御免なさい<m(__)m>
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2007.02.26

【京都の鉄道今昔】の四条大宮の写真をアップしました。

京都の鉄道今昔の「四条通」編の四条大宮の今の写真が未撮影だったので写しに行ってきました。前の記事の東福寺から九条大宮を通って、四条大宮へ回りました。
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やぶおさんの掲示版で四条大宮の決め手のひとつになった大和銀行はりそな銀行になっています。
HPでは、四条大宮が地盤沈下していると書きましたが、日曜日の朝にもかかわらず、車もひともたくさん通っています。ちょうど天神さんの縁日の日とあって千本通りのバスも増発され、この画面だけでも3台、(左手の通行人の影になっていますが、千本通りの北行きバス停にも一台停まっています。)写っています。
他に、本数は市バスよりは少ないながらも、京都バス・京阪バス・JR西バスもみられバス好きには楽しい交差点です。
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下のバナーよりサイトの本館へトップ画面へ移動後、「京都の鉄道今昔」のバナーをクリックしてご覧下さい。
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2006.12.16

京都の鉄道今昔の連載を終えて

4月から前後30回に渡って連載してきた、「京都の鉄道今昔」ですが、今回をもって一旦、運転休止とさせていただきます。
長らくのご愛読ありがとうございました。

最初は、自分が生まれた頃の叡山電車や市電の写真を見て、単純に今はどうなっているのか、調べてみたいなぁ。というところから始まりました。でもやってみると結構面白くなって止められません。一番電車で駆けつけたり、会社帰りに途中下車したりして今の写真を写しました。図書館へ通ったり、古本を漁ったり、ネットサーフィンしまくって情報をかき集めもしました。

一番よかったのは、多くの愛好者の方とお知り合いになり、情報を提供していただいたり、秘蔵の写真を見せていただけたことです。

このあとは、集成版をまとめてHP上で公開したいと思っています。この集成版の作成は、共同企画者のやぶおさんや画像管理者の方とのお約束でもありますので、これをやらないと版権をとりあげられるかもしれません(笑)

冗談は、さておき下表のようなレイアウトでアイディアを練っているところですので乞うご期待。
撮 影 地    
洛中
京都駅周辺
(駅前・構内・梅小路・烏丸七条・七条西洞院・九条陸橋など)
四条通に沿って
(四条大橋・四条河原町、四条烏丸、西大路四条など)
千本通りから西陣へ
(壬生車庫、二条駅付近、北野付近など)
洛東
東山通りに沿って
(祗園石段下、東山三条、岡崎公園など)
東海道線に沿って
(鴨川鉄橋、東山隧道、山科大築堤など)
洛西
阪急沿線
(西京極、上牧、上桂、松尾など)
嵐電・山陰線沿線
(西院、蚕ノ社、嵯峨など)
洛南
京阪沿線
(丹波橋、中書島、枚方など)
洛北
叡電沿線
(出町柳、元田中、一乗寺、修学院、宝ヶ池、三宅八幡など)
大津・草津
国鉄・京阪・江若沿線
(浜大津、逢坂山、膳所、瀬田、錦織、堅田など)
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【JR】二条駅のいまむかし

「京都の鉄道今昔」秋冬ダイヤ最終回は、国鉄二条駅からお伝えします。このシリーズは、やぶおさんのHP「売り切れ満席」の掲示板 との共同企画でお送りしております。こちらも合わせてご覧ください。
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画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫

この写真には、管理人様のもと投稿の

『昭和37年の撮影と言うことはまだピカピカの新車であろうキハ58の急行がホームに止まっています。
よく見ると,いつぞやなまちゃんさまに貼っていただいたのと同じうさぎのHMをつけていますので,急行(白兎)ではないかと推測されます。
そして駅舎はとても風格のある建物で、ただものではない駅だとわかります。
この一枚も山陰本線は京都口のどこかの撮影と思われます。
お写真の撮影場所や車両についてのみなさまのフォローをお待ちしています。』


との、コメントが付いています。

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これに対して、私の投稿ですが、
『奥野氏のお写真は、すでにみなさまから投稿いただいておりますように、高架化
される前の旧二条駅舎の横のホームに急行「白兎」号が停車しているところです。
ホームに人影がありませんから、あるいは停車直前かもしれません。下りホームもやはり閑散としていますから、対向列車も無いのかもしれませんね。

下りホームの後ろに高い投光塔が立っていますが、この先に、数日前に出てきたC57の走る跨線橋がありました。また、この駅は広い貨物取り扱い施設があり、南北の貨物ホームと旅客ホームの西側にヤードを持っていました。
私が子供の頃はおそらく8620?が、カメラを持つようになった頃には、DD13やDE10が入換にやってきてました。 』

としました。

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この2枚の写真は、前のコメントに出てくる「二条駅の花園よりの跨線橋」と「京都駅に到着する白兎号」です。
跨線橋は、1983年頃にはすでに撤去されていたそうです。京都駅構内も、駅ビルの建設に伴う山陰線乗り場の改修で、大きく変わっています。
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この写真は、高架ホームから写した、旧二条駅跡地の様子です。市バスの走っているところが千本通りで、工事現場のバラックの付近から向こうが駅前広場、フェンスのある付近までが旅客ホームで、そこから南側は貨物ホームが広がっていました。

(終わり)
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2006.12.15

【JR】嵯峨駅のいまむかし

「京都の鉄道今昔」秋冬ダイヤ第十四便は、国鉄嵯峨駅(現:嵯峨嵐山駅) からお伝えします。このシリーズは、やぶおさんのHP「売り切れ満席」の掲示板 との共同企画でお送りしております。こちらも合わせてご覧ください。
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画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫

この写真には、管理人様のもと投稿の
『今夜も国鉄車両を取り上げます。
非電化の中間駅にキハ55の準急列車が到着し、キハ20の普通列車を追い抜くシーンのようです。そして交換する列車はC57牽引の客レ。3番線しかないごくありふれた駅ですがキハ55にキハ20にC57に旧客と、今ではびっくりするほどのオールスターキャストの勢揃いです。

撮影は夏の頃と思われます。窓を開けて、首を出して飽かずに車窓を眺めた昭和の汽車旅。冷房が普及していなかった時代の懐かしい思い出です。

なお、この一枚を京都と推測した根拠ですが
1 キハ55の準急列車が天橋立方面に行く列車と思われること
  (このあとの奥野氏のお写真で天橋立のシーンが出てきます)
2 C57牽引の客レが当時山陰線で活躍していたこと
が挙げられます。
この推理が間違いなければ、このお写真は山陰線京都口のどこかの駅と考えられます。

このお写真の撮影場所や車両についてのフォローをお待ちしています。』
とのコメントが入っています。

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これに対して、私から投稿した写真と文ですが、

『昨晩の写真も???の点が多いのですが、管理人様の投稿にもありますように
前後の写真から判定して嵯峨(現:嵯峨嵐山駅)といたしました。
写真集の順序が正しいとすれば、天橋立の後に、この列車の駒が来るので丹後方面からの(西舞鶴発)、上り(京都行き)列車であること、本屋が下り線側にあること、本屋の下り側に貨物ホームや保線区があること、背後のなだらかや山並み(東山?)などが判定の理由です。
実は駅名の写った駒もあるのですが、同じ駅かは断定できませんでした。

この駅は、JR化前後から電化、複線化、旧線のトロッコ列車への転用、貨物駅跡に
トロッコ駅と資料館の建設と大きく変わりました。いまも、京都方の高架複線化工事が行なわれており、完成時には、ぜんぜんちがったイメージになるかもしれません。

写真は、京都方から下り方向を写しています。奥野氏の写真とは反対になりますが、これは意図したのではなく、駅を降りた時に道を間違えて、京都方の踏切へ出てしまったからです(笑) 』

もとの写真の場所に関しては、「嵯峨」のほかに、「丹波口」「園部」「八木」「胡麻」などの意見がでました。
そこで管理人様からもう一枚、ヒントとして出されたのが、次の写真です。

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『跨線橋の建築様式や配線、ホーム上屋のたたずまい、そして登場する列車からこの一枚はゆうべのお写真と同一駅の可能性が高いと考えられますが、みなみなさま、いかがでございましょうか。』
とのコメントが入っています。
これを見て、みなさん「どうやら、嵯峨駅で間違いなさそうだ。」ということになりました。
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ミニアルバム風に仕立てた、嵯峨嵐山駅の今です。
左上:高架複線化工事現場
右上:トロッコ嵯峨駅(奥野氏の写真では貨物ホームのあるところ付近)
左下:レトロなイメージで観光客を魅了する駅舎
右下:改札口付近の木造の屋根と梁柱

撮影に行った日は平日でしたが、もみじ狩りの観光客でいっぱいで、さすがに
嵐山・嵯峨野のネームバリューのすごさを感じさせました。

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奥野氏の乗車された、準急「丹後」号の伝統を引き継ぐ、特急「まいづる」号が嵯峨嵐山駅を通過するところです。
次回はいよいよ最終回、二条駅です。
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2006.12.10

【JR】京都駅の今昔

「京都の鉄道今昔」秋冬ダイヤ第十三便は、京都駅からお伝えします。このシリーズは、やぶおさんのHP「売り切れ満席」の掲示板 との共同企画でお送りしております。こちらも合わせてご覧ください。
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画像管理者の掲載許可済、無断転載を禁ず、(C)奥野利夫

この写真には、管理人様の
『今週より3周連続して京都の鉄道今昔では久しぶりに国鉄車両を取り上げたいと思います。まずは栄光の国鉄時代の象徴である151系(つばめ)の晴れ姿をご覧いただきます。まさに堂々の12両編成であります。そして下り方先頭には、展望車の生まれ変わりのクロ151その名もパーラーカーが連結されています。

撮影場所は京都駅1番ホームでしょうか。いかにも昔の幹線の大駅といったたたずまいです。

管理人は豪華な一人がけ座席も重厚な4人用コンパートメントも実車では全く見たことがありません。151系や181系、東海道電車特急に関する思い出などございましたらお気軽に掲示板に書き込んでいただきたいと思います。』
とのコメントが入っています。

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元投稿に対して、私からは上の写真と伴に
『こんばんは、今夜の今昔は京都駅の今昔をお送りします。
今の写真になにを貼ろうかだいぶん考えました。JR西の新鋭車も国鉄時代の生き残りもどうも役不足です(笑)

正直、車両抜きで駅舎と線路だけにしようかとも思ったのですが、今の巨大な京都駅舎だけでもファインダーからあふれそうです。

結局、とても駅ビルとは思えない嵯峨野・関空のりばへのコンコースをバックに、京都駅に発着する唯一のブルトレをからませてみました。2番乗り場の木製の柱と屋根がミスマッチです(笑) 』
というコメントを返しています。
ほかにも、京都駅の今昔の投稿をたくさんいただきました。
これ以降、やぶおさんの板は、EF65や20系寝台車の話題で爆発しています。
ぜひお訪ねください。

13_kyoto_stn_new02
同時に投稿したのが、上の写真です。
『おなじ場所のひとむかし前の映像です。巨大な鉄骨が組まれています。
その前を、カラフルな塗装のキハ28、58系の「たかやま」号が
走り抜けます。』

というコメントをいれています。
次回は嵯峨駅の今昔をお送りします。
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