2017.01.04

18きっぷで五新線跡を訪ねる

1月2日にお伊勢さんに参った記事を先に出そうと思いましたが、正月の行事に取り紛れて、書けなかったので、やはり暮れの話題の続きを。

と、いうわけで12月25日に18きっぷで3社参りをしたときに、五条駅で途中下車して見た、五新線の高架橋跡です。
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駅を出て国道24号線を和歌山方面に少し歩くと、写真で知っている未成線跡が見えてきました。
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国道をはさんで反対側にも遺構が伸びています。
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住宅地の中を南にむかいます。コンクリート製の橋脚は見た目はそんなに劣化もしておらず、現役の線路の足元みたいです。
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架線柱や標識類がないのですが、今にも列車が走ってきそうな雰囲気です。
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300mほど進んで、吉野川の川原で突然、高架橋は終わっています。

手前の橋の架かる道は、和歌山と奈良を結ぶ紀州街道です。すぐ近くには船着き場もあり、宿場町として栄えていた頃の面影を残す古い町並みが残っています。
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実は、下調べしてなくて五条にこんな伝統町並み保存地区があるとは知らなかったんです(^^;

こんな「五新線の前後にぜひお立ち寄りください(^.^)」という店もありました。思わず足が止まりましたが、時間がなくて写真を撮っただけで、泣き泣き通過

また、春の18きっぷの時期にじっくり下準備して再訪しましょう(^^♪
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五新線の夢を今に伝える(笑) 奈良交通紀伊半島縦断特急バスの時刻表
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(次回は、18きっぷのお伊勢まいりです)
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2011.05.30

国鉄高砂線・別府鉄道廃線跡めぐり

こんばんは。
今日は、朝方は曇ってましたが、昼前から台風一過の五月晴れ、振休を取って、阪神・山陽直通特急に乗って、沿線を歩いてきました。
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本当の目的は、法然上人25聖地巡礼の2回目で、3.十輪寺(高砂)、4.如来院、6.四天王寺と回ったのですが、ほかにもたくさん(笑)寄り道してきました。

まずは、旧高砂線と別府鉄道の廃線跡歩きから
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山陽電鉄の尾上の松駅付近から、高砂線の廃線跡が見えるようになり、そのまま加古川を渡って、高砂駅前に出ると旧高砂北口駅跡があります。いまは自転車置き場になってます。ここから目指すお寺まで数百メートルは、廃線跡を転用した遊歩道です。

有名な腕木信号機や転轍機の残る公園も駅からすぐのところにありました。左が高砂工場への引込み線、右が本線でした。
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さらに数分歩くと、終点高砂駅跡に着きます。なんと朱印をいただくお寺の真ん前です。今はバスターミナルと駐車場になってます。旅客列車はこの駅止まりでしたが、貨物線は、さらに高砂港まで伸びていたそうです。

実際、管理人の背中側にはさらに廃線跡が工場地帯に向かって延びてました。
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続いて、尾上の松駅付近の旧尾上駅跡。ここも廃線跡が遊歩道になってます。この線路跡をたどって、次のお寺さんへ向かいました。
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旧尾上駅の神戸よりで、山陽電車が高砂線をオーバークロスしていた跨線橋跡。ここだけ道幅が一車線分しかなく、もとは単線の線路だったことを物語っています。
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旧高砂線の加古川市内区間を走る「かこバス」 高架線は山陽新幹線です。
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またまた、目指すお寺の前に旧鶴林寺駅跡がありました。線路跡は広げられて立派な新道になってます。昔は、お寺や神社への参拝客輸送も、ローカル線の大事な目的だったことがよくわかりますね。
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尾上の松駅からふたつほど神戸方にもどったところに別府駅があります。ここにもかつて別府鉄道と呼ばれる私鉄が走ってました。
ホームの下の小道が旧野口線の跡です。ここも遊歩道になってます。
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駅前に出て、新幹線の高架下から見たところです。山陽電鉄をくぐって200mくらい行ったところに、別府駅がありました。今はショッピングセンターやパチンコ屋になってました。
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こちらは、別府から国鉄土山駅に向かっていた土山線の跡です。やはり狭い道幅がかつての路盤巾を象徴してます。
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反対側から見たところです。

この土山線は、現役時代に一度だけ土山駅近くの田んぼの中を走っているのを見たことがあります。写真には撮ったのですが、カメラの不調でネガが真っ黒になってボツ、残念です。

次回は、十輪寺から高砂神社、鶴林寺、尾上神社の巡拝記をお届けします。
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2010.03.06

【未成線】鉄道敷設法別表第77号

ヒマなので(笑)、ネットであちこち見ていたら「鉄道敷設法」に行き当たりました。

その別表の第77号に
「77.京都府山科ヨリ滋賀県高城ヲ経テ福井県三宅ニ至ル鉄道及高城ヨリ分岐シテ京都府二条ニ至ル鉄道」
「77ノ2.滋賀県今津ヨリ沓掛附近ニ至ル鉄道」
というのを見つけました。

77号の前段とその2は現在のJR湖西線、JRバス若江線に相当しますが、(高城は和邇駅付近、三宅は上中駅付近、沓掛は近江塩津駅付近)、後段の高城~二条の区間は、現在に国道477号線、367号線に相当するルートで、江若バス葛川線、京都バス平良線が一日数本走ります。叡山電鉄の本線もルート上(の一部)です。

直線で20Kmあまり、湖西ルートとも比叡山を挟むとはいえ、わずか数キロの並行路線を本気で作るつもりだったのでしょうか?   

京阪電鉄では、昭和40年代頃(?) にこのルートで、京都から堅田方面への新線を真剣に考えていたようですが(パンフレットを見たような記憶アリ) 、法律的な裏付けがあったとは(笑)
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開業直後の和邇駅付近 一面の青田も現在は、住宅街になって隙間なく家が立ち並んでいます。 (昭和49年7月)
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2008.03.11

産業考古物

先週末に山崎と新幹線撮影に出歩いた途中に、いくつか産業考古物に出会えましたのでお伝えします。
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まずは、山崎駅前商店街で見つけた「国鉄」の文字。国鉄時代からの「鉄」の聖地のひとつだけに、貴重です(^^ゞ
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網干駅前のモータープールに保存されている、北沢産業専用線の入換動車。ここも国鉄改革のあおりで貨物輸送が縮小されたときに、別府鉄道などとともに廃線に追い込まれました。最初、「北沢産業」と書かれた駐車場の看板を見て、「なつかしいなぁ」と思ったのですが、同行の辛子真緑さまから「機関車が残っている」といわれてびっくり。さっそく写してきました。
さらに驚いたことに、駅前から数百メートルのところに、まだ専用線のレールがそのまま残っているのです。車の中から一瞬見ただけで写真は撮れませんでしたが、廃線からすでに20年が経つのに2度びっくりでした。
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これも車のなかから写したものですが、旧赤穂鉄道の「根木駅」跡です。今は公園になっています。よくみると国道に併走して、廃線跡らしきあやしい細道が田んぼの中を走っているのがわかります。こちらは廃止からすでに半世紀以上経つのですが、地元の鉄道に対する思い入れを見るようです。
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最後は、岡山県の備前市のドライブインに保存されている下津井電鉄の客車です。このドライブインが下電の系列会社の経営なのでここに置かれているようです。
客車の横の壁のようなものは、新幹線の高架橋です。

他にも、最近、駅や車両の公開が決まった「姫路市営モノレール」の廃線跡が姫路駅の高架化の影響で一部分断されてますが、山陽線の前後に残っているのや、おなじく高架化で路線変更した山陽電鉄の旧線路敷きを車窓から見ることができました。
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さて、肝心の「新幹線」の写真ですが、現在編集中です。今週末には公開しますので乞うご期待(^^♪
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2007.09.12

【未成線】幻の相武電鉄

掲示版などで、お世話になっております、Harimao 様より、相模原の宮ヶ瀬ダム湖のお話をメールで送っていただきました。

そのメールの中に、「この付近には、かつて(鉄道を通す)計画があったらしい。」という意味のことが書かれています。

津久井湖や相模湖は、東京在勤時代にドライブで何度か行ったことがあるのですが、宮ヶ瀬ダムは知らなかったので、地図で調べてみました。

また、「相模原 上溝 廃線」 などのキーワードで検索してみると、かつて、「渋谷~溝の口(南武線)~鶴川(小田急)~淵野辺(横浜線)~上溝(相模線)~田名(相模川右岸)~田代(愛川町)」を結ぶ計画の「相武電鉄」という鉄道会社が存在していたことがわかりました。

実際に、淵野辺駅から田名村久所までの区間が着工され、路盤が完成し、車両も発注さたようですが、結局昭和初期の恐慌の影響で開業にいたらず、マボロシの線路となったそうです。

私は、廃線や未成線にはあまり詳しくないので、この「相武電鉄」のこともまったく知りませんでした。それにしても昭和一桁代に、渋谷から相模川の沿線まで、多摩丘陵を越え、多摩川や相模川を渡り、今の田園都市線や多摩線相模原線の前身のような鉄道が計画されていたとは、すごい話ですね。

当時の東京府西部や神奈川県北部付近は、養蚕地帯で、今とは違った意味で賑わっていたといわれますから、横浜や八王子を経由せずにまっすぐ東京市内へ直通する鉄道の計画もあながち無謀ともいえなかったのでしょうね。
(参考) 「もう1つの上溝駅/幻の相武電鉄」
    http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/kamimizo/kamimizo.htm 
    「相武電鉄浅間森電車区付属資料館」
    http://homepage2.nifty.com/asamamori/index.html
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昭和60年ごろの相模線と国鉄からJRに変わった直後ごろの相模線のキップ。
腕木信号&タブレットにキハ35系の列車、キップも硬券です。いまの完全に通勤線区になった相模線からは想像もつかない20数年前のひとコマです。
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